あさぶろ日記

note のほうに書いている記事を保管しているだけです。

いつのまにか真面目ばっかりにまみれていた話。

特段、何かこういうテーマの記事を書こうと思うきっかけや出来事があったわけではない。けれど、ふと昔を振り返ったり、今のことを考えたりした時、「真面目なことが前提になっているなぁ」と思った。

以下、少し長くて、回りくどいです。


人間が生まれて、成長していく。そのなかで、勉学やスポーツに励んだりする。そしてある程度の年齢を重ねていくと、仕事をするようになる。自分でビジネスを生み出す人も居れば、私のように企業や何かしらの団体に勤めて、お給料を貰うサラリーマンのような方法を選ぶ人も居る。そうして得たお金で生活をし、家族が居れば養い、そしていつか寿命を迎えて死んでいく。

このなかで一つ大事なポイントとなるのは、現在この社会では、何においても「お金」が必要になることだ。もちろん、中には自給自足という形で生活を成り立たせることができる人も居るだろう。だが、それは少数派だ。

ことに現代のこの日本という国では、経済活動を通じて生きていく人が大多数になる。そうなると、どんな形であれ、お金が関わって日常が動いていく。不労所得という言葉があるように、働かない人も居るだろうが、そういう人であっても、誰かしらを介して取引し、何かしらの購買品を得ている。現金かもしれないし電子マネーかもしれない、仮想通貨かもしれない。

けれど、人が生きるためには、食事をしたり、食事をしなくても栄養を摂取したりする必要がある。そしてそのための食料や品物は、誰かしらによって生産されている。物々交換の慣習がある地域もあるかもしれないが、貨幣経済においてはこちらのお金を相手に渡し、モノと交換している。つまり逆に言えば、ここではお金が無いと生活ができない可能性が高い。

そうすると、お金を貰うために自分に何ができるか、ということを考える。最も簡単で原理的なことは、まず働くことだ。生まれながらにして資産を受け継いでいたりする人は別として、何かしらのビジネスに足を踏み入れなければならない。それを選ぶ基準は人それぞれだ。自身の得意を仕事にする人、ラクに稼げる仕事をする人、とにかくたくさんのお金が貰えるような仕事を選ぶ人。

じゃあ今度は、ミクロ的な視点で見た時、自分自身は、一体どんな基準で選んで、そうして今はどのような思いで働いているのか

少し、自身の話と絡めて書いていきたい。

1、就職活動の話

いつからそのような取り組みがあったか定かではないが、私が大学に通っていた十数年前にはもう、就職活動というものが当たり前のように存在していた。

この言葉を簡単に説明するならば、学生側が求人を募集している企業に応募し、企業の人事担当者と面接をし、学生が「入社したい」かつ企業も「うちに来てほしい」と両想いになれば、そこで採用、つまり労働契約を結ぶことになるわけだ。もしかしたら時代によってそのスタイルは多少異なるかもしれない。今はスマートフォンがあって、その中で一通りの選考/採用プロセスが完結したりするらしい。昔は、学生が何もしなくとも、企業側から連絡が来て、豪華な接待をされ青田買いのようなこともしてくれたこともあったと聞く。

私自身の時代では、バブルはすでに弾けていたし、スマホも無かったけれども、パソコンは普及しつつあったので、リ〇ナビだとかマ〇ナビだとかの新卒就職サイトに登録して、その中で企業へ採用面接の申し込みやらメッセージのやり取りやらをしていた。パソコンを所有していない人は、大学の図書館の傍にあったコンピュータ室とか情報処理室とかに設置しているパソコンを我先にと早い者勝ちで使っていた。

就職活動が始まった途端、カラーリングやブリーチをして派手な髪色だったのに黒髪にして、カラフルな服装をしていたのに黒いリクルートスーツを着て、そうやって大多数の学生が同じような行動をしていた。学生時代に力を入れたこととか、どこかで聞いたような志望動機を並べて、それで面接官と会話が弾んだら、採用だ。「この人と一緒に働きたいか」つまりフィーリングというものである。

よほど気概のある人は別として、多くの学生がこのように他と同じようなアクションをとって、学生から社会人になろうとする。疑問を持つ人も居るだろう。しかしそのような大きい力に飲まれ、流される人の方が圧倒的に多いはずだ。

2、就職ではなく就社という話

様々な、そして幾つかのプロセスを経て、ようやく会社に入ることになる。一日のうちの大半を過ごし、それを何十年という繰り返す場所を選ぶのだ。学生が社会人になるための第一歩を踏み出す。そして、大多数の学生が辿る最初のステップとしては、それは、就職というよりも就社というものに近い。

かく言う私も、御多分に洩れずまったく同じように、そうしていた。何にも染まっていない生まれたての赤子のような状態で会社に入り、そこで鍛えられ、いつのまにか「学生」から「社会人」になっていく。昔ながらの考え方では、一度入った組織が大きければ大きいほど、そして安定していればしているほど、その組織から抜け出すことのデメリットは大きい。と考えられている。だから、必死でしがみつく。知識やノウハウを身に着け、人脈を築き、社内での地位を上げていく。そうやってサラリーマン人生を過ごして、定年まで行けば「上がり」になる。

