あさぶろ日記

note のほうに書いている記事を保管しているだけです。

三世代でお世話になったゲームの話。

実家に帰省した時に、ゲーム機を見つけた。埃をかぶっていて、ガムテープまで貼って本体を補強してある、スーパーファミコンのハード機だ。なんとも懐かしい。そして、私のそのような感情とは異なる思いで、それを嬉々として見つめる人が居た。それは、小学二年の息子だ。

以前の記事でも何度か書いているのだが、息子は生粋のスーパーマリオ好きだ。

ご存じない方のためにざっくりと、本当にざっくりと掻い摘んでスーパーマリオについて説明すると、

・キノコたちを従えたお姫様(ピーチ姫)を、
・強面なカメのバケモノ(クッパ)が誘拐して、
・赤い服の配管工のヒゲおじさん(マリオ)が、
・カメのバケモノをこらしめてお姫様を助ける

というストーリーのゲームだ。スーパーマリオのシリーズは色々な種類があるが、ほとんどこんな感じだ。でもどれも面白い。名作なのだ。

我が家には、ニンテンドースイッチは無いが、ゲームハードとしては、Wii Uとニンテンドークラシックミニがある。全てではないが、それらのハードで遊ぶことのできる大体のスーパーマリオシリーズは、一応一通りプレイしている。

ちなみに、我が家でこれらのゲームをやっているのが、息子だ。というか、我が家では彼以外はあまりゲームをやらない。私もゲームはかなり好きだが、息子の好きなようにさせている。妻や娘はそもそもゲームをしない。マリオパーティなどの大人数で遊べるソフトをやる時は家族みんなでプレイするが、基本的には、息子一人がひたすらマリオのゲームをやり込んでいるのだ。

そして、その息子が今一番ハマっているソフトというのが「スーパーマリオワールド」だ。その詳しい話はこちらの記事に書いたので、割愛する。

ゲームに頼りすぎると傷つくことがある話。|あさぶろ|note まだまだある息子とゲームの話。 現在、彼は、「スーパーマリオワールド」というゲームソフトにどハマりしている。これは私のよ note.com さて、冒頭の話に戻る。

スーパーマリオワールドが大好きな息子が、本物の(という言い方もなんだか変だが)スーパーファミコンを初めて目にしたわけだ。

息子「うわぁ、随分デカいね(本体を見ながら)」

私「クラシックミニと比べるとね」

息子「コントローラは同じだね」

私「たしかにそうね」

息子「この四角いのは何(カセットを指差して)」

私「カセットだよ。このカセットにゲームが入っている。これが色んな種類売られていて、やりたいゲームソフトを選んで、昔は買っていたんだ。だから、違うゲームソフトで遊びたい時は、一回一回カセットを交換する必要があるんだよ(そう言ってカセットを本体から外す)」

息子「すげえ!えっ、それ取れるんだ!」

私「ほら、こうやって(カセットとハードの接触部分の隙間にそれぞれフーッと息を吹きかける)」

息子「!?」

私「(カセットをガチャンとハードに取り付けて電源スイッチを入れる)」

スーファミ「(鈍い音)」

息子「すげえ、なんか動いた。でも、色が違うね」

私「え?」

ヨッシー、下半身どうした…テレサ、その色なに…たしかに、色が変…。というかバグっている。

テレサというお化けのモンスターも、本来は体が白のはずなのにカラフルになっている。ヨッシーという恐竜のような亀のようなマリオがいつも乗り物扱いしているキャラクターも、草むらが背景にある時は何故かその部分だけ体の色がオレンジに発光している。というかそもそもマリオ自体がめちゃくちゃ色黒だ。

しかし、色に問題はあるものの、操作自体は可能なので、息子はいつもWii Uのバーチャルコンソールでやっているように、何も気にせずプレイをしていた。たまに、テレサがバグのせいで背景と同化して透明になっていることに気付かずダメージを受けていて「消えてるから分かりにくいんだよなぁ」とこぼすことはあったが。

一応ゲームはできるが見にくいし、私は実家の母親に「もう壊れかけてるし、捨てちゃってもいいんじゃない?」と言ったら「うーん、まぁねえ…」と煮え切らない態度だった。

そしてしばらく、私の息子がそのゲームに熱中している姿を見て、母は一言こうこぼした。

「お父さんが生きてたら、きっと一緒にゲームしたかっただろうねえ」

ああ、そうだ。この壊れかけのスーパーファミコンは、今は亡き親父が買ってくれたものだったのだ。

私の父は、ファミコンスーファミも好きで、プレステ2が発売された時には予約してまで買うほどのゲーム好きだった。私が物心つく頃にはゲーム機は当たり前のように我が家にあって、自然と私もゲームをするようになり、ゲーム自体が生活に溶け込んでいた。

とは言え、父は別にゲーマーというほどやり込んでいた様子は無かった。父は、ゲームハードは買うものの、買っただけで満足しているように見えた。まぁ仕事が忙しくてあまり家でゆっくり遊ぶ時間などが無かったのかもしれないが。

結局は私がいつも、自分の好きなソフトを買って、それを遊ぶ道具としていた。今の我が家で息子一人がゲームで遊んでいるのと同様に、かつては私も、家でゲームをするときには決まって私一人が独占していたのだ。

ただ、私がいつもゲームで遊ぶのを父は見ていたが、別に「もうやめなさい」とか「そんなもので遊んでばかりいるんじゃない」といったことは言われた記憶は無かった。母も同じで、父と私がゲーム好きなことは知っていた。それをあまり厳しく制限するようなことをしなかった。

だからこそ母は、私の子供、つまり母にとっては孫までもが、同じようにゲームで(そして時を経て全く同じゲーム機で)遊んでいる様子が、もしかしたら嬉しかったのかもしれない。「もうこのゲーム捨てたら?」と私が言った時の母の曖昧な態度は、きっとそこにかつての父の姿や昔の思い出を重ねていたのかもしれない。

父、私、そして息子。たしかに三世代でまさか同じゲームをやるとは思わなかったな。そして母が言ったように、たしかに父が生きていたら、一緒に遊びたかったなぁと思う。三人で。

ちなみに、最近、子供から「パパの夢は?」と聞かれて、少し考えてから私はすぐにこう答えた。

「○○(息子)の孫を見ることかな。あと、○○(息子)と酒を飲むこと」

心のどこかで父を重ねているのは、私も同じかもしれない。私の父が見ることができなかった孫の姿。できることなら私は、孫よりさらにその先の、ひ孫まで見てやりたいものだ。半分冗談・半分本気で、そう考えている。