あさぶろ日記

note のほうに書いている記事を保管しているだけです。

負けず嫌いと孫悟空的マインドの話。

小学一年の息子は、負けず嫌いだ。いや、言い切っていいほど負けず嫌いかというと、そういうわけでもないかもしれない。

でも、子供はこんなにも感情むき出しで生きているんだなと思うほどに、彼は負けず嫌いというものを体現していることがある。たとえば、このようなもので、彼の感情は丸出しになる。

・カルタ
・トランプ
・UNO
・テレビゲーム

カルタやトランプは、最近はそれほどやらなくなったけれども、保育園の頃は休みの日になればいつもやっていた。カルタであれば、妻が読み札担当で、私と息子で1対1で勝負したりする。あんまり本気でやりすぎても大人げないし、手を抜きすぎてもつまらないから、適度に頑張ってゲームに参加する。すると、中盤あたりで私が連続で札をとっていくと、突然「もう嫌だ!負けだ!」と彼は叫びだして、今まで取った札を投げ捨てて、ゲームを途中でやめて怒り狂って号泣する。トランプやUNOでも、息子以外の誰かが一番であがると「嫌だ!もうやらない!」と激高して泣く。

テレビゲームも、彼はスーパーマリオが大好きなのだけれど、うまくゴールできないコースだったりすると、何回かトライした末に「何だよこれ!俺はもう一生マリオなんてやらない!!」と大泣きして激怒。(でもマリオもゲームも大好きなので、結局その後、ばつが悪そうに再開する)

時々対処に困ったりもするが、「負けず嫌いというのは、向上心があって良い」というような言葉を聞くので、私自身はそれほど気にしていない。思えば、自分の小さい頃は、彼ほど負けず嫌いではなかったような気がする。むしろ「負けず嫌いでない」ことで親に怒られたこともあったのを思い出した。今でこそ、私も大人になって、何かに取り組む際には、たとえ興味が無くても人並みの熱量を持つことができているつもりだと勝手に思っているが、当時は興味が無いことには、とことんやる気ゼロだった。

私は小学生の頃、剣道を習っていた。その地域では結構それが盛んだった。週に何回か、平日の夜、小学校の体育館を借りて、たくさんの子供が剣道の練習に勤しんでいた。始めたきかっけは憶えていないが、たしかクラスメイトとか幼馴染が通っているから、とかだった気がする。

だから「○○よりも強くなりたい」とか「もっと上手になりたい」とかそんな思いもなく、言葉は悪いが、惰性で練習に出て、たまに試合に出るくらいだった。もちろん試合では勝てない。勝てなすぎて、帰るときに「少しは悔しがったらどうだ。本気でやっていないから悔しくないんだ」と親に強く言われて、嫌な思いをしたこともあった。たしかに親の言う通りで別に本気でやっていない。やる気も無かった。だから当然悔しくないのだ。「何のためにこれをやってんだろう。怒られたくないからやるけど、結局怒られるんだよな」と思っていた。

その態度はあまりに酷くて、ある時、竹刀の先を地面につけた姿勢で、次の試合が始まるのを待っていた。全ての試合を終えて、全員集合した時、私のそのような態度が指摘に上がって、みんなの前で叱られた。その日帰宅してからすぐ親に「もう辞める。こんな思いまでして続けたくない」と言って、本当に辞めてしまった。辞める時はあっさりしていた。

辞めることを道場の師範というか先生に伝えた日の夜、その先生から留守電が入っていた。「あなたは筋が良い。辞めるなんて勿体ない。残念だ」と。絶対にお世辞なのだが、仮に筋が良かったとしても、本人にやる気がないのであればそれは無駄だ。だから、親になった今、子供に習い事をさせる時も「本当にやりたいか(続けたいか)」という意思を尊重しているつもりだ。私が小さい頃は、それこそ、その剣道以外に、公文式、ピアノ、スイミングも習っていたが、好きで初めて最後まで続いたものは、一つも無かった。そのため、子供には、嫌々な気持ちを持ったまま続けてほしいとは思わない。このことについては、ちょっと別の記事で詳しく触れたい。

さて、話を戻すと、そんな負けず嫌いの息子も、一つだけ様子が異なる、不思議な遊びがある。

それは、将棋だ。

将棋については、息子が学童で覚えてきて、私も彼から教わった。
※以下の記事をご参照。

そういうわけで、全然私も素人だし、実力は彼とそれほど変わらない。しかし、やり込んでいくうちに、そこは人生経験からなのか、勝率は、私のほうが若干上がってきている。これに関しては、あまりに経験値が少ないためか、私も手の抜きどころが分からないので、本気でいつも戦ってしまうからだ。その場その場で最善の手を考えて指して、最終的には彼を打ちのめしている。(私が負けることもある)

が、いつも私が王手をかけた時、なぜか、彼は悔しそうな顔をしないで、素直に負けを認める。あれだけボードゲームやテレビゲームで負けると悔しがって怒っていた息子なのに、将棋で負けるときには、なぜか「いやぁ、なるほどね。パパは強いなぁ」と言い、怒るそぶりもない。まるで向こうのほうが父親なんじゃないかというほどの、おおらかさ、すらある。

なぜだ。全力でやっていないのか。いや違う。勝負が終わった後に彼の手を握った際、掌にはじんわりと汗ばんだ感触があった。彼は適当には指していない。そして間髪入れずに「また将棋やろう」と何度でも勝負を挑んでくる。きっと悔しさはあるのかもしれないが、それよりも「一緒に遊ぶ楽しさ」や「自分より強い相手と戦う楽しさ」があるような気がしている。かなり良い言い方をすれば、まるで、ドラゴンボール孫悟空のような・・。

(※もう何十年も前にアニメや漫画で読んだきりなので、以下は、私の想像の中での「孫悟空」である可能性が高いです。ご了承ください。)

孫悟空は、強い敵と対峙するとワクワクする。己と相手の戦いが拮抗すればするほど興奮を覚える。仮に負けたとしても何度でも立ち上がって挑戦する。そして最後には勝つ。

負けず嫌いというのも素晴らしい性質だけれど、こういった、何度負けてもチャレンジしたくなるような前向きな向上心を持っているほうが、もしかしたら本当に「強い」のかもしれないと思った。言わば「孫悟空的なマインド」というか。

なんというか、負けず嫌いは、純粋に目の前の(あるいは自分自身の中の)敵に負けることを極端に嫌がる傾向に見えるが、この孫悟空的なマインドは、目の前の敵は自分の実力を高めるためのチャンスという考え方であり、戦いの場は純粋にお互いの力比べを楽しむ機会で、結局は自分の力をどれだけ高めることができるかに快感を覚える傾向というか。だから後者は、仮に負けたとしても、悔しい気持ちはあっても必要以上にその感情に引っ張られすぎずに、更に強くなるためのステップと捉えているのかもしれない。単なる負けず嫌いとは違う、真の「強さへの欲求」というか。

いや、たかだか息子の初心者将棋でそれは言いすぎだということは十分承知している。なぜ将棋だけなのか分からない。単に気まぐれかもしれない。
ただ、こういう「負けても立ち上がる」という姿勢を(あくまで前向きに)、地で行けることは、きっと人生においてかなり強力な武器だろうなぁなんて思う。

私も、そんな気持ちがあれば、色んなこと上手くいったのかもなぁなんて。くだらない妄想をしてみたり。

さて、今夜も息子と一局指そうかな。