あさぶろ日記

note のほうに書いている記事を保管しているだけです。

時間の余裕と心の余裕の話。

なんだかすごく心が荒んでいる。ので、攻撃的な口調になってしまっているかもしれないですが、お見苦しければすみません。

昔から「忙しい」という言葉が、あまり好きではない。深い理由があるというわけではないが、単に、何だか据わりが悪いような心地がするというか。

多分だけれど、新卒で勤め始めた会社で、同期入社の人が得意げに「今さ、忙しいんだよね~」みたいなことを言っていて、それを聞いて以来、その言葉が好きではない方向に向かっていったように思う。

新社会人というのは結構やる気にあふれている人が多くて、「社会のためにいっちょ私が頑張ってあげますか」くらいの生意気な思いを持って働き始めた人も居る。何を隠そう、私がそうだった。で、その同期もそんな人だったのか分からないけれど、配属された部署で、社内で目立つようなプロジェクトに参画していて、見た感じ、その状態にウキウキしている様子だった。

反対に当時の自分は、そんなフレッシュさゆえのやる気とは裏腹に、配属先は閑散としているところだった。その部署は大きい予算も割り当てられない。担当する仕事もプロジェクトなんて呼べるほど大きいものではなく、細々とした案件を粛々とこなすだけの日々で、次第にやる気はしぼんでいき、いつしか私は一作業要員になっていった。

だから、久々に同期で集まった際に、その人が「いやー、忙しいんだわ(笑)」みたいなことを得意げに語っているのを見て、「ああ、自分はどれだけ忙しくてもその言葉を敢えて得意げに使うような人間にはならないようにしよう」と思うようになった。そしてそんな思いを抱えたまま燻ぶり続け、ここまで生きていたような節がある。

前置きはどうでもいいけれど、仕事で忙しいとかいうことは今はあまり無いのだけれど、私生活では忙しいというか、単純に時間が無い。忙しいとは言いたくないが、何だか分からないけれど、時間が無い感じがしている。いや、あることはあるのだけれど、それを使うことがへたくそというか、どうにもやりくりできる自信が無い。

以前、何年か前に、意識高い系の友人から「で、最近は何か勉強してんの?」と訊かれた時に「いやぁ、全然何もしてないんだよねえ」と正直に答えたら、「え、マジで?俺らの年代で、それはちょっとヤバいんじゃない?自己啓発しとかないとさ(笑)」と言われて、その時は素直に「そうだよなぁ」と思った。けれど、帰宅してしばらくして、よくよく考えてみたら「いやどうやって時間作るんだよ」とむしろ腹が立ってきた。

よく「まだ結婚しないの?」と、既婚者から独身者に対する質問の内容がまるでマウントされたような気分になったという話を聞いたことがあるが、それの逆バージョンだ。自分のためだけに使うことのできる時間がたっぷりある立場の人間から、家庭でも肩身の狭い立場の人間に対して、ザクッと心を抉ってくる感じ。小さい子供二人居て、自己啓発なんてやってる時間なんかねえっつうの。と。

もちろん、結婚していても小さい子供が居ても、そういうのが出来る器用なタイプの人だったり、あふれんばかりのエネルギーすごい人も大勢居るのだろう。きっとその意識高い系友人はそっちの部類だ。

けれど、家族の時間を犠牲にして、子供ほっぽり出して、自分だけ一人で勉強とか、自分には無理だ。「なに良いパパぶってんだよ」と言われても結構だが、普通に子供や家族と過ごす時間の中で、自分のためだけに割ける時間は、やっぱり自分にはほぼ無い。仮に割けたとして、罪悪感がすごいし、何より家族に申し訳ない気がするので、やりたくない。

そもそも、自分に割く時間の優先度が低いということもある。自分の時間より、子供が今まで出来なかったことが出来るようになった瞬間に出会したり、妻と一緒に買い物に行く時間の方が良い。深夜に家族が寝静まった後に、自己啓発で学習するのも無理。それは単純に眠い。はい、結局だらしが無いのは分かっていますとも・・。

となると、自分としては、朝早く起きて、家族が起きるまでの間で読書したりするのが関の山。あとは仕事中に、仕事関連の知識や、その周辺知識をめいっぱい詰め込むとか(もちろん業務に関係ある前提で)。そのくらいしかできない。

ただ、朝の読書の時間は、それはそれで有意義ではあるけれど、最近、心の余裕があまり無い感じがして窮屈に思えてきている。

きっとそれは読む本の内容によるのかもしれない。今読んでいる本は、前にも紹介したかもしれないが、英文法について書かれたDUO、日経コンピュータ、だ。カーネギーの本は読み終えた。あと、最近読み始めたのは、基本的なアルゴリズムとデータ構造に関する本。

なんだか、為にはなるが面白味は無い。いや、面白いのだけれど、生活というか思考というか、心に広がりが狭いような感じがしている。あくまで「仕事に役立ちそう」という打算的な思いが薄っすら透けてしまう。たしかに「自分」に割いている時間ではあるが、なんとなく「(仕事をしている)自分」な感じがしていて、あまり心は休まらない。

そうではなくて、なんだろう、こう、もっと全然仕事とは関係の無い、知的好奇心というよりも情動というか、「うわっ、おもしれぇ・・もっと読みたい・・」と思えるようなものが本当は読みたい。「(仕事をしている)自分」の「(仕事をしている)」の部分を取っ払えるような。

結構他の方の note の記事なんかを読んでいると、私のようにモロに生活感やみっともない思考丸出し、みたいなものじゃなくて、詩的というか文学的というか、何とも読んでいて心が洗われるような、綺麗な文章に出会う時がある。まるで一つの小説や映画を観ているような、そんな。到底私には真似することのできない文章だけれども、それでも自分自身の精神世界は、そんな落ち着いた状態でありたいと望んでいる。
会社や仕事というベール越しに接している世界ではなくて、純粋に、自分と世界の間に何も挟むものがなく、直接つながった状態。仕事や会社などというものも、単純に、私と世界の物語に出てくる、一脇役というか。

何が言いたいかというと特に結論は無いのだけれど、心に余裕が無くなってきている。時間のせいもある。が、それが全てではない。自分に割く時間をおざなりにしていた反動もあるだろう。だからこそ、少しずつ、自分と世界の間にある、色んなしがらみを取り外していって、もっと心が安定した状態で生きていきたい。

そのためには、少しでも時間を作って自分と向き合って、少しでも綺麗な文に触れようと思う。他方で、自分の今の思考状態も切り取っておきたい。恥も外聞も捨てて、このようにどうしようもない駄文であっても、可能な限り毎日アウトプットしていこうと思う。