あさぶろ日記

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眠れない夜に思う家族のことの話。

眠れない。

普段なら起きるくらいの時間なのに、今日は23時くらいに目が覚めてしまってから今までずっと、眠れない。

理由はなんとなく分かる。

単刀直入に言うと、実は今、祖父が危篤なのだ。

それで昨日、病院に面会に行ってきて、それからなんとなく、気持ちが重いままだからだろう。


祖父は、もう助かる見込みは小さい。

最初は脳出血があり、脳の左半分は出血が収まらない状況だったらしい。現在は脳の方は少し落ち着いてきたが、今度は、肺気胸と言って、肺の中に空気が溜まってしまっている状況とのこと。

脳出血の症状が出た時、もって一週間という話だったが、今では全く容態は分からないようだ。肺の空気が心臓を圧迫すれば、数分ももたないと。そして、脳出血の影響で半身は動かず、寝たきりの状態は確実。意識も恐らく戻らない。

昨日、祖父の入院している病院へ行き、面会してきた。

久々に見た祖父は痩せていて、まるで眠っているようで、口を開けて呼吸をしていた。問いかけても返事はなく、ただ、口で息をしている。顔や頬に触れたら、温かかった。たしかに、生きている。

どうしてよいか分からなかったが、今はただ、こうしてその体温を感じることしかできなかった。


祖父は現在、91歳だ。少し前から老人ホームに入っていた。それまでは、私も生まれ育った家で暮らしていた。

私は、実家に居た時間よりも、実家を出てから暮らした時間の方が長くなってきてしまっているし、実家自体にそこまで思い入れは無い。実家に居る祖父母に対しても、どこか他人行儀な自分になっている。ものすごく薄情な人間なのだろう。

だから、祖父が危篤だという知らせを聞いても、動揺はしなかったし、実際に会いに行っても、不安とか、恐怖とか、悲しみとか、悔しさとか、そういうよくあるような感情は無くて、なんだか、胸の奥が重いというか、ただ単に沈んだような暗い気持ちがあるだけなのだ。なんだか分からないが、心が疲れているように感じる。

別に、祖父や祖母のことが嫌いというわけではない。しかし、好きかと言われればよく分からないのだ。

たしかに、高校を出るまでは同じ家に暮らしていた。けれど、家族ではあったけれどそれ以上に「同居」という感じがしていた。いつも、そこに居る。そのような印象だ。大学進学を機に実家を離れてからは、たまに帰省をすると、思い出したように、家族だなとは感じていた。

それは、実家の中に、母も居て、父も居て、弟も居て、それで祖父母が居たから、家族だと思っていたのだ。それで一つの家族なのだ、と。この順番で分かるように、祖父母は、自分の生活の中心というよりもその脇というか、やはりちょっと「同居」という感じだったのだ。同居家族というか。

だが、大学在学中に、その状況は一変する。

父が病気で亡くなったのだ。それからは、実家は実家ではなくなっていった。同時に、家族も、文字通りバラバラになった。心も距離も、離れて行った。

父が死に、母と弟は実家を離れて、祖父母だけが実家に残った。詳しくは書かないけれど、そのように母と弟が家を離れる際には、涙も流しながら、怒号に近い話し合いもあった。その結論は、仕方がなかった。夫を失った深い悲しみの中から、母を救い出すためには、そうするほかなかったのだ。

今では、母もある程度は立ち直り、祖父母との関係も悪くはない。しかし、それでも母は実家には戻らない。なぜなら、父の思い出がそこにありすぎるからだ。

私は私で、家庭を持ち、別のところに住まいも構えたので、実家には戻るつもりはない。もう実家は、私にとっては過去の場所なのだ。


父が亡くなった時、私は大いに泣いた。

心に穴がポッカリ開いたようだった。私は父のことが嫌いだったが、同時に大好きだった。思い出がたくさんあった。嫌な思いでも良い思い出もたくさんあった。

だから、父が危篤だという知らせを聞いて、大学から病院に駆けつけた時も、すっかり痩せこけて変わり果てた姿になった父を見て、私の知らない父が目の前に居ることに、動揺し、狼狽し、涙が出て止まらなかった。

後悔も止まらなかった。どうしてあの時優しくできなかったか。どうしてもっと一緒に楽しい時間を過ごせなかったか。どうして素直になれなかったか。どうすればよかったのか。どうすべきだったのか、と。

自分のアイデンティティは、確実に父親の影響を受けた上で形成されていると自覚していたし、父親の大嫌いな部分まで自分に似てきていると、今でも思うのだ。だからこそ、父が欠けた家族というものは、まるで自分の世界の一部が崩れてくような感覚があった。

そして今回、祖父との別れが近いことで、また、その世界が揺らごうとしている。この状態が、一週間二週間、一ヶ月二ヶ月、一年二年と、続くことは考えられない。現実的に。

だとしたら、そう遠くない未来、私はそれまでの時間をどう過ごせばいいのだろう。

面会はした。もう会話はできない。それでも問いかけた。返事は無い。

他に何をすればいいのか。あとは何ができる?

でも、実際には「すべきこと」よりも「したいこと」のほうが大事であることを知っている。もし今、それが無いのなら、ただ時間が過ぎることを待つしかないのか。父の時と違って、後悔の念が薄いのは、やっぱり私が薄情だからなのかもしれない。

相続とか家の問題。
いずれ、これが重くのしかかってくることは分かっている。

そして、その問題は、私だけではなくて、母も、祖母も、そして父の弟である叔父にとっても、弟にとっても、どうすべきか全員が考えて納得したうえで、解決していかなければならない。

いや、どうすべきかじゃない。
どうしたいのか、だろう。

こうして、実家の家族のことを思うと、今の自分の家族のことも考えなければならないと痛感する。過去だけでない、現在もそして未来も。

祖父の財産、祖母の介護、母の老後、弟の自立。そして、妻、子供たちの未来。私はそれほど財産を残すことはできないと思うが、せめて、後に残る子供やそれより下の世代が苦しまないよう、生きているうちに準備や対策をしておきたい。

色々なことを考えてしまって、なんだか疲れた。しかしまだ、眠れない。

もういっそ今日はこのまま起きていよう。