あさぶろ日記

note のほうに書いている記事を保管しているだけです。

フリマとマネーと経済学の話。

先日、フリマに行ってきた。フリーマーケットというものだ。

この年にして初めてフリマというものをやった。買う側は何回かあった気がしたが、今回は売る側。出店者側というわけだ。目的は、子供部屋の掃除を兼ねて。家族で話し合って「おもちゃを捨てちゃうのは勿体無いし、どうせなら売ろうか」ということでフリマに出すことにした。

メルカリとかネットオークションとか、現代は色々なチャネルはあるかもしれないけど、私はやったことがない。見知らぬ人に(それこそ顔も分からない人に)売った結果、クレームなど言われたら怖い。(とは言えやってみたい気持ちもあるが、勇気が出ない)

その点、フリマなら直接手渡しできる。買ってくれた人がどんな人か分かる(まあ人となりは分からないけど)。この人なら売ってもいいという人に売れる。売りたくないなと思う人も居るかもしれないが、売れてしまいさえすればこっちのものだ。言い方は悪いが、売ったら売りっぱなしなところがある。あとは知らん、ということができる(無責任ですいません。でも不良品とかは売るつもりはないので)。

上に書いた通り私は初めて売る側になったが、妻は何度か経験があるらしい。事前に、手際よく、当日出品するオモチャなどを値付けしていく。「トミカは一個百円でいいか」「プラレールはそれより高くしよう」「レールなどの部品は何個かまとめてこれくらいで…」といった感じで、テキパキと品物をまとめて、値札などをつけていった。

そしていざ当日。結構お客さんがいっぱい来てくれて、そして面白いほど売れる売れる。「えっ、こんなに売れちゃっていいの?」というほどだった。

しかし、ある程度時間が経つとパッタリと客足は途絶えた。「あれ、どうしたのかな」と思ったが、よくよく考えればそれは当然だった。売れたのは、破格の値段だったというだけだったのだ。

つまり、比較的新しいモデルのプラレールが300円とか、普通に買ったら千円以上する大型のトミカが100円とか、要するに品物の価値と値段が全く合っていないものからどんどん売れていっただけだった。みんなが欲しがる良いものが恐ろしいくらい安く売られていたというだけ。需要>供給、のケースで、しかも価格が明らかに相場より安い。それは売れる。だって、他の売り場では、同じようなタイプのおもちゃが二倍、三倍の値段が付けられているのだから。

それを買ったお客としては「ラッキー」ということかもしれないが、我が家としては買った時の値段から明らかに安く売ってしまってマイナスだし、他のフリマエリアで同じような品物を売っている人にとっても「なに採算取れないくらい安く売ってんの、うちの商品が売れなくなるじゃん」と不満を持たれてもおかしくない。

結果、全然 Win-Win ではない。いや、まぁでも我が家は掃除を主目的にしていたので、売れたということは片付いたと言える。正直儲けは出そうと思っていないから。そうすると一応、Win なのかな。小さめの Win。小 Win だ。ショーウィン。大きい Win と 小さい Win で、ダイウィンショーウィンなのかな。なんかお笑いコンビの名前みたい。ダイウィンショーウィン。ダーウィンショーウィンとかならありそう。無いか。ごめん脱線した。ちょっとどうかしてた。

閑話休題。だからそういうのが売れた後、残ったのは、あんまり人気の無いものだったり、みんな既に持っているようなものだったり、もともとが安いものだったりだ。そりゃあたしかに売れない。売れないよ。でもそこまで気にしなかった。上でも書いたように、そもそもが、おもちゃの数自体を少なくできればそれでよかったので、目的は達成したからだ。なので、あとはもう消化試合で、予定の時間になるまで待って、結局それほど売れずに帰ることになった。

ところで、品物を出している間に、ちょっと他のお店の品物を見に行った。そうしたら、他のお店では、工夫しているところは工夫していて感心してしまった。失礼ながら品物単体で見れば「これは売れないだろうな・・」と思えるようなものでも、綺麗にラッピングして、お客さんが手に取りやすいスペースにおいて、そうやって結果的に売れていく。モノだけでなく「見た目」も売っているのだ。そして、そういう手間暇をかけて、買ってもらいやすいようにしている工夫も、価格に織り込んでいる(と思われる)。我が家のように破格の値段設定ではなくて、緻密に計算されて「売れるべくして売れる商品」にしているのだろう。

今回の記事はめちゃくちゃ脱線して申し訳ないけれど、私は、数字の感覚が恐らく人よりもかなり甘いほうで。同じ括りに入れていいのか分からないけれど、実は、お金の感覚もかなり甘いのだ。現金をそこまで普段持ち歩かない(電子マネー派とかではない、そもそもお金が無いからだ)から、お金も、数字も同じ。

毎月のお給料も労働の対価だとは考えているが、もう心待ちにして仕方がないというものではない。お金が入ってきたら大部分は家計に回されるので、手元に残るのはほとんど無い。へそくりや個人で積み立てている貯金も無い。だから結局、私にとってお金というものは、基本的には、ただ ATMや銀行のアプリ内で、たまに口座の残高を見る時に認識するだけものだ。自分とは違う世界に存在している単なる情報のような気がしてしまう。

他方で、仕事で、数字を扱う際はさすがに気を付ける。数字というか、数値ね。文字列ではなく計算対象としての数。仕事では、データとしての「数」は可能な限り誤差が出ないように、色々と手は尽くす。計算式をどのようにするべきかと考えることに心血を注いだりする。

だけれど、こと自分の私生活の「数」については全然関心が無い。ちなみに、その一方で私の妻は、そのあたりの感覚がずば抜けて鋭いというか、関心が強くて。数字とかお金とか、私が苦手な分、細かく管理してくれたりする。ありがたい。

