あさぶろ日記

note のほうに書いている記事を保管しているだけです。

遊ぶために可処分時間を見直してみる話。

ここ最近、心が疲れている。特に嫌なこととかショッキングなことがあったわけではないが、何となく荒ぶというか「はぁ、やる気出ないな」という感じなのだ。

家にずっと居ると、日々のタスクはある程度可視化されていて、それは言い換えると、安定した状態に保たれていると言える。大きく分ければ、自由時間と仕事時間と家のことをやる時間。あとはこれ以外の時間。それらがある程度明確に分かれていて、それぞれで何をする時間なのかが決まっているためだ。

たとえば、自由時間は、朝自分一人だけが起きてから他の家族が起きるまでの時間くらい。仕事時間はそのままの意味。家のことをやる時間は、子供たちを学校や保育園に送り出したり、迎えに行ったり、洗い物したり、たまに料理したり、買い物したり。

したがって、トータル24時間をザックリ表せば、比率的にはこんな感じだろうか。

  • 自由な時間(朝の3時〜6時までの3時間)
     ⇒ 12%
  • 仕事している時間(日中帯、8時間)
     ⇒ 33%
  • 家事の時間(17時〜21時までの4時間)
     ⇒ 17%
  • その他の時間(睡眠や食事、スキマの9時間)
     ⇒ 38%

うーん。そもそも今の私は「自分のためにもっと時間を使いたい」とは思っていない。別にこのままでも問題は無いし、無理はしていない。満足すらしている。

ただ他方で、もう少し、自身のためだけにワガママに時間を使ってもいいのかもな、とも思っている。

というのは、上で書いたその「疲れている」的な原因は、恐らく好きなことにあまり時間を割けていないためだと思うからだ。最近、熱中していないのだ。好きに、ワガママに、時間を使いたい。もっと言うと、時間を忘れるくらいに、没頭したい。すごくありきたりで、ダサい言い方をするならば、「心に栄養をあげる」ということだ。

そのためには、ちょっと時間が足りない。もっとダラッとしたり、「うぉお、ヤベえ」と興奮したりする時間が欲しい。端的に言えば「遊ぶ時間」のことだ。

もちろん、時間だけでなくその使い方についても検討は必要だけれど、一旦ここではそれは考えない。「何をして遊ぶか」という話だが、それは別の機会に譲る。量より質という意見は分かるよ。せっかく時間があっても、すぐSNS見たり、変な動画観たりして、気付いたらめっちゃ時間経っていることは往々にしてあるから。そういう時間の使い方は「遊び」にあたるのか?というと、たしかに怪しいところがある。後悔していないダラダラならそれはプラスだけれど、「なぜオレはあんはムダな時間を…」となるとちょっと勿体無い。

でも、使い方は棚に上げて、まずは、確保する時間を増やすのだ。(上手く)使われていないを見つけて、解放してあげる。「何に使ってもいいよ!」というような、よりフリーな時間にしてまとめてあげる。

したがって、目標としては、全体の12%を占めている、この自由時間(3時間)をいかに増やすか、ということになる。

一番手っ取り早いのは、その他時間(9時間)から捻出すべきだけれど、睡眠時間は削りたくない。これはきっと6~7時間くらいはとっている。そうなると、残りの2~3時間から割り当てできないか。

現実的には、お昼休み時間や、仕事と家のことをやる間の空き時間などかな。今は家で仕事をする日がほとんどなので、ご飯は家で食べるか、近所のご飯屋さんに行くか。そしたら、家で食べる場合は、ご飯を食べてから昼休みが終わるまでの時間。ご飯屋さんに行く場合は、行き帰りの時間。仕事と家事の間の時間は、買い物に行っているか、子供を迎えに行っている。捻りだすなら、このあたりの時間か。

また、仕事時間(8時間)だけれど、むちゃくちゃ忙しい時とそうでない時の差は、割とある。「仕事中に遊んじゃダメだろ」という意見もあるだろう。それはその通りだ。ただ、「遊び」という行為は客観的な意味に限定されるものだとは思っていない。仕事に関係するものに没頭して楽しければ、それは「遊び」であり「仕事」でもある。

そうすると、あくまで仕事関係の「うわー面白いわぁ」なら、ここの時間を活用してもいいかも、とも思うのだ。けれど、あまり仕事の色を濃くしてしまうと、それはそれで長期的にはスキルは上がって嬉しいのだが、短期的には心の癒しには繋がらないような気がする。「すごく楽しくて仕方ない」ならいいけど、少しでも「ま、役に立つしな・・」があると、義務感が出てくるからだ。あくまで「あぁ、楽しい」を追求する。「役に立つ」のは大事だけど、それを目的にしない。もしかしたら「役に立たなそう」なもののほうが良いかもしれない。

あとは、家事の時間(4時間)。家事と言っても、我が家は、私と妻では妻のほうがタスクのボリュームとしては大きい。妻がやることは、子供の学校や保育園の準備をしたり、ご飯を作ったり、洗濯物を洗ったり干したり畳んだり。

対して私は、子供の送り迎えしたり、食器洗いしたり、風呂掃除したり、くらいしかない。あとは共通の家事で、子供の宿題見たり、お風呂に入れたり、とかだ。そうなると、送り迎え中とか食器洗いしている最中の時間が、どうやら使えるかもしれない。

こうやって考えてみると、もしかしたら結構「遊べそう」な時間は多いかもしれない。

ちなみに、私が日常的に「自由時間」(3時間、現状では一日の12%)に充てていることと言えば、

  • 筋トレ
  • 読書
  • 半身浴
  • SNS徘徊(この note も含む)

くらいだ。

これだけでも十分だけれど、もう少し心躍るものを追加しようと思う。心の疲れを癒すためだ。別に何もやらなくても自然と癒されればそれはそれで構わない。時間を増やそうとする目的は、いつどんなものを追加してもいいように、だ。

そして、つい「役立ちそう」を考えてしまうので、そのコントロールが難しいのだけれど、できれば、くだらないものがいいな。そんな「遊び」を増やすのだ。


と、盛大にどうでもいい話を書いてしまった。そんなことを書き並べなくたっていいから早くやれよって話。

本来、このようなことは書かなくてもいいことだろうけれど、せっかくなので思考のプロセスを残しておきたかった。恐らく、私にとっては、こういうくだらないことを書き連ねることも、十分に「遊び」なんだろうな。

と書きながらしみじみ思った。おしまい。