あさぶろ日記

note のほうに書いている記事を保管しているだけです。

田舎から飛び出して都会に行く歌にグッと来るの話。

私は田舎者だからなのか、たとえば「不安な気持ちと大きな夢を胸に抱いて、都会を目指して出発していく」的なストーリーの歌を聴くと、変にグッと来る。

田舎と都会、地方と東京。故郷を飛び出して、見知らぬ場所でもがき真っ直ぐ生きる様子に、何とも心惹かれるのだ。きっとそれは、かつての自分と重ねて思うところがあるからなのだろう。

昔話を少し書かせてほしい。

高校時代、私はとある遠方の大学に行きたくて、一人オープンキャンパスに出かけたことがある。群馬の片田舎から大阪まで、どのような経路で行ったのかまるで憶えていないが、寝台列車に乗って向かったことだけは記憶にある。新幹線を使えばいいものを、なぜか寝台列車という長旅を選んだ。初めての寝台列車。というか、私の住んでいたところでは電車に乗る習慣がそもそも無かったので、これだけ長い時間と距離を列車の中で過ごすというのも、初めての経験だった。初めての一人きりの長旅、そして初めての関西地方。不安な気持ちもあったが、それよりもまだ見ぬ大阪の町が、そして憧れのキャンパスがどのようなところか、楽しみな思いが勝っていた。

しかし、結論から書くと、残念なことに、時間もお金も叩いて出掛けたにもかかわらず、私はオープンキャンパスに参加することができなかった。その理由は、寝台列車が走行中、あまりの大雪のために、途中の駅で足止めを食らい、予定の到着時刻を大幅にオーバーしたためだ。大学最寄り駅に着いたころには、すでに辺りは真っ暗。結果的に、オープンキャンパスの時間に間に合わなかったのだ。

最寄駅から大学に続く広い道路は、車通りが激しいところだった。何も知らず道を横断しようとした田舎者の私に対して、容赦なく大音量のクラクションが鳴らされた。「なんて怖い場所だ、大阪って・・」そんな恐怖心を抱きながら、やっとキャンパスに到着した。キャンパス構内も薄暗く、ひと気もほとんど無い。オープンキャンパスが開かれていたような名残も無い。なんだか、自分は何のためにこんな遠いところまで来たのか分からなくなって悲しくなった。目当てのオープンキャンパスにも参加できないし、でかい音でクラクションも鳴らされるしで、まるでこの町全体から自分という存在が拒まれているような、そんな思いがして心細かった。

それからどうやって帰宅したのか憶えていない。親には「どうだった?」とオープンキャンパスのことについて訊かれたが、私は不機嫌になり「うん、まぁ・・」と適当に誤魔化して、答えをはぐらかした。寝台列車のお金も親に出してもらっていたくせに。何ともこじらせた奴だった。

結局、私はその大学の受験に失敗し、なんだかんだあった末に、最終的には、それとは別の大学に通うことになる。

そんな時、親からは「お前には、大阪という町は合っていないと思っていたから、(別のところで)良かった」と言われた。今にしてみれば、親として子供への労いや慰めから掛けてくれた言葉だったのかもしれないということは理解できるが、当時繊細だった私にとっては、ショックだった。そこまで自分は受け入れられない存在なのか、なぜこんなに拒絶されてしまうのか、と。一度は憧れた大学に落ち、大阪という町からも「お前には相応しくない」と言われたような気がして、自分の居場所なんて何処にも無いと思っていた。

あれからもう十数年経ち、その間に大阪で就職活動をしたり、社会人になって上京して、職を何度か変えながらも、東京の色んな街に移り住んだりした。気付けば今では、東京や大阪ほど都会ではない、かと言って、生まれ育った町よりは田舎ではない、程よい場所に居を構えて暮らしている。家族も、今のところは傍に居てくれる。

「自分の居場所」があると信じて、それを求めていたけれど、実は、それは何処か別の場所にあるものではなくて、今自分が居る場所で自分自身で作るものだということも知った。