しかし、そうも言っていられない状況になってきた。まだ中にはそういうふうな組織もあるだろうが、人々の多くは気付き始めている。自分が身に着けたアレコレが実は会社内でしか通用しないことに。そして、会社のために汗水流して人生を犠牲にしてきたとしても、肝心な時に会社は個人を守ってくれないことがあることに。

真面目に頑張っていれば、全ての人は、給料が上がって生活が良くなっていく。老後の人生まで保証される。皆が全員横並びで報われる。そんな社会や企業は、脆く崩れ始めている。皆がそれを享受できる時代は、とうの昔に終わってしまったのかもしれない。

3、「真面目」という呪縛の話

それで、話は本題に戻る。では「一体何を基準に仕事を選び、ここまで働いてきているのか」ということだ。

私にとって「仕事」=「真面目なもの」という方程式を暗に信じてきてここまで来た気がする。自身の成果を対価としてお金を貰う以上、真剣であるべきだし、そして「きちんと」していないといけないのだ、という思いがあるのだ。

少し話は脱線したように見えるかもしれない。

以前の記事で「仕事中、短パンになってみた」という内容のものを書いた。

この記事では少しふざけた書きっぷりにしてしまった(意図的ですが)が、実はこの話にも繋がってくる。

それは、この行為も「真面目」というものを解き放つ手段の一つなのだ。

就職活動をするとき、みんなと同じようにして、みんなが行くような大きい会社を目指して、無事に卒業する前に内定を得て、入社をする。そうして、みんなと同じように仕事をして、みんながYESと言ってくれるような仕事をして、そうして上から認められる。

けれど、上でも書いたように、そのような「みんなと同じように」というのが崩れてしまう時代がもうすぐそこまで来ている。というか、実際にそうなっている人たちばかりだし、私自身も、安定していると思っていた会社を辞めることになってから数社を転々としてきたけれど、組織が個人を最後まで面倒を見て守ってくれるケースなんて、そうそう無かった。結局は、自分自身で道を切り開いていかなければならないのだ。

だからこそ、改めて問う。「真面目」で居ることで、果たして自分の人生がこの先望む通りに進んでいくのだろうかと。これは自分自身に問うているので、多くの人には当てはまらないのかもしれない。

結論、ワガママなあなた(私)のために

ここからは少しワガママな書き方をしますが。

上で書いたように、お金は欲しい。けれど、より多くのお金を得る目的で、仕事によって自分自身を潰すことはしたくない。そして真面目で居ることは、ある程度は大事。だが、常にいかなる時も真面目で居続けることで、一体どのような良い効果が出てくるか。むしろ「真面目で居なければならない」として行動すること自体が、自分自身を押さえつけ、酷い場合には自分を苦しめるケースもあるかもしれない。

それならどうすべきか。結論。

・仕事は無理をしない。
・お金を貰えるくらいの成果を出す。
・そのうえで怒られない範囲で自分を解放する。

この3点なのかなと個人的には思う。

だから「真面目であること」はそこに入れる必要はないのだ。手段としては良い。けれど、「真面目で居なければならない」なんてことは無いのだ。

一つ大事なことを言い忘れていたが、仕事自体が大好きな人であればこの限りではない。これは、お金のために仕事をしなければならない、だけど出来ることなら仕事よりも自分自身を大事にしたい、というワガママな人たちのための話だ。

そういう人がどれだけ存在するか分からないが、少なくとも私はそれにあたる。そのようにワガママで、そして「不真面目」な人間なのだ。本当は「不真面目」なくせに、「真面目」なように見せかけて頑張る。就職活動や今まで仕事をしてきたアレコレは真面目にまみれてしまっていたけれど、そんなことはもうやめても良いのではないか。もっとそれ以外のところで「仕事」というものを捉え直してもいいのかもしれないな。

そう思ってこの記事を書いてみた。

もう少し続けます。

一日8時間労働だとして、1か月20日働くとしたら、
8*20=160時間。
それを1年間続けるとしたら、
160*12=1920時間。
そして、仮に20歳で就職して60歳で定年になるとしたら、
1920*40=76800時間。
つまり、社会人として働く時間は、約8万時間。

最初の前提で一日8時間としたが、これは一日24時間の三分の一に当たる。

つまり、ここにざっくりと計算した約8万時間は、乱暴に言い換えると、20歳~60歳という自身の身体がある程度自由に動く期間の、平日のその三分の一という時間であって、贅沢なことに、その時間をほぼ全てたっぷりと仕事に費やしていることになる。そのような膨大な時間で、一体あなたはどのような、そしてどのように仕事をするのか、ということだ。

どのような会社に勤めるか、どのような事業を自身で創るか、そして何歳までどれだけの時間を働くかは自由だけれど、だからこそ、どうせ働くのであれば、もう少し自分の心が赴くような「仕事」を選ぶ(もしくはそう認識し直していく)ほうが、人生が豊かになるような気がする。

ただ、不真面目になってみるつもりではあるが、クビになったり怒られて評価が下がったりすると、食いっぱぐれてしまいかねない。だからこその「怒られない範囲で」という意味で。なのでそこらへんは、程々にしていかないといけないけれども。