あさぶろ日記

note のほうに書いている記事を保管しているだけです。

いつかまた転びそうになった時のために、の話。

昔話とか思い出話とか、そういうのは、実は嫌いじゃない。

ただ、それを書いてしまうと、よほど文章力に長けていない限り、それを読む人にとっては「ふーん。あっそう」とか「へーそうなんだ」という反応になってしまう。自分の心の奥底にあったものを取り出して、誰かがそれを見つけて触れてくれた瞬間に、何だかあっけないものに変わってしまう気がする。「そっか、そういうこともあるんだね。大変だったね」で、おしまいだ。書き手と読み手の温度差がすごいというか、拍子抜けしてしまう感じに近い。

もちろんそれはそれでいいときもある。その方が都合が良いときね。自分の悩みが重くて重くて抱えきれないときには、そういう行為はとても効果があると思っている。ただ、何と言うかな、「大事にしたい」と言うとちょっと違うかな、もしある種の「十字架」みたいな「こんなものを人様に見せるわけにはいかない。自分で処理しなければならない」と思っていることに関しては、やっぱり軽々しく書きにくいわけで。

そもそも日頃から、誰かに役立つための記事とかそういうのを書こうと思ってはいないけれど、それでも、「あぁ、わたしもそうだった」とか同じ悩みや思いを抱えている人のために、少しでも希望の光みたいなものを共有できたらいいなと思って、書いたりしている。恥を忍んで。

だから基本的には、その日にあったことや、直近の出来事から着想を得て、思考の瞬間冷凍という形で、私の note の記事は作成している。

でも、今から書く話は、本当に「自分のため」であって、誰にも共感してもらえないことを覚悟して書く。

そして宛先である「自分」というのは、今の私のことではない。この先にいつか登場するかもしれない私。かつての私が苦しんだように、また同じように躓いて、転んでケガをしないようにするための、未来の私に向けた話。来ないなら来ないでいい、でももし来た時のために「お前は以前、こんなところで転んでいたんだよ、気を付けなさいよ」と教えてあげるため。

未来のために、過去の話をする。


あの時の私は、社内で当時最も大きいプロジェクトに参加することになると聞いて、不安よりもまず楽しみというか変な優越感があったんだ。

それは、私がその時に担当していた業務を「来週から別のところに行ってもらう」と強引に引き剝がされて、その晩にすぐに簡易的な送別会が開かれて、何というか会社から「お前が必要なんだ」と言われた気がしたんだ。別に問題行動や不祥事を起こしたわけじゃないから、栄転なのかな、と自分で勝手に考えて、内心、そのちっぽけな自尊心がいっぱいに満たされたような心地がした。

事実、私が参画する頃には、そのプロジェクトは既に佳境に入っていて、非常に恵まれている環境というか所謂「目線が高い」というか、数多くの業務チームをとりまとめる上位組織的な役割のチームに所属して、目上だろうが顧客だろうが、とにかく「マネジメント」する立場として、プロジェクトの運営に携わる仕事が待っていた。

まだ社会人も四年目とか五年目とかの若手だったのにもかかわらず、社内最大規模のプロジェクトのなかで、海千山千の数多くのベテランのメンバーをコントロールするという立ち位置に、当初私は、優越感を抱いていたんだろうと思う。

けれど、そんな思いは、数週間もすれば脆く崩れ去って。いや、正確に言うと、崩れたのは優越感そのものじゃなくて、いっぱいに満たされたと思っていた自尊心のほうだったんだ。

他部署から一本釣りで引っこ抜かれて、全ての業務を統括するチームに所属したんだから、さぞエラそうな立場で仕事をするのかと思いきや、実際には任された仕事は、誰でも出来るようなルーチンだった。

毎日毎日、やりがいのない、同じ作業を朝から晩まで繰り返す。22時になって、さてそろそろ帰ろうとしたときに「翌日の業務で必要なので今から急いで対応してもらえますか」と頼まれ、結局は終電を逃して、タクシーで帰ることもしょっちゅうだった。

自分だけがこんなつまらないルーチン業務を行っていて、同じチームの他のメンバーはそれぞれにテキパキと自身の業務をこなす。そんなふうに考えていた。実際、所属していたチームは、社内の優秀な人材が集まっているようなところで、毎日毎日、自分の無能さを自分自身に突きつけられているような思いがしていた。

中でも、同じチームに居た一番近い先輩は、社内でも特に優秀だと評されている人で、所謂、若手のホープと言われるような存在だった。同じように激務にもかかわらず、その人がのびのびと仕事をしている様を見るたびに、それに引き換え、自分の体たらくをいつも私は嘆いていた。

とはいえ、自分の業務がそのようなものでなく、もしその先輩と同じ業務を自分もやっていたとしたら、彼のように活躍できたのかというと、そのような自信も無かった。そこにあるのは、憧れなんかじゃなくて、ただただ自己嫌悪になって萎んで燻っていく自分の心だけだった。本当は自分の状況を呪いたかったが、それもできなかったのだ。

