あさぶろ日記

note のほうに書いている記事を保管しているだけです。

花火と毒親の話。

たまに「毒親」と聞くけれど、ネットスラングなんだと思っていた。しかし、少し調べてみると、学術用語ではないものの、リアルな世界での俗語で、それなりに一般的な認知はされている言葉だということを知った。

認めたくないが、いや、認めようが認めまいが、自分はやっぱり「毒親」なのかもしれないな、と思うことが良くある。

定義はマチマチだが、このようなものらしい。

一般的には、子どもを支配したり、傷つけたりして、子どもにとって「毒」になる親のこと。スーザン・フォワードの著書『毒になる親 一生苦しむ子ども』(講談社刊、玉置悟訳)が話題となり、この本をきっかけに生まれた俗語だとされています。

毒親の特徴は、主に過干渉、過度な管理、支配、価値観の押し付けなど。子どもにとってストレスとなるような言動から、ひどい虐待行為まで「毒」であると指摘される親の行動の範囲はさまざまです。

https://allabout.co.jp/gm/gc/479721/上記のうちの「過干渉、過度な管理、支配、価値観の押し付け」という部分が、自分でも思い当たる節はある。

殴ったり暴力的なことはしないが、強い口調で叱ったり、こちらの調子で機嫌が悪くなって子供に当たってしまうこともある。ただそれよりも、「過干渉・過保護」については、かなり当てはまると思う。

以前、このような記事でも書いた。

この記事のなかでは、私自身が「他人に迷惑をかけるな」と言われながら育ってきたため、知らず知らずのうちに子供にもそのような考え方を押し付けていたかもしれない、ということを書いた。

そして、「他人に迷惑をかけない」ことがそれほど重要だと思っていない妻の考え方に触れ、自分の子供にはできればそのように育ってほしいと。

この記事で少し触れたが、私が過保護・過干渉になっている原因は、恐らく親からそう育てられたことにあると思う。なぜなら、私の両親もむちゃくちゃ過保護で過干渉だったからだ。

ただ、もう三十過ぎにもなって「ボクがこうなったのは、ママやパパのせいなんだ!」と言うつもりはない。仮に育った環境がそうであったとしても、その後、軌道修正しなかった自分に、当然責任はある。と言うか、もうこうなってしまったことは仕方がない。

では、今更どうしてそんなことを言うのかというと、やはり、自分の子供にはそうなってほしくないという思いがあるからだ。私のように過保護・過干渉になってほしくもないし、私がそういう性質を持っていたとして、その悪い影響を自分の子供には及ぼしたくないのだ。

少し弁解しておくと、問題なのは過干渉や過保護ということで、その程度が問題なのだ。子供を見守ることや、心配すること、何かやってあげたくて手伝ったりサポートすることは、当然やっていいことだと思う。というか、まだ小さいうちであれば、そのような支えがなければ、危険な目に遭うこともある。

けれど、もし「必要以上」に、そういう手出しをしてしまうと、それはもう「過」保護や、「過」干渉に当たるのだと、私は思う。そして私自身はきっと、その「必要」を超えたレベルにあるのではないかと思っている。

前置きが長くなった。実は先日、こんな出来事があったので、このような記事を書こうと思い至った。


家族で、とあるお店に買い物に行った際、帰り際にスタッフの人が駆け寄ってきた。

「あっ、こちら、もしよかったら、プレゼントです」

と、手渡されたものを見ると、「手持ち花火セット」だった。

子どもは大喜び。しかも我が家には可愛い子供が2人居るので、ご丁寧に、スタッフさんも花火セットを2つ下さった。

善意100%なのは分かる。しかしながら、私は複雑な感情だった。

ここからは、私の過保護・過干渉が炸裂するのだけれど。

まず、「花火」が怖い。

いや、私は大人なので、花火それ自体は怖くはない。怖いのは、子供がまだ小さいので、子供が遊びに夢中になるあまり、勢い余って火傷したりしないか心配なのだ。

実は下の子(娘)は、まだヨチヨチ歩きの乳幼児期、親が一瞬目を離した隙に、台所の魚焼きグリルのコンロに触れて、手を火傷したという過去がある。幸いというか、その時はすぐに皮膚科に連れて行き、処理や治療もしたので、大きなケガや傷跡にはならなかった。ただ、それでも今でも娘の手は、よく見ると薄っすら火傷の跡がある。それを見るたびに、本当に申し訳ない気持ちになる。

