あさぶろ日記

note のほうに書いている記事を保管しているだけです。

穏やかな気候と素直な気持ちの話。

良い気候になってきた。私の住む関東地方では、外はまだ風が若干冷たいながらも、日差しが温かい。散歩するにはちょうど良い。

先日コロナに感染して以降、既定の療養期間は明けたのだけれど、実は体調があまり良くない日々が続いていた(これについては、後で記事でまとめて記録に残そうと思う)。だけれど、今日はだいぶ調子が良い。

普段意識しない「健康のありがたみ」は、皮肉なことに、不健康になってからが、最も身に染みて良く分かる。

こんな良い天気の日は、この歌が聴きたくなる。

歩む日々に

ーodol

歌詞も良いが、メロディも良い。穏やかで、今日の天気のよう。歌声も綺麗で、爽やかで、落ち着く。すっきりと澄んだ気持ちになる。一見当たり前のような日常が、こんなにも大切なものなんだと思わされる。

私は、誰かと話したりすると、つい謙遜してしまったりする。
「いやぁ私なんてまだまだですよ」とか「全然ダメなんですけどね」とか「そんな良いもんじゃないっすよ」とか。本当は、そういう謙遜が嫌いだ。だけど、きっぱり決別することもできない。

なぜなら、臆病だからだ。
私の使う謙遜は、自分を卑下する言葉や行為そのものは、きっと自分を守るために使っているのだと思う。誰かに責められる前に、自分で自分を責めておく。言わば、自己防衛だ。本当は幸せなのに、本当は嬉しいのに、でも口先では「そんなことないっすよ~」と言う。言霊の力を信じている一方で、ひとたび言葉に出したら、その力がフッと消えてしまうかもしれない恐怖。自分は満たされている、幸福だ、と認めてしまったら、その状態がいずれ失われてしまうのではないかという不安。
心の中に渦巻く「そんなに良いことがずっと続くはずが無い」という漠然としたモヤモヤした気持ちを払拭するために、また、何処かの誰かの恵まれない境遇に配慮して、無駄に妬みや嫉みを生まないために、自分で自分を「そうではない」というふうに見せておく。だから、頭では肯定しているのに、口頭で否定っぽくしておく。そうしておけば、後で本当に「そうではない」状態になった時に、他人に対しては「嘘をついていない自分」を表現することができるし、自分自身に対しても「ほらやっぱり」と思えるからだ。
要するに、手の中にある宝を失うことが怖いのだ。

でも、せめてこの note では、少しでも本音を語らせてほしい。素直な気持ちで。この言葉や文章自体、きっと私の心や頭から飛び出してカタチになった瞬間に、実は100%言いたかったこととズレてしまう可能性はある。だけどそれでも、やっぱり私は、今のこの自分が一番、好きだ。そう言いたい。不満に思うことも、悔しいことも、辛いこともあったけど、そしてそれらは今だって当然あるけれど、この今の瞬間、自分は生きているし、すごくそれが幸せだと思える。たとえこの先、不運なことや不幸なことが起きても、今この瞬間は幸せだと言いたい。ここでは、謙遜したくない。素直で居たい。

仕事終わり、子どもを保育園や学童から迎えに行くまでの時間、妻と一緒に散歩して買い物に行ったりする時間が、この穏やかな時間が、何とも言えず私は幸福だと感じる。

上で紹介した歌を聴くと、そんな温かい、綺麗な気持ちになる。荒んだり汚れたりしていた心が、一回ザブンと洗い流されるというか。むしろそういう気分になりたいときに聴くと、自然とそういう状態に近づく気がする。
本当は、この後で歌詞の気に入ったフレーズを引用しようと思ったけれど、やめた。よくよく歌詞を読み直したら、どのフレーズも素晴らしくて選ぶことができなかったのだ。