あさぶろ日記

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好きと嫌いと距離感の話。

小学生の息子が、友達とケンカをして帰ってきた。

事の発端は、息子が使っていた筆箱を、その友達がペロッと舐めたからだという。筆箱には、大正時代に少年たちが鬼をやっつけるという話の某人気アニメの絵が描かれている。そのアニメも筆箱も、息子にとっては大のお気に入りのものだ。だから、そのような大切なものを他人が舐めて汚したことが許せなかったのだろう、彼は「もう●●とは遊ばない。謝ってくるまで絶対許さない。大嫌いだ」と言って憤怒していた。

個人的には「えっ、たしかに気持ち悪いけどそのくらいで・・?」と思わないでもないが、当時の状況は分からない。どの程度舐めたのか、上では「ペロッと」と書いたが、もしかしたら「ベロベロベロ」という具合かもしれない。いずれにせよ、その友達(Kくん、とする)はその行為に対して息子に謝罪が無かったことで、どうにも息子は腹の虫が収まらないようだ。「△△や□□(Kくんとは別の友達)も俺の味方をしてくれている。K はグループ(仲良しグループ)を抜けてもらう」と言っていた。

その話を聞いて、私は彼にこう言った。

「話は分かった。キミが怒る理由もよく分かる。けれど、もしKくんの立場だったら、味方も居なくて敵が大勢居たら、謝ろうと思う?『悪かったな』と思っていても、キミ以外の△△や□□がみんなKのことを攻撃していたら、そりゃ謝る気にはならないはずだ。△△や□□は今回のケンカに関係ないじゃん。グループを抜けてもらうというのも、仲間外れみたいで良くないよ。もう一度、キミがKと、一対一で話し合うことが一番だとパパは思う」

息子は最初「いや、でもさぁ・・」と言って反抗していたが、しまいには無言で何か考えているようだった。

ちょっと正論で詰めすぎたかな、とも思ったが、そこは息子のコミュニケーション力を信じてみようと思った。本来、人が大好きな彼だ。実はそのKくんというのも、そのケンカをする前までは、息子は彼のことを評してこんな感じのことを言っていた。

「俺さ、家はあんまり好きじゃないんだよな。それよりも学校が好きだから。Kが居るから楽しいんだよ。Kは面白くってさ、大好きなんだ」

ケンカしてそれだけ嫌いになれるということは、もともとは関心があるということだ。息子もKくんのことが大好きだからこそ、感情をぶつけるくらいの距離感で居られたということだ。本来、興味も関心もない人に対しては、「嫌だなぁ」という感情を抱くことはあっても、「大嫌いだ!」と面と向かってケンカしたくなることは無いと思う。それは大人になって余計そう思うのかもしれないが、そういう人に対して自分のエネルギーを割くこと自体が無駄に思えてしまうからだ。だから、ケンカできる人というのは、心の距離も本当は近いのだろうと私は思う。逆に、仲が良すぎたのかもしれない。

ケンカがあったと言っていたのが昨日。さて、今日息子が帰ってきたら、一体どういう展開を迎えているのか。

そのまま嫌悪を引きずって疎遠になってしまうこともあるだろうし、何事もなくさっぱりとしてケロッと仲直りすることもあるだろう。彼のコミュニケーションと人間性が、どのように対人関係を築いていくのか。人と人との距離を、今後どうやってとっていくようになるのか。今の時点では、陰ながら見守っていくしかないかなと思っている。

それにしても、友人とケンカするなんて、成長したなと思う。あんなに小さかった息子が、一丁前に誰かとコミュニティを作ってそのなかで交流したりやり取りをしているのだ。感慨深く感じる。

その反面、自分自身に目を向けてみる。年を重ねると友人と呼べる人すら片手で数えるほどしか居なくなり、おまけにこんな時代で、彼らに会うことすらままならなくなってきている。そんなことを思うと、なんだか少し寂しさを感じる。なんの損得勘定も利害関係も優越感も無く、家族以外の誰か他人と接する、なんてのが難しくなったのは、一体いつからなんだろ。

さて、子供のお迎え行ってきます。一週間お疲れさまでした。