後日談だが、大学進学を機に京都に住み、友人と遊びで大阪の町へ、そしてその当時憧れた大学まで出掛けてみたことがある。そうしたら、あれだけ「拒絶されている」と感じていた場所だったはずなのに、何のことはない、大阪は実に温かい町だった。そして、高校時代にクラクションを鳴らされて怯えていた広い道路なんかはそこには無くて、最寄駅から千里山のキャンパスまで、楽しく賑やかな雰囲気の店が所狭しと居並ぶ、素敵な細い道が続いているだけだった。

一体、高校時代の自分は、何処で何をどう見間違えていたのだろう、と拍子抜けした。きっと、勝手な思い込みがあっただけなのだ。歪んだ、穿った見方だったのだ。

私がその憧れの大学に入れなかったのは、何も拒絶されていたのではなく、単純に受験勉強の量が足りなかっただけのこと。大阪の町を怖くて冷たい町と考えていたのは、単純に道に迷ったか、交通マナーを守れていなかっただけのこと。そしてそもそも、寝台列車なんかじゃなく、新幹線を使ってきっちりと時間通りにオープンキャンパスへ行くべきだったのだ。

でも、予定通りに行かないのも、それは人生だ。

私は、田舎から都会に出て来て、何かに挑戦したいものがあるというわけではなかった。いや、当時はあったが、有り体に言えば、夢に敗れた。中学の時からなりたかった職業があったけれど、大学に入って授業を受けた途端、プッツリと糸が切れてしまったように「あれっ、なんか違う…」となってしまった。言わば、挑戦する前に、自分からその勝負を降りてしまったところがある。その話は、機会があれば何処かでしたいと思う。だから今は、思い描いたルートとは別の道を歩んでいる。

それでも、生まれ育った町を出て、一人で見知らぬ土地で暮らして、そうして色んな人たちと出会って別れて、そうやって、もがきながら生きてきた。なんとか職を得て、住まいを構えて、今はこうして暮らしているけれど、これからまたどうなるか分からない。きっと、これからも、もがきながら生き続けることしか出来ないと思う。他方で、今なら、ここまでの人生を「これはこれで幸せだ」と言える。現状を否定しつつも、そうやって今を生きた結果を肯定していく作業が、自分の中では大切だ。

それに加えて、以前に他の記事でも書いたかもしれないが、「素直」に目の前のことに、そして自分の人生に、向き合って生きることが何より一番大事なことなのだと思う。夢に敗れて失敗しようが、今居る場所がかつて望んでいたものと違っていようが、それでも前向きに、素直に。決して腐らずに。自分のこれまでの人生を認めて、これからの人生を紡いでいく。

そんな、昔よく聴いていた歌を、ふと今になって聴いてみたら、気恥ずかしいような、みっともない思い出が呼び起こされたので、ちょっと書いてみました。

ちなみに、当時、寝台列車で聴いていた曲はこちら。

続・くだらない唄

ーBUMP OF CHICKEN

私は当時、寝台列車に揺られて、「2時間ちょっとの都会」に出てきた主人公に自分を重ねて、この曲に浸っていた。中高時代から BUMP OF CHICKEN が大好きなので、実は、思い出の曲はまだまだたくさんある。

また、上京系としては、この歌も良い。

majority blues

チャットモンチー

これは、社会人になってから知った曲だけど、なかなかグッと来るので、初心に戻りたい時にたまに聴く。

この曲も、ストーリーの主人公が故郷の徳島から東京に出て来る様子が描かれていて、「自分は何者かになれる」と信じて他人と同じことを嫌いながらも、何処かで他の誰かと同じことを求め安心している、そんな情景が何とも良い。

みんなと同じものが欲しい
だけど マジョリティ マイノリティ
みんなと違うものも欲しい

正直、チャットモンチーは普段聴かないけれど、これだけは何故か聴いてしまう。歌詞が素晴らしいのだ。

実はこの後にある、特に2番のサビが、自分自身について歌われていて良いのだけど、YouTubeはショートバージョンしかないようなので、興味ある方はフルで聴かれると良いと思う。