目の前の仕事を、単純作業、無駄な作業、退屈な作業、そういったものに捉えるようになっていった。今に思えば、恥ずかしながら「こんなの、俺がやるべきことじゃないんだ」という尊大な思いもあったのだろう。当然なのか、ミスも増えた。あるとき大きな失敗をしてしまって、各所に謝りに行くなかで、「何が栄転だ。足を引っ張っているのは自分じゃないか」という思いが次第に膨らんでいって、少しずつ苦しくなった。ピカピカ煌めいていた自分の心が、どんどんと黒くなっていく感じがした。

挙句の果てに、上長との面談の場で「君は●●のようになってほしい」と言われて、そこで何かがポキッと折れたような感覚があった。その●●というのは、上で書いた同じチームの優秀な先輩のことだった。端的に言ってしまえば、私は、彼の二番煎じとして、プロジェクトに呼ばれただけだったんだ。

そのことに気付いて、いや気付いていたはずなのに、面と向かってそういう事実を指摘されて初めて、そこで私の思考が止まってしまった。それまで「それでもやっぱりこんな大きなプロジェクトに参加させてもらえるだけで私はすごいんだ」という僅かな優越感だけを頼りに気を保っていたけど、そこで自分を操る糸がプッツリ切れてしまった。

少し前だったら「でも頑張れば●●先輩のように、私も輝けるはずだ」と前向きな考えができたかもしれない。けれど、その時の私にはもう限界だった。

なぜなら、私が日々の仕事を辛く感じていた背景には、その先輩から「面倒だから、やっておいて」とルーチンワークを丸投げされたことや、それを来る日も来る日も私一人で担当するしかなかったことや、どうしても業務上で分からないことを先輩に訊こうとしたとき、彼の「今忙しいんだけど」という素っ気なく接せられた態度があったこと、そして悩んだ末に私が捻りだした答えを、無言で「ふーん」とだけ返された彼の冷たい表情が記憶に刻まれてしまって、人に何かをお願いすることが怖くなってしまったこと。そのようなものが、積もりに積もっていて、自分では抱え切れないほど大きくなっていて、今にも自分をペチャンコに押し潰そうとしていたからだ。

「君も、その先輩を目標にするように」と言われたことは、彼のそれまでの言動を正当化して「正しい」という烙印を押したうえで、その一方で、私のこれまで抱いてきた思いや行ってきた働き、そして自分の存在自体をことごとく否定しなければならないような気にさせられた。「ああ、私はやっぱりダメなやつだった」と、なんだか目の前が真っ暗になったように感じた。

深夜残業や、度重なる休日出社で、きっと心と体のバランスが崩れていたかもしれない。それは否めない。でも、気が付いたら、会社に行くのが怖くて、いつも体調が悪くて。何も食べてないのにお腹は減らなくて常に吐き気を催していた。電車に乗っていると、目の前がボヤーっとなった。駅のホームで、そんな気はサラサラ無いはずなのに、ずっと何かを見つめてしまうことが増えていた。疲労感はもちろんあったけれど、生きるための光というか純粋な日常の楽しみというか、そういったものが、毎日の仕事をこなしていく中で、少しずつ薄く薄く感じるようになっていった。

そして遂に、ある日私は、家の玄関から出ることができなくなった。

泣きながら妻に打ち明けて、病院に連れ添ってもらって診察してもらった。お医者さんからは、鬱状態です、と診断された。鬱ではなかった。まだ病に値する症状ではないらしかった。すぐに休職をするように言われて、しばらく安静にすることにした。

怖くて仕方なかったけれど、その時に上長に連絡をした時のことを、私はずっと忘れない。しばらく休みます、と言ったら、返事が「了解。〇〇(ベンダー)と調整して何とかしておいて」とだけ返ってきた。上長は、部下である私の体調よりも、仕事のほうが大事だった。部下だろうが関係ない、自分のことで精いっぱいなんだ。そういう思いが痛いほど伝わった。

当時、仕掛中の作業があって、ベンダー(一緒に仕事をしてくれている他社の人たちのこと)と協力しておこなっていた。それを、私が途中で抜けるから説明しておけ、ということを意味していた。

私は、上長に言われるまま、ベンダーに連絡して「すみませんが・・」と陳謝した。ベンダーからは「気にしないでゆっくり休んでください」と温かい言葉を頂いたが、当時の私は「また私が足を引っ張ってしまった。迷惑をかけてしまった」という思いがべったりまとわりついた。幾ら労いの言葉を受け取っても、その裏にある本音では「このクソ忙しい時にダウンしやがって。役立たずが」と、私を酷くこき下ろしているのではないかと思ってしまって辛かった。

