あさぶろ日記

note のほうに書いている記事を保管しているだけです。

本とサプリの話。

本が読みたい。けれど、ふと立ち止まって考えてみると、「本を読むこと」が目的になってやしないかと思った。

本当に必要なのは、そこではないような気がしたのだ。


最近、この note 上でも結構愚痴ってしまっていてあまり気分が良くないのだけれど、仕事が楽しくない。というか、働いている中で久々にストレスを感じている。こういう時に自分を守ってあげないと、簡単に潰れてしまう。少なくとも私は経験がある。

というわけで、仕事から離れた時間の中で、意識的にそうでないことを求めて過ごしている。家族と出掛けたり、ゲームしたり、買い物をしたりと、そうやって遊びの中で、日々の活力の充電を試みる。

その中に「本を読んで知的好奇心を刺激する」ということもやっている。学生時代から本は好きで(と言っても本の虫というわけではないけれども)、空いている時間に好きなジャンルの本を読んでいた。社会人になってからは、やっぱり仕事関係の本ばかり買うようになってしまっていたし読む冊数もどんどん減っていったが、それでも、そうでない本も意識的に買って読むようにしていた。

そうやって、「仕事関係」の本と「仕事に関係ない」本を読むことで、自分の中で振れ幅を作るというか、基準のようなものを一つに限定しないようにしていた。こうすると、多少視野の広がりというか、一方の世界で常識的なことが、もう一方ではそうでないことが分かる。それは、異文化とか慣習とかで片付けることもできるが、視点を変えれば、変革とか風穴を開ける一つの画期的なアイデアにも繋がるような気がしていたのだ。

ただ、最近はそういう「基準を増やして視野を広げる」を意識すること自体、何だかやっぱりその目的そのものが仕事と深く結び付きすぎていて良くないなと感じたりもしていた。そういう中で、今回、その仕事自体が「つまらない」「嫌だ」という状況になりつつあると、どうしてもその根底が崩れかかっているように思えてしまった。そもそも何で「視野を広げる」必要があるんだ、と。結局、仕事に通ずるものを得るためにそういうことをやっていたんじゃないのか、と。

そう思うと、途端にそのモチベーションは下がっていく。それでも読み続けていると、ただ字面を追っているだけに過ぎない状態になる。だから結局は、読み終えたところで何も頭に入ってこない。最終的には、虚しい徒労感のようなものしか残っていないことに気付く。

思うに、「読書」は、そこから知識や思考法、考えるヒント、自分に無い世界観、そういったものを自分の中に取り入れることのできる素晴らしい行為だと思う。だが、今の自分にはそれらの目的を見失い、ただ単純に「本を読むこと」が目的になっている感がある。

本を読むことそれ自体は、個人的には、もしかしたらサプリメントを飲むことに似ているように思う。どこか自分に足りない栄養を摂取する。もちろん、本を読むこと自体が好きな人も居ると思うので、必ずしもその例えは当てはまらないだろう。

しかし、少なくとも「本を読まなきゃ(サプリメントを飲まなきゃ)」と考えてしまっている私にとって、本当に必要な栄養なんて分かっていなくて、そしてその行為自体にも喜びを見出したりもしていなくて、ただ「本を読むこと(サプリメントを飲むこと)」そのものが目的になっているのだ。

今一度、本当に、読んでいて心を満たすもの、安定してフラットな状態にしてくれるもの、初心・原点に帰らせてもらうもの、そういったものを、この頃は求めているように思う。恐らくだが、そこまでして「本が読みたい」と思うのは、そういった状態に自分を戻していくための、心の栄養が足りていないからなのだろう。

幸い、昔から何度か繰り返して読んでいる本は、手元にある。捨てずにいて良かった。社会人になる前のそもそも「基準」を持たない状態の私の琴線に触れた本たちだ。ここからヒントを得たい。今の自分の、この乾いた生を潤すヒントを。