あさぶろ日記

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子どもに好かれたいのに、嫌われるようなことをしてしまう話。

ネガティブというか、負の感情のお話。モヤモヤして書かずには居られなかった。ポジティブで居たい方は、お読みにならないほうが良いかもしれないです。

子どもが通っている小学校や保育園は、春休みに入った。我が家は共働きなので、本来なら、長期休みであろうが関係なく、学童や保育園に子供を預けるところだ。

しかし、昨今の感染症の影響で、子供たちも濃厚接触者となり、家で過ごさねばならない日々が続いている。私は在宅ワークなので、家に子供だけという状況は避けることができているものの、やはり「子守と仕事は両立しない」ということを強く痛感する毎日だ。どちらかを犠牲にするか、どちらもやろうとするなら、必ずどちらも中途半端になる。少なくとも私はそうなる。そして、そんな日常が続けば続くほど、色々なところに支障が出ている気もする。

こういう時に限って、期限の差し迫った作業があったりする。他方で子どものほうも、ふざけていたり構ってほしそうにしていたり言いにくい要求があったりで、何かしらこちらに対応を求めることをしてくる。後々考えれば、親として一方的に独善的に、こちらの言うことを子供に聞かせたかったり、コントロールしようとしていたのだろう。そんな大人げない思いが行動に出てしまった。また子供に対して、声を荒げて怒ってしまった。そして、怒鳴った後に、愚かなことに、毎度、猛烈な自己嫌悪に陥る。

泣きべそをかいて部屋を出ていく息子を横目に、PCのディスプレイに視線を戻し、急ぎの仕事を片付ける。けれど、集中できない。本当に嫌だ。どうしてこんなに、気持ちに余裕が無くなってしまったのだろう。

思えば、自分が親からされて嫌だったことを、自分も子供に対してやってしまっている

私も、父親から怒鳴られることが怖くて嫌で仕方なかった。攻撃的、威圧的。威嚇するような物言い。強い口調。まるで権力者だ。それだけ聞くと恐ろしい存在に見えるが、普段は物静かで、心優しい父だった。嫌だったのは、父の態度だけのはずだった。当時、私も父のことを分かってあげることをせず、歩み寄りをしなかった。そうしたら、いつしか私は、態度のみならず、父自身のことまでも毛嫌いするようになっていた。

でも、父が亡くなってからは、不思議と父のことを嫌いな気持ちなんて、感じなくなった。だが、それでは遅いのだ。死んでから「良い人だったね」では遅い。亡くなった父は、恐らくもっと「子供に好かれたい」と思っていたに違いない。私が今、そう熱望しているように。

父のとった態度は、叱った口調は、今でも私の脳裏にこびりついている。それは、私が息子にとった態度と、ほとんど変わりがないように思う。

負の連鎖。断ち切るすべは、やはり自分を律する以外無い

過去に幾つも記事を書いているのに。何度も、「父は忘れる」を読むが、また繰り返してしまう。ダメ親だ。昨今の定義だと、恐らく「毒親」というものにも該当するかもしれない。

それでもやっぱり息子のことが好きだし、大切な存在だし、向き合うしかない。向き合いたい。生きているうちに歩み寄って、負の気持ちを可能な限り拭っておきたい。都合の良い考えだと思うし、勝手な罪滅ぼしだということは重々承知しているが、本当は、こんなつまらないことなんかで怒る親になりたくないし、こんなことで子供に嫌われたくはないのだ。

さっき、機嫌が直った息子をハグさせてもらった。そして上記のことを彼に伝えた。「申し訳なかった。パパも、パパのパパに怒られたときはすごく怖くて嫌だったのを思い出したよ。ごめんね。次から気を付けるよ、ごめん・・」と。そうしたら彼は「じゃあ、俺は自分の子供には優しくしようかな」と言ってくれた。

彼は優しくて賢い子だから、私の話を頷いて聞いてくれた。だからと言って私の行為が許されていいはずがない。彼の心にも傷を負わせていると思う。彼を抱きしめた時のあたたかい体温が、あどけない笑顔が、余計に自分の心を苦しくさせた。後戻りできなくなる前に、自分を変えていこう。

戒め、参考になる記事。

「圧倒的権力者」親たちが犯すとんでもない失敗 | 子どもを本当に幸せにする「親の力」 ほとんどの親は、親であることに甘えています。なぜなら、親は圧倒的な権力者だからです。それに対して、子どもは弱い存在です。子 toyokeizai.net

子どもを1人の人間としてリスペクトしてください。「この言葉は大人同士でも言える言葉なのか?」というのが1つの基準になります。大人同士ではとても言えないようなひどい言葉は、子どもにも言ってはいけないのです。