あさぶろ日記

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機械みたいに生きているわけじゃない話。

突然だけれど、娘(5歳)が、最近「きゃりーぱみゅぱみゅ」にハマっている。

ご存じだろうか。「懐かしい」と言う人も居るだろう。知らないと言う人のために一言で表せば、派手な格好をした可愛らしい女の子の歌手だ。一時期よりは人気は落ち着いたのだろうか。10年前くらいは其処彼処で彼女の歌を耳にしていた印象がある。

そして今でも変わらず、奇抜な衣装や愛らしいルックス、可憐な歌声とキャッチーなメロディ。魅了するのは老若男女を問わないと思うが、このように子供が好きな要素が、彼女にはいっぱいあると思う。まあファン層とか知らないし世の子供をどれだけ惹きつけるか分からないが、少なくともうちの娘は、彼女の虜になっている。

どれくらいの熱中ぶりかというと、きゃりーちゃんの楽曲のイントロをかけた瞬間に、曲のタイトルを正確に言い当てるほどだ。休日も、暇さえあればきゃりーちゃんのミュージックビデオを鑑賞している。

つい先日も、新曲が公開された。
ちょっとリンクを載せる。

 一心同体 ー きゃりーぱみゅぱみゅ

この歌も、娘は初見で気に入って、ずっとリピート再生して動画を観ては、繰り返し何度も口ずさんでいる。

ところで、世間では、私のような三十代後半の男性にとっては、きゃりーぱみゅぱみゅの認知度はどれだけ高いか、これも全く私は知らないのだけれど、少なくとも私は嫌いじゃない。いや、ちょっと強がった。結構好きだ。

何が好きかというと、実は「歌詞」が好きだ。メロディもすごく楽しげでスッと入ってきて心地良い。そもそもテクノっぽい音も大好きで、それだけで私は気に入っている。けれども、特に、歌詞が良い。ということは、どちらかと言うと中田ヤスタカさんのファンなのかもしれない。いや、でもきゃりーちゃんが歌うから良いということもあるのだろう。どちらにせよ、良い。

この「一心同体」も良かった。
ちょっと歌詞を載せると。

だけどね ぼくらは ただの BOT(ボット)じゃない
キズナと 思い出が つなぐ世界を
(中略)
傷つき 助け合う つなぐ世界を

そう、ボットじゃないのだ。

効率や合理性ばかり追い求める生活をしているので忘れてしまいがちだけれど、誰しもが完璧じゃないし、失敗や間違いもするし、そのたびに後悔したり、学んだり学ばなかったり。どんなに堂々と道の真ん中を歩いていたつもりでも、誰かに傷つけられることもあるし、逆に、知らないうちに誰かを傷つけてしまうこともあるし。そうして落ち込んだり、自己嫌悪になったり、今度は他の誰かに救われたり、また別の誰かを助けたり。

もう色んなことが起きるし、そのたびに、感じて思って考えて行動して、そうして生きていく。決して我々は、常に理性だけで動くわけでもないし、感情の無いロボットではないんだよな、と改めてきゃりーちゃんの歌を聴いているとそう思う。

私が、彼女の歌で特に好きなのは「もんだいガール」という歌だ。これもリンクを載せる。

もんだいガール ー きゃりーぱみゅぱみゅ

冒頭からいきなり「誰かを責める時には『みんなと違う』と言うけど、毎回『みんな』にあてはまる、そんなやつなんて居るのかよ」という感じで歌詞がもうザクッと心に刺さるようなフレーズで好きなのだけれど、一番好きな箇所はここだ。

ただ恋をしてるだけなの
機械みたいに生きてるわけじゃない
あたしもんだいガール
(中略)
キミももんだいがある
普通になんてなれないでしょ

上で挙げた「一心同体」もそうだけれど、完全じゃないし完璧じゃないし、やっぱり不完全な生き物なわけで。そしてそれぞれが違う個体であって同じものは一つもなくて。そういうものを肯定して受け入れたうえで、自分の生を展開していくべきなんだろう、と勝手に私は解釈している。

他にも、結構歌詞がグッとくる曲はあるけれど、キリが無いからこの辺にしておく。(あと多分、三十代のオッサンがあんまりきゃりーぱみゅぱみゅについて熱弁しているとそれはそれでもう痛々しいし、かなりキツイものがあるので。自覚はしている)


さて、ここまでもそうだし、かなりとっ散らかった内容で大変恐縮だが、まだ話は終わらない。書きたいだけ書いてみる。

先日、久々に会社に出勤したのだ。

普段私は家で仕事をしているものの、籍としては都内の会社にある。リモートで済ませることのできる業務なのでずっと家でやっているわけだけれども、所用があってオフィスまで行ってきたのだ。

そうしたらもう全然事務所の中も変わっちゃっているし、スタッフも全く知らない顔ばかりだし、一応私はこの会社に勤めるようになってから5~6年くらい経っているけれども、もう新人みたいな気分でフロアをウロウロしていた。

で、ようやく顔も知っている同僚に会って、他部署にも顔を出したりもして、お喋りをしたわけなのだけれども、まぁ緊張したというか発汗した。「あっ、今自分は生身の人間と会話をしているんだ」と思うと、なんとも身体の熱くなる思いがしたのだ。

話題は、ごくごく普通の、ありきたりなものだ。「あっ、痩せましたね~」とか「あの辺りでイベントやっているんですよ~」とか「フリーアドレスなんで、ここ使ってもいいですからね~」とか「え~異動して今はあそこの部署にいるんですか~」とかだ。全然、本当は緊張するような話題ではない。

そうか、普段、家で仕事をしていると、人と会話するというのはほとんど無い。大抵メールかチャットでコミュニケーションをとってしまうので仕事を片付けることができる。もちろん中には打合せや電話をすることもあるけれども、それらも、何か議題や課題があって、それを何らかの方向性に持っていくための結論を出すための作業だ。「会話」という感じではないのだ。問題解決の手段としてのコミュニケーションであって、単純な「お喋り」としてのコミュニケーションではない。

だから恐らく私は、ただでさえ低かったそういう「雑談系」スキルが壊滅的な状態になっていたため、ちょっとした何気ない会話でも緊張してしまっていたのだろう。

ただ、緊張はしたが、「生きている」という思いはした。人間なんだな、と思った。自分も、他人も。メールでは冷たい印象のあの人も、チャットでは固い雰囲気のあの人も、話したら、みんな笑っていて朗らかだった。自然と私も笑顔になっていた。マスク姿なので分かりにくいけれど。もちろん、リアルで会っても「なんだかな・・」という人も居るけれども、そういう人だって生きている人間だ。家に帰れば家族が待っていたり、仕事終わりのデートを心待ちにしていたり、休日はダラダラしていたりするのだ。誰も彼も、血の通った、生きている人間だから。

必要以上に、生き急ぐ必要なんてないし、失敗してもいいから前進すればいいのだ。臆病だっていいし、怖気づいたっていい。頑張りすぎる必要もない。組織の中で社会の中で、納得いかないこともあるし、上手く自分を動かせないことだってあるけれど、それでも生きてる。自分が進みたい方向に、進みたいスピードで、歩きたいと思うのならばそう歩けば良いんだなと。

「機械みたいに生きているわけじゃない」んだ。そんな、きゃりーちゃんの曲のフレーズを思い出しながら、ちょっとだけ前向きになって、ちょっぴり勇気を貰ったりして、久々のオフィスを後にしましたとさ。おわり。