あさぶろ日記

note のほうに書いている記事を保管しているだけです。

サラダバーに見た素直さの話。

先日、妻と食事に行った際、サラダバーのサービスがあったので注文してみた。

この頃は、昨今のパンデミックの状況から、サラダバーが中止になっているお店も多いので、嬉しかった。

で、いざ、様々な野菜の並べられたカウンターに向かい「どれがいいなぁ」と物色する。私は、サラダの具材だと、トマト、ブロッコリー、ワカメ、オクラ、玉ねぎが大好きなので、それらを中心にお皿に取っていく。

妻は早々にサラダを盛って席に戻ったが、私はまだカウンターのところで選んでいた。

サラダバーの良いところは、色んな野菜があるのはもちろんのこと、ドレッシングも数種類あることだ。行儀が悪いのは承知のことで、私は幾つかの別の種類のドレッシングをかけて食べるのが好きなのだ。ただあまりにも色んな種類のものを混ぜると味がボヤッとするので、混ぜても二種類くらいだ。そういうわけで、最後にかけるドレッシングとしては何と何がいいかなぁ、と悩んで時間を費やしていたのだ。

胡麻ドレッシングは決まりだ。ここのお店の胡麻ドレッシングは甘くて美味しいと聞いたことがあるからだ。そしたら、それに合いそうなのは何だろう。和風ドレッシングかな」なんて思いながら、ようやくサラダの盛り付けが終盤に差し掛かった時のこと。

私の前に並んでいた老夫婦が一言、こうぼやいているのが耳に入った。

「玉ねぎ(の切り方)太すぎるでしょ。
 しかも全部厚いじゃない。誰が切ったんだろ。
 こんなのダメだよね、まったく…」

夫婦、と書いたが実際にはご婦人の方がブツブツと文句を言っているようだった。そして最終的には、どうやら玉ねぎは取らずに、席に帰って行ったようだった。

どれどれ、そう思って玉ねぎのボウルを見ると、たしかに太い。厚切りだ。サラダに入っている玉ねぎというと、たしかに薄切りの印象はある。ただ、私は上にも書いたが、玉ねぎは好きなサラダの具材の一つなので、厚さは特に気にならなかったので、それも皿に盛って席に戻ることにした。

テーブルに戻ると妻は、こんなことを話し出した。

「ねぇ、玉ねぎなんだけどさ…」

ああ、そうね。さっき、近くにいた人たちも、厚切りすぎるって文句を言ってたよ。そう言おうとしたら、

「厚切りだけど、すっごく甘くて美味しいよ」

とのこと。

文句ではなかった。むしろ、賞賛だ。

そうだ、妻の良いところの一つに、こういう素直さがあるのだ。

「サラダの玉ねぎは普通は薄切り」そんなことを常識というか固定観念に囚われ過ぎて、不満とか文句を持つんじゃなくて、あくまで「玉ねぎ」として捉えて、純粋に味を楽しむ。そんな妻の素直な見方に、良い気分になった。

ちなみに、実際に玉ねぎを食べたら、たしかに妻の言う通り、甘くて美味しかった。厚く切ってあることで、瑞々しさがあり、その中に甘みが溢れている。これはむしろ、薄切りではこの甘みを感じる喜びは小さかったことだろう。訳あっての厚切りだったのだ。

自分の中の当たり前に囚われ過ぎていたら、見逃すかもしれない幸せもある。そして、そこに気付く方法の一つとして、妻のような「素直さ」というのは大切な姿勢なのかもしれない。そんなことを改めて思った。