とはいえ、さすがにいつまでもそんなことも言っていられず、仕事で多少必要になってくる場面があったり、一応いい大人としてマネーリテラシーというか基本的な知識が不足しているのもいかがなものかと思ってきたので、最近は、しぶしぶお金や経済などの勉強をしたりしている(全然集中できないし、頭に入ってこないが)。

で、その一環で、ここ最近は、日課の朝の読書タイムの中にちょっとした経済学の入門書的なものを混ぜ込んでみて、かじってみたりしている。

その中で、興味深い話があった。要約&少し話を盛って以下に記す。

●チケットの話
あなたは苦労して、とあるコンサートのチケットを購入した。1万円だった。ずっと楽しみにしていたのだが、前日になって熱が出てしまった。病院で診察してもらったところ、インフルエンザとのことだ。熱は下がらず、身体もしんどい。寝ていても明日には治りそうにない。せっかく明日は待ちに待ったコンサートなのに、どうすべきか。

●食べ放題の話
あなたは、人気のお店の食べ放題に来ている。ここでお昼を食べるために、朝ご飯も抜いてきた。料金は5千円だが、料理も美味しいと評判のお店だし、それを考慮すれば高い金額ではない。焼肉とお寿司を少し食べたが、たしかにどれも美味しい。しかし、年のせいか、特上カルビの脂や大トロの脂がそろそろ辛い。明らかにモトを取っていないのに、早くもお腹いっぱいになってきたが、どうするべきか。

書籍にはここまで詳細に書いていないが、ちょっと私のほうで脚色してみた。

さて、経済学としては、たとえばチケットの話に出てきたチケット代の1万円とか、食べ放題の話の5千円というのは、「サンクコスト(埋没費用)」と呼ぶらしい。この言葉は、無教養な私でも知っていた。すでに支払ってしまった費用は、将来の意思決定の際の判断に影響を及ぼすべきでないとかそのような意味だったと記憶している。違ったらすみません。

で、それはそうなんだけど、この本の中では、チケットの話で言えば「コンサートに行くべきか/行くべきでないか」という判断、そして、食べ放題の話で言えば「それ以上食べるか/もうやめにして帰るか」という判断において、合理的な選択ができているかのテストとして、「その機会がタダで得られた場合にどうするか」を考慮に入れるといい、との記載があった。

早速試してみよう。コンサートでも食べ放題でも、すでに支払ってしまった金額は一旦忘れる。つまり、待ちに待った楽しみにしていたコンサートだが、そのチケットは道で拾ったものとして考える。食べ放題も、商店街の福引の賞品で貰った食事券だったと考える。要するに、「自腹を切っていない」ということだ。これがまさしく「すでに支払ってしまった費用を考慮しない」ということ。

そうしたら、その状態で、コンサートの前日に熱が出てインフルエンザになりました。ああ、コンサート行きたいけど、明日も体調悪そうだな。行きますか?チケット代は考慮に入れない。だって拾ったものだから。そのうえで、明日も体調が悪くて倒れそうだけど、周りの誰かに移すかもしれないけれど、それでもコンサート行きたいですか、という話。

食べ放題もそうで、カルビも大トロも食べておいしかった。でももう早くもお腹いっぱい気味だぞ。まだまだ食べていないものがある。ラーメン、ステーキ、天ぷらもあるなぁ。うっ、気持ち悪くなってきた。でもせっかく来たからにはモトをとりたいよなぁ。いや待てよ。モトをとるってそもそもタダでもらった食事券だった。それなら、そうまでして、お腹のキャパシティを超えそうなくらいになるまで、まだ食べたいですか、という話。

どちらも、すでに払ったお金は帰ってこない。判断に入れない。その状態で、この先どうすべきかを選択する。

もちろん、個人の選択なので正解はない。体調激悪でも、他人の迷惑を機にせずコンサートに行く人は行くだろう。ただでご飯を食べられるからって、お腹がはちきれそうになるくらいに食べる人も居るだろう。正解はない。

けれど、もし自分だったどうすべきか。こういう経済学の本を読んでいると「合理的な判断・選択」という言葉が随所に出てくるけれど、私はこれを、「ロボットのように正確で機械的な」とか「ガチガチにロジカルな」とか「常に自分の利益が最大限になるような」という意味ではなくて、あくまで「自分が納得できる」「腑に落ちる」という意味だと理解している。

念のため言っておくと、私は専門的に経済学を学んだこともないし、解釈としては誤っている可能性もあると思う。だからこれを読んだ人は鵜呑みにしていただくと困ることを前提で書いている。

ただ、こういう学問(と呼べるほど大きくもない、ほんの少しの専門用語とその解釈だけども)というのは、何か、未来の行動を決めるために役立つ、一つの道しるべというかツールになるのではないかと考えている。

今読んでいるこの本の中には、さらに「そうは言っても、支払ってしまったお金を考慮したうえでの合理的な判断をする方法(つまり「モトをとる」という考えについての向き合い方)」についても記載されているが、そこまで書くと長くなるので割愛する。

という感じで、ろくに経済学なんて学んだこともない無学のおっさんが、ちょっと本を読んだだけで、見聞きした知識をエラそうに語ってみた話でした。

あれ、何の話だっけ。そう、フリマだった。

ちなみに、フリマで儲けたお金で、食べ放題のお店に行きました。そこではもちろん「モトをとろうとして」必死に食べて満腹になり、翌日体重計に乗って後悔したおっさんが居ましたとさ。

なんにせよ、日々勉強が大事。おしまい。