あさぶろ日記

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対面とテキストのコミュニケーションの話。

このご時世、在宅で仕事をする機会も増えた。私などはフルリモートと言ってもいい。会社はフリーアドレス化して、私個人のデスクなどはもう無い。ただ、孤独ではない。幸いなことに、毎日ではないものの、妻も在宅ワークをする日も多い。だから、そういう時は話し相手に困ることは無い。

というかそもそも、私は筋金入りのコミュ障なので、家族以外の他人と会話をするという行為が、大の苦手だ。

朝のゴミ出しの時に近所の人にばったり会っても、ろくに会話も続けることができない。最低限「おはようございます」とヘラヘラしながら発するのみだ。たまに、妻と一緒に子供を迎えに保育園に行っても、先生と話すのはもっぱら妻のほうで、私はただヘラヘラしながら何も言わずにその横で突っ立っているだけだ。ちなみに、私のそんな様子について、妻からは「まるでカカシだ」と呼ばれている。ただ立っているだけだからだ。しかし否定することはできない。事実だからだ。だから、仕事上でのやりとりの必要性があるなら仕方なくやるけれど、本当は、極力避けて通りたいほどなのだ。雑談なども、よほどのことがない限り、自分から主体的にしようと思わない。

ただ、それは、「対面コミュニケーション」に限った話だ。

今読んでいる雑誌によれば、どうやら「テレワークになってから、いつどのタイミングでチャットをしていいか分からない」とか「テレワークだと、メールの文面が冷たくて孤立感をおぼえる」とか、そういう悩みを持つ人も多いようだ。きっとそれは、コミュニケーションをとる前提に「対面」という要素が当たり前にあるから生じるものだと、私は思っている。このテレワーク時代に「対面ではこうしていたから・・」という意識でコミュニケーションをとろうとすれば、それは上手くいかなくて当然だ。

その点、私自身に限ってはそのようなことは気にしたことがない。なぜなら最初から「対面コミュニケーション」自体が苦手だからだ。対面でのコミュニケーションに関して、自分には、何のノウハウも成功体験も無い。

考え方によっては、在宅でオンラインでやりとりするのであれば、いきなり相手に電話をかけて「対面」っぽいやり方をとることも可能だ。でも、それこそ嫌がる人も居るだろうし、何より直接相手をつかまえて時間を拘束するので、先方の都合が影響するため、効率が悪い。そうすると、どうしてもメールやチャットなどの「テキストコミュニケーション」が主流になる。

私は別に「テキストコミュニケーション」に関してもノウハウなどは無いが、それでも、自分の考えや意見を相手に伝える方法として、「タイプする」だけでいいのだから、これほど楽なことはない。特に私のように対面だと何を喋っていいか分からず、そもそも話しかけるのも気が引けてしまう人間であれば、なおさらだ。ただ「タイプ」してメッセージを送信すれば、仕事上のやりとりも簡単だ。何も難しいことはない。

もちろん、「相手にどう送ったら伝わるだろうか」とか「言いたいことをシンプルにまとめないと」とか、そういうテクニック的な観点も必要だと思う。しかし、「ああ、課長はいつもより無言だな。もしかしたら機嫌が悪いのかもしれないな。困ったな、今日中に申請書類にハンコが欲しいのにな・・」とか考えて、話そうか話すまいか迷ったりするのに比べたら、格段に容易なことだ。メッセージを単純に送るだけだ。「申請書類を送りました。承認してください。以上」と。迷っている時間を無駄にすることもない。

そして、この「テキストコミュニケーション」方式では、雑談に関してもやりやすくなった。口頭で話すよりも、気軽にやりとりできる。素晴らしい。

仲良くなった途端に一気にお喋りになる奴に出会ったことはないだろうか。あれのテレワーク版が私だ。雑談も気軽にできるし、多分相手にしてみたら「こいつ、こんなに話する奴だったっけ・・」と思っていることだろう。

ただ、やはりテキストコミュニケーションであっても、対面同様、相手が存在するものだ。だから、「まず人の話を聞く」とか「強く批判をしない」とかそういう、対面であれば当たり前に守っておいたほうがいいマナーのようなものも、チャットやメールにおいても意識しておかないとな、と思う。

というわけで、カーネギーの本をもう一度読み直してみようと思う。対面だけではなくテキストコミュニケーションにおいてもきっと適用できる、大切なマインドが書かれているはずだ。

ちなみに、私がカーネギーの「人を動かす」原則で気に入っているものは、「議論をさける」という原則だ。

これは、たとえ議論をして相手をコテンパンにやっつけたとして、自分は気分が良いかもしれないが、相手はやられた劣等感と傷つけられた自尊心とで、気分は良くない。それによって「うん、君が正しいね。僕の意見が間違っていたから変えよう」なんて思うはずがないということだ。だから議論なんてのはしない方がいい。

引用されているリンカーンの言葉では、こんなたとえ話が紹介されている。

細道で犬に出会ったら権利を主張して咬みつかれるよりも、犬に道を譲ったほうが賢明だ。たとえ犬を殺したとて、咬まれた傷は治らない。

なるほどと思った。
でもなかなか実践できていない。自分には、どうしても、相手の非を見つけると一気に攻め込んでしまう悪い癖がある。コミュニケーション下手のくせに偉そうに論破しようとするというのは、客観的に見ると、なかなか痛い人なので、気を付けねば・・。