あさぶろ日記

note のほうに書いている記事を保管しているだけです。

じゃあこの通信簿って一体何のためにあるの?とモヤモヤしてしまった話。

私は今、モヤモヤしている。いや、イライラしていると言ってもいいかもしれない。だから、感情に任せて要らんことを書く可能性はある。不平不満が爆発する。

そのことだけ事前に書いておこうと思います。
あしからず。


さて、今年もこの時期がやってきた。

どんな時期か?小学校が夏休みに入る前のイベント。
そう、子供が通信簿を貰ってくる時期である。

というわけで、小学校に通っている息子が通信簿を貰ってきた。その中身を見たらモヤモヤしてしまった。そんな話。

私は、あまり記事で明示していなかったけれども、子供の教育に関しては「本人がやりたいなら何でもやらせてあげたい(逆にやりたくないのであれば、それほど無理にはやらせない)」と思っていて、本人に無理やり「アレやれコレやれ」とは言わないようにしている。それは勉強でも同じで、基本的に本人に任せている。(連休最終日に全然宿題をやっていないとか、目に余る時にはさすがにちょっと「大丈夫か?」とか声は掛ける)

現時点では、彼は自分から宿題をやる(やりたくてやるというよりは、「やるべきものなのだ」と思っている模様)方だし、テストについても、まぁまぁ頑張っているので、そのことについては私は「もっと勉強しろ」などと口出すつもりもない。

本人は、勉強は割と好きらしいのだが、図工とか体育とか音楽などといういわゆる実技系の教科は、そこまで好きなほうでもないようで。まぁそれに関しても、私は無理やり「克服しろ」とか「得意になれ」とまで言うつもりはない。

そういうわけで、去年の通信簿については、まぁまぁというか、そこそこの悪くない成績を、彼は取っている。いや、悪くないというと語弊があるか。ごくごく普通の平均のゾーンくらいの成績と言ったほうが適切かもしれない。そして、今回貰ってきた通信簿も、まぁまぁ、色んな教科はあるけれども、「できた」「ふつう」など、それぞれ色んな評価になっていた。(「がんばろう」は無かったはず)

ただ、まだ彼は低学年だし、好きなことを好きなだけやればいいと私は考えているので、その評価についてそこまで一喜一憂しても仕方がないことだと考えている。「この教科は本当はもっとこう評価されていいはずだ」とかそういうことも思わない。思わないのだけれど。

ただ一つ、納得がいかないことがあった。

それは、コメント欄、だ。
通信簿によっては「所見」欄と呼ぶものもあろう。

今回の記事はその話がメイン。やっと本題。
ここからワンサカ不平不満愚痴が爆発します。


去年までは、その「所見」欄に、色々と子供に対しての評価、というか学校生活での様子とかが記載されていた。

私は、上で書いたが、通信簿の教科ごとの評価などはどうでもいいと考えているが、この所見に限っては別だ。普段、家では見ることのできない子供の学校での振る舞いや言動、そういったものが、親ではない先生の立場で書かれていたりするので、実は楽しみにしている。

ちなみに、去年、息子が、学年終わりの通信簿を貰ってきたときの話は以下の記事に書いた。

この記事でも書いたのだが、そこまで私は通信簿について重要視していない。それは今年であっても同じだ。

通信簿というのは、誤解を恐れず言わせてもらうと、「できた」「ふつう」「がんばろう」といったような曖昧な評価を、愛する子供のことをろくに知りもしないどこかの誰かが、勝手な基準で教科ごとに割り振っているだけにすぎないと私は考えているので、正直言って、そこまで大きな意味は無いと思っている(子供を見ていただいている先生方には大変申し訳ないが、私の純粋な本音だ)。

そしてそれは所見欄であっても同じだ。当然、評価者の主観がたっぷり入ったものが記載されたものだと思っているので、個人的にはそこまで信じはしない。

そこまで信じはしないけれども、それでも他方で、所見欄というものは「子供の(親の知らない)もう一面」という可能性を垣間見ることのできる、貴重な情報だとも考えている。

そして今回、その所見に記載されていた内容。

楽しみにしながら覗いてみたところ、
そこには、

「個人面談でお伝え」

とだけ書かれていた。

そのコメントを書くためだけに紙面の中に大きな欄が用意されているにもかかわらず、記されていたのは、その一行のみだった。

一瞬「へ?」と、変な声が出てしまった。

個人面談?
は?

たしかに、以前、個人面談と称して、担任の先生と親(この時は妻に出てもらった)とで一対一の話し合いをしたことがある。1カ月くらい前になるだろうか。妻にはその時の会話の一部をフィードバックしてもらった記憶もある。

だが、その時は、大体が、先生から親に対して質問というか「何か困っていることはありませんか」的な話ばかりだったと伝え聞いている。したがって、子ども自身の評価というか学校での様子なんて、ほとんど情報として聞いていない。あったとしても、たかたが5分10分の面談の時に、口頭でサラッと言われただけとのことだ。もちろん書面でそのような情報があったわけではない。

そのような状態で、面談で一体「何を」伝えたというのだろう。

面談は妻が参加したが、私は聞いていない。
私も親なので、息子の保護者のはずだが・・面談に出ていない人はその情報すら提供してもらえないというのは、いささかフェアではないように思うのだが。。

