あさぶろ日記

note のほうに書いている記事を保管しているだけです。

通信簿と職場に見た「変わらないこと」と「変わっていくこと」の話。

修了式。

小学一年の息子が、今年度最後の通信簿を貰ってきた。ついつい親としては気になってしまいがちな評価に関しては、「できた」も「ふつう」もあった。ただ、「がんばろう」は一つも無かった。全体的には、今のところ苦手なものは無くて、どの教科もそこそこ頑張っている感じなのかな、と思う。

しかし、以前に記事にもしたが、学校からの評価など、正直どうでもいいと私は思っている。

他者から評価されることについての話。|あさぶろ|note もうすっかり年の瀬。先日、小学校一年の息子も終業式を迎え、二学期を終えた。 そして通信簿も貰ってきた。中身を見る前まで、 note.com その考えは、記事を書いた時点から今までも全く変わっていない。勝手な基準をもとに、他人が下した一瞬間の断面の評価なんかよりも、本人が何かに打ち込んだりする熱意や大切にしているものがあるなら、それを守り育てて継続できる方が、何より大事なことだと私は考える。

ただ、そうは言っても、家庭以外での彼の様子を垣間見ることのできる機会というのは、実はあまり無くて。ましてや、誰かによって発せられた言葉ではなく、記された文章という、客観的に認識できて手元に残るものとしてそれが表現されているものを知ることは、なかなか有難い。

その一つに、通信簿に記載されていたコメントで、彼を評して「国際理解や異文化交流の学習で、他国の文化や生活に触れて、自分たちとは異なる文化の良さに気付いていました」といったものがあった。

具体的にどのような授業だったのか分からないが、彼が他人に対して関心があり、そしてきっと優しい気持ちで接していることが見えた気がして、胸が少しホッコリした。

あんまり息子のことを書きすぎても気が引けるが、彼は、家では内弁慶で横暴な時もあるが、学校では割と大人しく、だけど友達のことは大好きなようだった。彼から、誰かに対する悪口の言葉を全く聞いたことがない。親バカを承知で言うが、心優しい子だ。

新学年になったら、クラスも変わってそれまで仲良く遊んでいた子たちと別れることもあるだろう。それでも、彼が変わらず友達を大切にして、また、他の子も彼の良さに気付いてもらえたら嬉しい。環境が変わっても大切にしてもらいたい。

新年度。では、社会人にとってはどうだろう。

私は、現在の会社で、そして現在の部署で働くようになってから、特にそれを意識することが無くなった。

以前の職場は、4月になれば新入社員が入ってきて、研修を終えたら「自分たちの部署にはどんな新人が配属されるかな」なんてワクワクしたりすることもあった。

だが、私が身を置いている今の環境ではそのようなことはない。それは、所属するチームが割と専門的な知識を要求されるところなので、新人がいきなり配属されるというのはまず無いからだ。それに、言ってしまえばコストセンター的な立ち位置でもある。人事としても、期待をかけた新入社員のキャリアのスタートを、そのような部署に預けることはしない。

そのため、新年度になったとしても、私の職場では、いつも通り変わらず、ただ淡々と日々の業務をこなすだけだ。それが悪いと言っているわけではない。むしろ、その方が何にも左右されず心の安定はあるので、仕事を進める上で気がラクだ。新入社員が来たら来たで、普段の業務に加えて、業務説明、研修、勉強会、OJTなど、新人教育に割く時間が増える。そのような大変な思いをしなくていい。

ただ、やはり環境の変化というか、新たな節目として「おお、組織が新しくなっていっているな」というのを感じられないことは、それはそれで寂しさもある。ある種のイベントとして。例えるなら「あっ、今年も桜が咲いてきたな、春だな」みたいな。

安定と変化。

どちらを取るというわけではなく、そのどちらも共存しながら、そこで働くことができる。そうすることで、組織として、従業員が働きやすく、かつ社会的に生き残れるような存在になっていくのかなとも思う。

そして、きっとそれはどんな環境でも同じで。そういう「変わらないこと」と「変わっていくこと」の狭間というか繰り返しというか、その中でどう生きていくか。そうやって日々を過ごしていくのだろう。

桜は咲いてきている。もう春だ。