あさぶろ日記

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思い込みの話。

思い込みにとらわれて生きていると感じることがある。

子どもと接していてよくそう思うが、よくよく考えてみると、自分自身もかなりの思い込みを持って日々を過ごしていることに気付く。

少し例を挙げると、私にはこのような思い込みがある。

  1. 夕飯の量を少なくすると、イライラする。
  2. 朝にスイカを食べると、心臓の辺りが痛くなる。
  3. 朝にブラックコーヒーを飲むと、胃の辺りが気持ち悪くなる。
  4. お風呂上りには、シャーベット系のアイスが食べたくなる。
  5. 月曜日は、胸がソワソワして落ち着かない。

敢えてゴチャッとさせて書いてみたが、実際にこれらの中には、もちろん「思い込み」もそうだが、「生理現象」とか「本能」とか、そういうものも含まれている。混ぜこぜにして書いたのには理由があって、多分、私程度のこのような「思い込み」レベルなんて本当は何の効果も強制力も無いというか、吹けば飛ぶようなくだらないものである可能性があるからだ。

たとえば、夕飯の量が少ないというのは、私にとって特に炭水化物を減らすことを意味する。調べてみると、炭水化物を減らせば、血糖値にも影響が出てイライラするということもあるそうだ。だから、単純な因果関係で考えると、「夕飯の量が少ない」=「イライラする」は成り立つかもしれないと言えるわけだ。

詳しく調べてはいないが、スイカについても恐らくそれに含まれるシトルリンによって、血管を拡張させたり血流をよくしていることで、普段と違う血の巡りになり心臓に違和感を覚えると予想できる。コーヒーについても、カフェインか何かで余計に胃酸が分泌されて胃の中を荒らしているなどの可能性もあるかもしれない。

だからそれらは、もしかしたら科学的根拠というもので「そういう可能性があり得る」ということが言える。

けれど、それ以上でもそれ以下でもない。

つまり「夕飯の量が少ない」=「イライラする」という可能性があるだけで、その図式が絶対に正しくてその通りになる、というわけではないと思うのだ。

「イライラする」かもしれない。でも「必ずイライラする」わけではないし、ましてや「イライラするのは仕方ないことだ」とか「イライラしてもいいんだ」とかいう結論に結びつけて良いというわけではない。

もちろん、アレルギーとか身体的な生理現象によってそうなる可能性が限りなく高いケースが存在するかもしれない。けれど、大半のものは絶対ではない。可能性があるに過ぎない。それは言い換えれば「起きないように対策する」ことが可能なケースもあるということだ。私は少なくともそう思う。

夕食を少なくしたとしても、水分をよく摂ったり睡眠時間をたっぷり確保したり、なんなら運動したりサプリを摂ったりして、イライラしないようにできるはずだ。

朝にスイカを食べたくなっても、仮に栄養素によってそのような身体的な影響が出ているとすれば、食べる量を減らせばいいだけなのだ。コーヒーもそうだ。ミルクを足したりして胃の中に生じる刺激を和らげてあげればいい。

お風呂上がりはシャーベットを食べたくなるのは、単純に発汗して体が熱っていて、清涼感と水分を求めているだけだ。冷凍庫の氷をしゃぶっていれば済む話かもしれない。

月曜日は打ち合わせが多いから胃が痛くなっているだけなので、開き直って堂々としていればいい。「この案件の作業の進捗、どうなってる?」と詰められても正直に言えばいい。「全然終わってません!ごめんなさい」と。…うう、想像するとさすがにちょっと胃が痛くなってくるので、それならば胃薬を飲もう。それでいい。無理に思い悩むことはない。それも思い込みなのだ。

「思い込み」と書いたが、実際には、「常識」とか「固定観念」とか、そういうものにも当てはまるように思う。

勝手に考えて、勝手に悩んで、そういうことが多すぎる。私の話ですが。

だから最近は、開き直ってみたりしている。何か達成するべき目的やクリアするべき課題があって試行錯誤して悩む時間は、突破した時の達成感を一入大きくするだろう。しかし、まだ起きないことや起こるかも分からないことに対してアレコレ悩んで何もしないで居る時間は、やっぱり、勿体無いと思うのだ。経験上、あんまり嬉しい結果にはならない。それが「起こらない」ということが分かって「あっ、杞憂だったな」とホッとするだけだ。その結果が確定するまでの間に悩んだ時間を有効に使っていれば、どれだけ楽しいことや生産的なことができたか。

そもそも、そんなことを考えたのは、上の「思い込み 1.」でなんだかイライラしている自分に気付き、子供に八つ当たりのような言動を取ってしまったことがきっかけだ。

「イライラしてるな…。あっ、夕飯抜いたからか」

そこから、「じゃあ仕方ないな」と思ってしまいそうになった自分に気付いてハッとした。「いや、仕方なくないだろ」と。そういう法則があるのだったら、自分でそういう結果を生まないようにコントロールできたはずなのだ。

何も、法則やルールが見えたからと言って、それに従う必要もないのだ。勝手に自分の想像で作り出したレールに過ぎない。それに対して、あらがうことは可能なのだ。ただただ本能の奴隷にならなくてもいい。

そういうわけで、本能や常識、思い込みと戦い、私を改善・更新させていくのだ。だから、私はスイカは食べることはやめないのだ、という結論。おわり。