あさぶろ日記

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想像と想定の話。

ワクワクすることが、最近少ない。

原因は何となく分かっている。この4月から、今までやってきたものとは違う領域の業務が増えていて、まだ慣れない日々が続いているからだ。思考するよりも、まず行動する日々だ。頭で考え、覚え込んで、理解する、ということが大切なのは分かっているが、時間に流され、身動きが取れず、目の前のことに押しつぶされそうになっている。

結果、時間ばかり過ぎていき、アウトプットは何も無い。そんな毎日を過ごしている。そのような状態では、ワクワクするはずがない。決して辛いという状態ではないけれど、これではいけない。

思うに、「想像」と「想定」は、改めて考えてみると当然のことながら全く異なる。

ワクワクが生まれるのは「想像」によるものが大きいと、私は考える。今はまだ無いものを、思いや妄想を膨らませて、それが現実世界で形になったとしたら、どう世界が変わるのか、どう自分が変わるのか、そしてどんな嬉しいことが起こるのか。それを考えると、ワクワクする。自然と笑みが溢れていたりする。

もちろん、良い想像ばかりではなく、悪い想像もあるだろう。「こんなことが起きたらどうしよう」「もしこれをして失敗したら取り返しがつかない」そんなことをイメージして不安に駆られれば、ワクワクはしない。

では、そのような時にはどうするか。そういう時は「想定」する。「こういう出来事が起こるかもしれない。それなら、対策としてこういうことを考えておこう」想像によって膨らみ、漠然と現れた不安を、より具体的な形で考える。まだ起きていないことという意味では「想像」と似ているが、こちらのほうは個別具体的にケースを考えていく。

「想像」が「膨らませるもの」であるとすると、「想定」は「網を張るもの」だと思う。

起き得るケースを洗い出して、良くない事態にならないように未然に防ぎ、それが難しかったり現時点では判断がつかない場合には、それが起きたときの影響度やダメージを計算しておいて、代替策や復旧プランを考えておく。言わば、「対処法」を事前に考えて、あらゆる場所に網を張っておくのだ。それが「想定」だ。これを考えている時は、大抵、笑顔ではない。切羽詰まったような、張り詰めたような、険しい顔だ。

今現在、自分が日常的にしている仕事は、この「想定」のことが多い。「想像」の部分が足りない。だからワクワクしないのだろう。

そうなると、「仕事でワクワクできるよう思考のモードをチェンジしてみよう」というのも一つの手だ。それができるなら最も手っ取り早い。

しかし、それがなかなか難しいこともある。そんな時には、少し自分の時間を持って、好きなことに触れたり、全然仕事とは関係のない、自分の心が惹かれるものに浸かってみたりすることも大切なのかもしれない。

無理はせず、気にし過ぎず、自分とその人生の時間を大事にしていきたい。