あさぶろ日記

note のほうに書いている記事を保管しているだけです。

今日もまたこっそりと note を書いていることについての話。

他の方の note の記事を読んでいて、「自分が note を書いていることが家族にバレた」という内容のものがあった。

さて、自分ならどうするのだろうと考えてみた。

まず前提として、私自身、note を利用して日常のあれやこれやを記事にしているということについて、家族には伝えていない。隠れてコソコソ…というわけではないけれど、時間を見つけて「あっ、更新しよう」と思い立ち、記事をバーッと書くことがほとんどだ。けれど、家族と一緒に居る前では、なるべくなら書かない。なぜなら、可能な限り家族と過ごす時間を最優先にしているためだ。そうなると、朝起きて家族がまだ寝ている時間や、日中帯の仕事をしている合間の休憩時間、どこかしらに一人で移動中の手持ち無沙汰な時間、といった一人で居る細切れの時間を見つけて、note を書くことになる。

結果的に、それは家族に対して秘密の行為になってしまっている。そしてわざわざ「実はさ、note ってとこで文章を書いてるんだよね」なんてことを言うつもりもない。そのため、私も「家族にバレる」という可能性は存在する。

では、バレたらどうするか。そうなったら仕方がないので「そうそう、実はこんなことを書いててさ」と伝えるしかない。ただ、子供や妻がそれを知ったうえで、もし過去に私が書いた幾つかの記事を読み漁ったりしていたらどうなるか。「へえ、コイツこんなこと考えてたのかよ…キモ…」と思われてしまうかもしれない。それは恥ずかしい。

だけど、ちょっと恥ずかしい、くらいだ。「ああもうやめてよ!見ないでよ!」と取り乱すほどのレベルではない。そう考えている。どの記事も、それなりに自分の常識的なフィルタを通しているつもりだし、倫理に外れた内容のことは書いていない、はずだ。大体、しょうもない記事ばかりなので、読まれて私の株が下がるようなものはないと思っている。というか、もとより、そこまで私自身の評価など高いものではない。

ただ、現実世界の「自分」と、note で記事を綴る「自分」は、やっぱりどこか違う。それはあくまで見え方というか、側面という意味において。

だから、もし家族や、そして知人や友人にも教えていないので、彼らが私の記事を読んだ時には、「あっ、こういう一面があるんだ」という気付きを彼らに対して提供できるというだけで意味があるかも、と思っている。

人はいつか死ぬ。そしてそれがいつになるのかは、厳密には分からない。だったら、もし残された人で、現実社会の私を知っている人であったとしたら、もうこの世には居ない私のもう一人の私を見つけて「ああ、そうだったんだ」と思ってくれるだけで良い。少なくとも私はそう考えている。

そして結局、あんまり恥ずかしいことは書けねえなあ、ということになる。いつ、知り合いかなんかにバレてもいいように。「どこに出しても恥ずかしくない奴に育ててやるんだ」というか。違うか。

でも本音を言えば、生きてる間はあんまりバレたくない。その間は思いっきり、この世で生きていることの喜びを、傍に居て私と同じ時間を過ごしてくれている人たちへの感謝を、そのような幸せな生を過ごせていたということを、綴っていけたら。もしバレるなら、自分が死んだ後でいいかな。