あさぶろ日記

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アプリ課金と実体の話。

あまり自分は、無駄遣いをするほうではない(と思っている)。だが、例外的に以下の3つについては惜しみなくお金を使ってしまう傾向にある。

・日用品雑貨
・書籍
・子供の知育グッズ

このうち、一番下の「子供の知育グッズ」についての話。

我が家では、小学一年と年少の子供に対して、それぞれタブレット端末を支給している。タブレット端末は、iPad の小さいやつ。ただし、Wi-Fi 接続は無効にしている。コンテンツは、MUSIC には子供が好きな音楽を iTune 経由であらかじめ入れておき、動画アプリには事前に私が問題ないかをチェックしたうえでダウンロードしておいた動画ファイルのみ登録し、そしてアプリについては知育系のもののみをインストールしている。言わば、オフライン専用にしてガチガチの検閲をしているというわけだ。だから、タブレットタブレットでも、おもちゃであると同時に、知育玩具でもある。

現に、小一の息子は、かけ算九九アプリのおかげで、かけ算は恐らく完璧にマスターし、都道府県クイズのアプリのおかげで、都道府県の名前の漢字と地形はノーヒントで読めるようになっている。

そして現在、彼が遊んでいるアプリの中に、小学校で習う漢字をクイズにしたものがある。これは、小学一年生用のアプリがあって、300~400円とかの課金をしてインストールしたもので遊んでいる。これも、九九や都道府県と同様、アプリのおかげで、漢字を読む力はアップしているようだ。無料で遊べるに越したことはないが、有料であってもオフラインで遊べてコンテンツが良質なものであれば、購入するようにしている。ちなみに、このアプリの別バージョンで小学二年生用のものも存在し、これについても課金してインストールした。親としては十分満足していた。

ただ、彼としてはもっと難易度が高い問題にもチャレンジしたいようだった。どうやら調べてみると、このアプリは小学二年生用で終わりで、それ以降は、月額タイプか、買い切りタイプに分かれていた。しかも、学習範囲は、小学校一年生~六年生までの漢字だ。私はなぜか、月額でお金を払うサービスというものが物凄く抵抗があるので、買うなら買い切りのものにしている。そしてこの小学校全学年漢字パックのアプリは、買い切りで、なんと 約7,000円もするのであった・・・。

正直迷った。私のお小遣いは月に2万円だ。多いときは3万円の時もある。だが、それにしたって7,000円の出費というのは、どうにも気が引ける。一つの知育アプリが300~400円くらいのものであれば何個課金しても気にはならないが、7,000円はデカい。それに、息子が果たしてこのアプリに飽きないとも限らない。

と言うものの、子供の教育にケチケチしていても仕方がないので、7,000円アプリ、課金することにした。そして息子にはしれっと「あっ、小学三年生からの漢字のやつもタブレットに入れておいたから。もしよければ遊んで」と言っておいた。息子も「おっ、サンキュー」とだけ返答があった。本当は「高いんだから絶対全部やれよ!」と言いたかったが、それは大人げなさすぎるので我慢することにした。

しかし、あれだけ課金する前に悩んだのに、いざインストールしてしまったらそれほど後を引かないというか、気にならなくなった。なぜだ。

それはもしかしたらスマホアプリが「実体」を持たないからなのかもしれない。もし、7,000円の知育のおもちゃであれば、買ったら、どこかしらに存在する。仮に押し入れに隠しておいたとしても、ひとたび視界に入ったら、そのおもちゃの実体を認識する。下手をしたら「あっ、このおもちゃ、7,000円もしたんだよなぁ・・」なんて思って、子供に「ほら、たまにはこれで遊んだらどうだ」なんて言ってしまいそうだ。

でも、アプリだったらどうだろう。そもそも私はスマホアプリに課金はほとんどしたことがない。過去に、クロノトリガーとかドラクエが久々にやりたくなって課金してインストールしたことはある。なのに、今ではその値段はまったく憶えていない。その他の無料アプリと同じ扱いで、iPhone のアプリ一覧に大人しく収まっているだけ。今回の漢字アプリもそうだ。たしかに決済はした。お金は動いている。私(家計)の口座からお金は移動しているのにもかかわらず、罪悪感というか後ろめたさがない。「買ったけど遊ばないなら勿体ないよなぁ」なんてことも思わない。

なぜなら、実体がないからだ。もちろん、アプリケーション、ひいてはプログラム、アカウント、プレイしたデータ等、「情報」という意味での実体は確かにある。しかし、それらは物質としての形もなければ、手で触れもしない。匂いもしない。味もしない。自分の目でアプリのインターフェースを見て、耳でアプリのサウンドを聞くことはできるが、それだけ。視覚や聴覚として認知すべき「情報」としてしか取り扱うことができない。そもそも、アプリ自体は私のスマホ内にインストールされていない。子供のタブレット内にしかない。そしてそれも、わざわざタブレットを起動し、数あるアプリ一覧の中からそれを選び出してアプリを起動して、実際に遊んでみない限り、極端な言い方をしてしまえば、何も存在していないのと同じだ。

「勿体ないかも」という親としての精神衛生上まったく支障はないものの、だからこそ現在では、これほどまでに課金ビジネスが盛り上がっているのだと身に染みて感じた。みんな、見えないもの、情報に対して、お金を払うことに抵抗が無くなっているのかもしれない。

ちなみに、当の息子は、全学年漢字アプリを一度起動してみて「ふぅん」と言ったっきり、今現在まだ遊んでいる様子は無い。「まだ」だ。きっとこれから遊ぶのだろう。そう期待する。いや、期待するのも、きっと忘れてしまう気がする。これが、アプリの課金というものなのだろう。