だからというか、娘が小さいうちは、「火」関係のものは極力近づけたくないという思いがある。娘はお肉が大好物なので、焼肉屋さんには連れて行くけれど、肉を焼く網の近くには絶対近寄らせない。彼女の分の肉はすべて私が焼いて、食べやすいように細かく切って、冷めるまですべてフーフーしたうえで、火から遠い安全な席に座る娘に渡してあげるほどだ。正直、5歳児の子供に対してそこまで手厚くサポートするのは過保護だということは自覚しているものの、「もし万が一」ということを思うと、どうしても「さぁ勝手に食べろー」とお任せはできない。

そのため、花火をやるとなると、それ相応に準備や対策をしなければ、と思ってしまう。というか、そもそも、火を放つ遊びなど、子供が振り回してしまったらどうしようと心配になってしまい、やりたくないのだ。

とにかく子供が火傷をしないようにしたい。そんな状態で花火をやるとしたら、私が花火の持ち手を持つ。色彩豊かに発光した花火を、離れたところから子供が眺める。うーん、そんな花火、楽しいわけがない。

というわけで、手持ちの花火なんて、火傷が怖くて、できればやりたくない。(ただし、打ち上げ花火は別。眺めている分には綺麗だし、近づかなければ火の粉は降ってこないはずなので。)

そして次に、他の人に迷惑をかけそう。

どういうことかというと、仮に花火をやるとして、問題になるのは、その「場所」だ。

我が家は一軒家なので、小さいものの、一応庭がある。なので、手持ち花火をやるとしたら、庭でやればいいはずだ。

しかし、どうしても私はやる気になれない。

なぜなら、庭でやれば、どんな花火でも煙や匂いが出るだろう。庭と言ったって、自宅の隣近所に誰も居ないわけではない。そうなると、その花火の煙や匂いに関して、近隣の人たちから苦情が来るかもしれない。

もちろん、ご近所さんは優しい方ばかりなので、そんなことは言わないかもしれない。でもそう言い切れるだろうか。内心はそう思っていても、敢えてそう言っていないだけかもしれない。人間の心は分からない。

では、庭以外ではどうだ。近場の公園や、川原など。そういった場所でするなら、近所迷惑は無い。本当だろうか。

公園や川原で手持ち花火をするのが可能だとしても、もし万が一、草木に引火してしまったら。そうなったら、山火事になったり、家屋が付近にあれば火災を招きかねない。最悪、死者が出る可能性もある。他人への迷惑度合いで言えば、文句無しにマックスのレベルだ。そんなことを思うと、恐ろしくてとても手放しでやりたいとは思えないのだ。

心配しすぎなのは分かっている。火の始末をきちんとすればいいのだろう。けれど、絶対は無い。そんなリスクがあると思うと、どうしてもやりたいと思えない。

結論、保留。

そんなことを色々考えて、妻に相談。

「そんな悩むんなら、バァバ(私の実母)の実家とか、広くて誰も居ないところでやるならいいんじゃない」ということで、一応落ち着いた。子供たちにもそう説明して、自宅でやるのは控えることになった。なので、結論としては一旦保留。

でも、本当にこの結論で良いんだろうか。

たしかにそれも一つの解決手段かもしれない。ただ、根本的な解決ではないような気もするのだ。

「花火くらい、自分の家でやったって良いだろう。それに、近所の人に迷惑かけたら『ごめんなさい』と謝れば済む話だ」

もう一人の自分がそう語りかける。そうなんだよな。そうなんだけど、どうしても踏み出せない。

子供を守りたい、他の人に迷惑を掛けたくない。でももしかしたら結局は、本当に守りたいのは自分だったりするのかもしれない。

こんな考え方の自分は、やっぱり毒親なんだろうな。子供たちに申し訳ないわ。最後は愚痴になってしまった。おしまい。