というか、本来伝えるべき「所見」ってそんなにフワッとしていていいものなのだろうか。本人の良いところや改善すべきところを情報として伝えるべきものだと考えていたけれども。うーん、私がおかしいのかな。

この件で、通信簿を受け取った当初は、もう本当にモヤモヤというかイライラして、なんだか気が気ではなかった。

あまりに納得がいかなかったので、妻に学校に電話して確認してもらった。(私が電話しようと思ったけれども、頭に血が上っていて感情的なことを言ってしまいそうだったので、冷静な妻にお願いした)

すると、

**・面談の場で評価をお伝えするので通信簿に詳細は書かない、というのは、事前に書面で通知していた

・1学期はそのようにしたが、2学期以降は個々の内容を記載する**

とのことだった。

それを聞いて「あっ、そうなんだ。なるほどね!」とは、どうしてもならなかった。私は。

いや、やっぱおかしくない?

たしかに、以前(1か月くらい前)配られていたプリントを見返したら、書いてあった。小さい字で。学校としても承認済みらしい。だからって、そのペラ紙一枚だけで済ませるってどうなん、と思っている。もうちょっときちんと告知してほしかった。こっちは、そのコメントだけを楽しみにしていたのに。。

もちろん、先生の負担もあるのだろう。今回のことがあまりに不満で、ネットで通信簿について色々と調べてみた。そうしたら、「先生は、通信簿の所見欄を書く際に大変な負担がある」「時間外残業や休日返上で、全30人分の生徒の所見欄を1人1人ずつ書いている」「そもそも通信簿は任意のものなので作らなくていいものなのに、学校側が善意でやっている」とか、そういった意見が出てきた。

なるほど。それはその通りだろう。先生とはいえ、労働者だ。勤務時間は本来決まっているはずなのに、それを超えて長時間勤務して、さらには恐らく(私のような)モンスターペアレントとか問題児なんかから突き上げを食らいつつ、校長や教頭などの管理職からも諸問題を押し付けられて、そんな板挟みの厳しい環境で頑張っているのだろうと思う。

とはいえ、じゃあこの通信簿の意味って、何?と。

教科ごとの〇なんて、そんなものはどうでもよくて、私が知りたいのは、子供がどういう風に過ごしているかだけである。ここまで極論で考えているのは私だけかもしれないが。

そして、個人面談で伝えるといっても、たった5分10分話すためだけに、このご時世、わざわざ対面で全生徒の親と会う時間を作る、って、なんだか、アンマッチというか、バランスおかしくない?って思ってしまった。しかも妻によると、その面談の場では「ここでお伝えするので、通信簿にはコメント書きませんから」とかいう話も一切無かったらしい。

そうしたら、その面談って一体何の意味がある?

あんまり仕事脳で取り扱いたくないけれど、ちょっと書かせてもらう。

打合せでもいいのだが、人と会って話すときに何も客観的な情報も無い状態で、話を進めても、恐らく何も良いことはない。いや、雑談ならそれは意味があるだろう。まだ打ち解けていない人とのアイスブレイクというか、緊張をほぐすために、何でもない会話をする。ただそれは、何か物事を前に進めるとか、情報共有をするうえで、全く生産的ではない。書面とかサンプルとか、そういう手元に何か検討材料がない状態で、ああだこうだ言ったところで、話し合いの時間が終われば、大抵みんな綺麗サッパリ忘れるものだ。ただ時間が過ぎ去っただけ。

今回の面談も、特に書面での内容提示もされず、単純に口頭で「こんななんです~」と言われたところで、「はぁそうですか」と返すしかない。言っちゃあ悪いが、そんなものは面談というか、雑談。おしゃべりだ。そのような形式で提供された情報を、「所見」に代わるものだと言われたところで、やはり納得は行かない。

先生の負担軽減はもちろん大切なことだが、それなら、こんな、よく分からない物差しで〇を付けただけの通信簿など、個人的にはやはり何の意味も感じられない。

なんだか、「所見」欄に書いたことでとやかく言われたくないから、面談で言ったことで済ませるといった「逃げ」のような印象を抱いた。「言いましたからね」って。証拠が残らないからね。ただのおしゃべりならば。

でも、真剣に生徒のことを考えました?この方法。
と、そんなことを思った。

正直、こんなどうでもいいような情報しか書いていない通信簿を、後で見返して、何か思うところなんてあるのか。それは親もそうだが、子供にとっても。きっと将来これを見返したところで「え?何これ(笑)」となる姿が目に見えている。

もし負担軽減を考えるなら、せめて、面談で言った(言おうと考えていた)コメントの内容を、そのまま「所見」に貼る(もしくはそれが抵抗があるのなら、そのコメント自体を面談の場で渡す)、とかでもいいのにな。それすらできないなら、こんな通信簿自体、いっそ発行するのをやめたほうがいいのでは。と個人的には思う。

とにもかくにも、どのような意図でこんな形式にすると決定したのか、その経緯のほどは分からないが、あまりに残念。非常に残念。

うーん。なんだかな。つい感情的になって強い口調になっちゃったかなぁ。でもやっぱりモヤモヤする。