あさぶろ日記

note のほうに書いている記事を保管しているだけです。

答えはいつも・・・の話。

我が家の朝のルーチンに、Eテレの「0655」という番組を観るというものがある。

朝の6時55分から始まる番組だから、この番組名なんだと思う。観始めたのは2010年頃だったはずなので、なんだかんだでもう10年以上は視聴を続けている。ちなみに、姉妹番組(そんな言葉あるのか?)として、夜の23時55分から始まる「2355」という番組もある。だが、子供が生まれて以降、我が家は遅くても21時前には寝るようになってしまったので、残念ながらこっちのほうはあまり観ることができていない。ただ、どちらも、なかなかに緩くて、観ていて心地の良い番組だ。

で、この番組では大抵、番組オリジナルソングが流れる。それはもうたくさんの種類の歌があるのだが、今週は、「こたえはいつも3!」という曲だった。

歌詞の中で「1+2=( )」とか「石の上にも( )年」とか「トライアングルは( )角形」とか、答えが常に「3」になるような問いが数多く出てくる。なかには「太陽英語で( )」(※SUN:サン)とか斜め上の問いもあるが、とにかく答えはいつも「3」なのだ。歌い手であるネバヤンの安部さんも最高だし、たまらなくゆるくて陽気で、楽しい気持ちになる。朝からトクした気分になる一週間だった。

で、その歌の中でこんなフレーズがある。

世の中こたえのないことばかりだけど
この歌くらい いいじゃない
さあ自信をもって セイ、3!

この部分がたまらなく好きだ。

働いているともう、答えが無いことばかりで辛くなることがある。

だから、つい答えがある問題に惹かれたりする。やればやるだけ結果が出て、分かりやすくカチッと問いと答えが一本道で繋がっているような。たまに、全然業務と関係ない問題集とか解きたくなる。クイズとかもそうなのかな。答えを見て「あ~なるほど!」と言いたい。結果だけでなく、プロセスの正しさも解説してくれるものなら、自分の思考回路が「正しい」道を歩んできたのか、確かめたい。そうやって「答え」に辿り着く快感を得る。

けれど、多分、そうやって「答え」が常に用意されていると、それはそれで「面白くない」という感情を持ったりもする。「知っているんだったら早く教えてくれよ。まどろっこしいよ」みたいな。

そう考えると贅沢である。どっちが良いというわけではないのだが、単にそれは思考のコンディションによるのかなとも思う。

私の個人的な考えだけれど、世の中で「仕事」と言われていることは、基本的には「答え」は無いと思っている。そうなると本来「正しさ」も無いはずなんだけど、それはそれとして「正しらしさ」みたいなものを突き詰めて、特定していく必要はある。言ってみれば、「普遍的な正しさが無いなら、個々のもの全てが正しいじゃん」というわけではなくて、「その中でも、最も『正しさ』に近いもの」を選んで進んでいかなければならない。

たとえば「俺はこのプランが絶対良いと思う」と思って社内でガンガン推し進めていっても、結局、上司とか上層部とかに提案して「いや、それは無いでしょ」と言われたら、そこでおしまい。社内のコンセンサスとしてそのプランは「正しい」という評価じゃなかったからだ。

でもそれは、所属する集団によって変わる可能性もある。他社だったら「いいねそれ!」となるかもしれない。つまるところ、絶対的な「正しさ」なんて無いけれど、ある集団の中での「(色々選択肢はあるけれど、検討したうえで、きっとこれが最も)正しい(っぽいな)」という意思決定が働いているのだ。

だからそういう、数多くの「問い」にまみれて、正しさの見えない「答え」を探す毎日を過ごしていると、たまには「正解を教えてくれよ・・」という気分になったりもする。

そんなわけで「こたえはいつも3!」を聴くと安心するのだ。

答えはいつも3!
この歌では3!
どうもありがとごくろう3!

ちなみに、曲の最後の「ごくろう3」の部分について、いつもうちの子供たちは、笑いながら「ごくろうさんの『さん』は違うよね。3じゃないよね」なんて言っている。その通りだ。でも、これでいいのよ。そういう時もあるのよ。