あさぶろ日記

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手段として酒を飲むことの話。

お酒が好きだ。いや、堂々とはそう言えないかもしれない。

それは私が、純粋にお酒の味や特定の品種や種別のこだわり、作り手の思い、醸造の背景とか、そういう所謂「お酒そのもの」を好んでいるわけではなくて、「お酒を飲むこと」によって齎される副次的な効果を好んでいるからだ。

具体的には、お酒を誰かと一緒に飲み、お喋りする時間。それから、一人であっても、しっぽり杯を呷って、ほろ酔いの非日常的な気分を味わう時間。もちろん、お酒の種類の好き嫌いは多少あるけれども、個人的には、そういう「酒を飲んでいる状態」や「酒を飲んで過ごしている時間」というものが好きなのかもしれない。

ただ、飲みすぎは注意。昔など、学生の頃や若い頃には、無茶な飲み方をしたりしていた。そうして飲んでいる最中や飲んだ次の日に、周りの人たちに大迷惑をかけたことは、しばしばあった。それに今だって、飲める量も減ってきたけれど、飲んだら結構すぐに気持ち悪くなってしまう。目に見えて他人に直接的な迷惑こそかけないが、二日酔いという点で自分自身に相当なダメージを与えていることになる。

今と昔で許容量が変わってきたとしても、自分の中にある基準を超えて飲むことで生まれる良い効果など、実は何も無い。そういうわけで、やっぱり飲みすぎないに越したことはないのだ。百薬の長とは聞くけれど、ほどほどがいい。あくまで経験上。

で、ほどほどに飲むことを前提として、最近また新たに、飲むことでの効能を知った。

それは「酒を飲んで酔っ払うことで、寛大になれたように錯覚できること」だ。

これは、私のような過保護で過干渉で神経質な人にとって、なかなか使える武器になる、ということを知った。特に、子供に対して、普段私は口うるさくいってしまうのだけれど、酒を飲んでいると、不思議と「まぁいいじゃん、しょうがないよな」くらいの気持ちになっていることに気付いた。あんまり細かいことが気にならなくなってしまうのだ。

子供が部屋をおもちゃで散らかしても、いつまでも宿題をやらずにテレビを観続けていても、「まあいいや、そういう時もある」と思える。

ここ最近は、まことに自分自身の問題であることは承知の上で、自分の中で無理が生じているというか。思い通りにいかないことが多かったり、先が見えない苦しみがあったりして、不満が溜まっているのを感じている。休みの日に気分転換をしたり、他のことに目を向けてみたりするが、一時的には効果はあるものの、またすぐに心の余裕が無くなる。

例えるなら、長く使い続けてぶっ壊れかけた携帯電話のバッテリーのようだ。充電したつもりでも、使い始めるとすぐに切れてしまう。どこか根本的に対処しなければならないと分かっているが、それは今回の趣旨から外れるので一旦割愛する。

で、つい感情的に、衝動的に、短絡的に、とりわけ子供に対して「こうあるべき」という態度を押し付けてしまう。そして、それに子供が同意しない・拒絶すると、その反発というかギャップが大きければ大きいほど、非常に稚拙ではあるのだが、そこで感情が爆発してしまうのだ。

しかし、酔っているとその反発自体が気にならないのか、反発があっても感情面がマヒしているのか、「ま、いっか」となってしまう。もともと、かなりの器の狭い自分が、アルコールによって、器が広くなったように錯覚するのだ。いやもしかしたら実際には、その器の大きさすらも感じられなくなっているのかもしれない。器に注がれた水はジャバジャバ溢れているのかもしれないが、それを気にしないほど脳が壊れている可能性もある。

こうなることで何が変わるか。
子供に対して、どう影響があるか。

まず親の態度が変わるので、子供にとっては「過ごしやすく」なる。そりゃそうだ。いつも「アレやれコレやれ」と口うるさい父親が、酒を飲むと、途端にアホみたいにダラけて適当になるからだ。いや私は普段から大分適当ではあるけれど、変なところで神経質で几帳面だ。それが酔った途端に大体のことはアバウトで良くなってしまう。

そのような状況下では、子供は次第に無法地帯になる。うるさい親の監視の目が緩んでいるからだ。「これもやってよさそうだ、これも大丈夫そうだぞ」と。

それから、時として理不尽な行動が出てきてしまうので、子供にとっては「大人ってダメじゃん」と思うようになる。酒を飲んで酔うと、気が大きくなったり、穏やかになる。が、その反面、「え?そんなこと気になる?」というくらい変な場面で許せなかったりする。客観的には「あれ?さっきはコレやっても怒ってなかったのに、いきなり怒り出した。いきなりどうした」みたいな。

要するに、酔っ払いというのは大抵、感情のコントロールというかハンドリングがおかしくなるのだ。だから子供からすれば、そういう人種に対して「何でそんな理不尽なことで怒られるんだ」とか「叱られる罪と罰のバランスおかしくね?」と思うかもしれない。こちら側としては理性はなるべく保とうと思っているつもりだが、酔っている最中はストッパーが効かなかったりする。言わば、情緒不安定な状態である。

そういった状況では、申し訳ないが、恐らく子供は、伸び伸びと好き勝手なことをしながらも、他方でよく分からない原因で地雷を踏まないように気を付けながら遊ぶ、ということになると思う。

これはもしかすると「遊ぶ」の部分を「働く」に変えても意味が通じる状況があるかもしれない。

伸び伸びと好き勝手なことをしながらも、他方でよく分からない原因で地雷を踏まないように気を付けながら「働く」

経験上、仕事をしていて、そういった環境にはよく遭遇する。

仕事は、大抵、最初は上手くいかなくても、次第にある程度は慣れてくるものだ。そうすると、自分なりのスタイルというかやり方が出来るようになってくる。でも、自分のやり方でのびのびとやりすぎていると、どこかで「えっ」と足を掬われることがある。

実際、私も経験がある。無双状態だなと思っていても、突然異動だとか経営方針が変わるとか、そういった、自分とは関係ない他の要因で、ガラリと状況が変わったりするのだ。

大切なことは、今の自分とその状況を注視しておき、次に何が起こるか予測して可能な限り備えておくことなのだと学んだ。あれ?何の話だ。

そういうわけで、子供たちには悪いが、酔っ払った父親のだらしなさ、そして理不尽さ、そういったものから反面教師的に社会というものを学んでほしい。というか、ダラダラすることも許してほしい。

ちなみに、こう書いていると、よほど私が飲んだくれでアル中のように見えるかもしれないが、実際には、上にも少し書いたが、少量の酒でベロベロになって気持ち悪くなる。ほとんど理性も無ければ本能も無くなって、そうして潰れて寝てしまう。だから、まだ意識のあるうちの、束の間のほろ酔い気分で好き勝手過ごす時間くらい、どうか許してほしい。というか私はさっきから一体誰に許しを乞うているのだ。本当にすいません。なので、ちょっぴり飲ませてください。色々とすみませんが。おしまい。