あさぶろ日記

note のほうに書いている記事を保管しているだけです。

何かに追われる生活の話。

少し時間が出来たので、久しぶりに一人で本屋に行ってみることにした。せっかくなので、近所ではなく、少し遠出をして繁華街の本屋さんへ。

まずは電車に乗る。この世界的にパンデミックな状況になってから、私の担当する仕事は、ほぼほぼリモートワークに切り替わって在宅で行うようになった。そのため、通勤のために電車に乗る機会も激減した。そもそも普段、家族でどこかに移動する手段としては自家用車を使うことが多く、電車は、ほとんど通勤のためにしか使っていなかったので、余計に乗らなくなった。というわけで今回、久々の電車だった。

最寄り駅に着いた。東京ほど都会ではないが、地方のこのようなローカルな駅でも十数分ごとに電車が次々とやってくる。改札を通り、ふと頭上の電光掲示板の電車案内を眺めた。「あっ、あと5分で電車が来る。ちょっと小走りすれば間に合うかな?」と瞬間的に思う。が、もう一度よく思い直してみる。

ん?どうして急ぐ必要があるんだ

上で書いたように、1時間に1本しか電車が来ないようなよほどの田舎ならまだしも、十分弱でも待てば次の電車が来る。少しでも無駄がないように、走って電車に間に合わせようとしていた。無意識に急ごうとしていた。無理に、時間に縛られる必要など無いはずだ。そもそも急ぐ理由が無い。ただ本屋に行くだけなのだから。そのため、自分のペースで歩いてプラットフォームに向かった。結果、急がなくとも、一番早い電車に間に合った。

そして電車に乗り込む。無意識に、空席を探してしまう。できれば端っこの座席がいいなぁ。こんな時代だし、人との距離を取りたいしな。・・あった!そこでまた歩く速度を上げてしまう。と、また少し立ち止まって思考する。

「あれっ、また急いでいる。そんなに端っこの席に座らなくてはならない必要があるんだろうか

別に席が空いていれば座ればいいし、空いていなければ立っていればいい。健康なんだし、目的の駅まではたかだか30分もしないんだから。

結局、車内の席は割と空いていたので座ることができた。さて、ここからは、ただただ電車に揺られて目的地まで何もしなくていい時間だ。しかし、やっぱりどこかでそんな「暇な時間」を潰そうとしている自分に気付く。手持無沙汰な時間、何か勉強になる本がないかとカバンに手を伸ばす。こういう時に限ってカバンの中に本は入っていなかった。ならばと、スマホを触って、ひたすら何でもない情報を得る。いやいや、やっぱりこの時間を使って note でも更新しようか。有効活用しなきゃ。でも待てよ。

「なんでそんなに、わざわざ『やるべき何か』を探してまで、暇を潰そうとしているのだ

せっかく何もしないでいい時間なんだから、ただボーッとしているだけでいい。スマホをポケットにしまい、目を閉じて音楽を聴くことにした。

そしてあっという間に目的の駅に到着し、降車。繁華街に着いた。さて、本屋に行く。普段は、家族と一緒に行動することが多いので、こうして自分一人のために使う時間は貴重だ。さぁどんな本があるかな。と、しばらく様々なジャンルの本棚を眺めて、本を物色していた。

が、いつのまにか疲れていることに気付いた。疲れているというか、肩に力が入っている。なぜか。それは、自分が無意識に「仕事に役立つ本」ばかり探していることに気付いたからだ。

興味・関心のある本を探そうと思って本屋に来たはずなのに、結局、仕事に直結するコンテンツを求めていた。たしかに仕事で必要な知識というものが、今の自分に足りているとは思わない。しかし、それらの知識はまずは家にある本から吸収するほうがいい。まだ読んでいない本がたくさんあるんだから。今ここに来たのは、仕事に役立つとか役立たないとかは関係ない、純粋に自分が読んでいて面白い本を探すため。

結局のところ、気付けば数時間は滞在していて、本屋を出る頃には、辺りは暗くなっていた。

ちなみに、購入した本は、海堂尊の小説1冊、日本行事に関する文庫本1冊、それから、ビジネス的な自己啓発本1冊と、IoTに関する本1冊だ。やっぱり仕事っぽいというか真面目な本も幾つか買ってしまったけれど、小説を買えただけでも個人的には大きな収穫だ。昔は小説を読むのが好きだったけれど、もうここ10年近くはそういう本を読むことがなかった。日本行事のものは、本当に趣味。というか好奇心。日本で生まれ育ってもう30年を超えているというのに、日本の「伝統行事」とか「しきたり」とかそういうもののを実は自分はあまり分かっていないと思って、気になっていたのだ。

この一日で分かったのは、気が付かないうちに自分自身で、何かに追われるような生活にしてしまっているような気がしたということだ。

「時間」「仕事」「必要」「効率」「知識」そういった、一見自分にとって「大事」に見えるようなアレコレが、常に自分の頭を占めて、生活を、つまり自分自身の時間を、見えない強いエネルギーで支配しているような気がした。表現は難しいが、心が窮屈になっている感じだ。空き時間を見つけたらカッチリと隙間なく「やるべきこと」を詰め込むような。そんな状態では、余裕も無くなるし、何より疲れるのだ。

それに気付いた反動からなのか、この頃は、意識的に「無駄」を求めたりしている。時間の無駄や、思考の無駄。それらを欲している。もしかしたら、そうやってバランスをとってみているのかもしれない。のんびり歩いたって、何にもしていない時間があったって、本当は良いはずだ。むしろそういう時間も大事なんじゃないかとさえ思う

それにしても、久々に読む小説は、やっぱり面白いな。