結局、私は胸にわだかまりのようなものを抱えつつ、休みに入った。

ここまでが、心が折れてしまった過去の私の話。


その後は、数か月かかったけれど、妻のサポートもあって、何とか社会復帰することができる状態にまで戻った。何もかも壊れてしまう一歩手前で、ヘルプが出せたからだと思う。まだ生きていたいという思いがあって、逃げることができた。

今は、大丈夫。

ただ、大丈夫なのは、心も体も元気になったから、では決してない。「いざとなれば逃げてもいいんだ」と思えるようになったからだ。

10年近く前のことなのに、いまだに、辛く苦しい気持ちがフラッシュバックすることがある。きっと心は元通りになっていない。この先、元通りになることはないだろうと思う。

けれど、生きるなら、生きたいと思えるのなら、そんな心の状態であっても、毎日を過ごしていかなくてはならない。

またいつか、そういう状況に追い込まれるかもしれない。そうしたら、どうするか、どうすべきか、私はそれを打開するための一つの手段を知っている。それが「逃げる」ということだ。

弱いと思われてもいい、恥ずかしくたっていい、逃げたほうが良い。殺されるよりマシだ。殺しにかかってくる加害者は、会社や仕事、人間関係がそうしてくるように見えるかもしれないけど、本当は、加害者は自分なんだ。おかしな話だが、加害者も被害者も、同じ、自分だ。だから、自分から自分を守ってあげるしかない。それが出来るのは、やっぱり自分しか居ない。

そのために、逃げる。とにかく逃げる。

ところで、当時、心療内科にかかった際に、先生にこう言われた。

「朝、みんな嫌な気持ちはあっても、普通は、学校や会社に行くものだ。

それが今、出来なくなっているあなたの状態は、正常じゃない。それが、鬱状態ということだ。

だから、休む必要があるんだよ」

元気が空っぽになる前に、休むこと。
にっちもさっちも行かなくなる前に逃げること。

幻想に押しつぶされる前に、現実を見る。目の前の日常に目を向ける。生きていることを自覚する。

自分のことを大切に思ってくれる、家族や親。一緒に過ごして楽しい友人。寝食を忘れてしまうほど、のめりこんでしまう趣味。外に出て、公園を歩いて、自然の匂いを嗅いで、町の音を聴いて。好きな絵でもいい、好きな音楽でもいい。気の置けない人たちと食べたり飲んだりする時間や、ひとり大好物を堪能する至福のとき。ガチャガチャと賑やかに家族で囲む食卓。なにか自分の心が弾むような、そうでなくても、落ち着くような安らぐような。そういう瞬間。そういう日常が、あなたには、ある。どんなに些細でも。

その日常を守るために、逃げるべきだ。
生きているんだから。生きたいんなら。

仕事や人間関係が辛くて辛くて仕方ないからって、自分を殺しちゃだめだ。心は元には戻らない。だったら、いっそ、自分がそんな場所から立ち去って、自分を守ってあげること。

私の経験なんて、甘っちょろいものかもしれないけれど、自分にとっては、上で書いた出来事は、大きな人生のターニングポイントだった。

おかげさまで大企業の安定した身分を捨て、住宅ローンに追われて社畜のように働く日々になってしまったわけなので、正直後悔はある。「もっと他に方法は無かったのかな」と。

でも、良い方に目を向ければ、私は、自ら立ち止まって、それ以上事態が悪くならないように選択ができた。それは正解だった。下手をしたら、まともに生活できなくなっていたかもしれないからだ。そのおかげで、もしかしたら今の家族とも出会えたし、この生活ができているとも言える。後悔はあるけれど、間違っていなかったと思える。

だから、もしいつかまた、以前と同じように苦しくて仕方ないようなことが起きそうになったら、この昔話と当時の心を思い出して、対処法も知ったうえで、「(今悩んでいることなんて)どうでもいい」と思えるように、してあげたい。


デールカーネギーの言葉にこのようなものがある。

小事にこだわるには人生はあまりにも短い

小事なんて、捨てちまえばいいんだ。あなたの人生に重要なことじゃないんだ。

また、突然だけど、一曲ご紹介。

小さな声 ー ハンバートハンバート

実は今日、たまたま、この歌を聴いて、歌詞を読んでみたんだ。それで、当時のことを書きたくなってしまって、この記事を書いた次第。

この歌は、最後にこんなフレーズで終わる。

誰か 気付いて 気付いて 気付いて
今に壊れて崩れそうだよ

ぼくが君なら 背中をたたくよ
逃げたらいいんだよ

もし当時、この歌を知っていたら、何か変わっていただろうか。
そんな仮定に意味は無いのは知っているけれど。

とにかく。今の自分から、未来のあなたに言えることは、一つだけ。
死ぬ前に、逃げてくれ

それから、欲を言えば、もう一つ。
もし、そういう人を見つけたら、出来ることなら、ちゃんと気付いてあげよう。
その痛みを知っている人にしか、できないこともある

それだけ。そんな独り言。