あさぶろ日記

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コンプレックスのせいで旅行が台無しになった話。

先日、自分の劣等感、コンプレックスのせいで家族にも迷惑をかけ、猛烈に自己嫌悪に陥ることがあった。

とある観光地に旅行へ行った時のこと。
そこは、割と有名なホテル(仮に、ホテルA、とする)で、スパやプールも併設していたところだった。私はてっきりそこに宿泊するとばかり思っていたのだが、予約してくれた妻に聞くと、どうやらそのホテルの宿泊予約は全ていっぱいで、代わりにその付近の宿(こちらを、B、とする)の予約であればとれたとのことだった。

聞くと、その宿泊施設Bでも、その有名なホテルA内の設備が利用できるということ。それから、その宿泊施設Bの地産料理は、なかなか美味しいと好評なこと。それらを売りとしていて、妻もそれを気に入って予約したようだった。ホテルAと大通りを挟んで、歩けば数十秒の場所に、その宿Bがあった。

話を聞く分には「そうなんだ。良い場所なのかな」と思っていた。実際に、宿Bを利用してみると、たしかに料理は美味しかった。ホテルA内の温泉やプールも利用できた。

けれど、満たされない。満たされないどころか、どんどんと鬱屈した気持ちになっていった自分が居た。家族と一緒に居るのだし、楽しい旅行だし、嬉しいことに間違いないので、その感情を出したかった。でも、そう出来なかった。本当なら楽しくてたまらないはずだが、私にはとてもそう思えなかった。不満な気持ちが拭えなかった。

よくよく考えてみると、それは私が極度のコンプレックスをこじらせていることが原因と分かった。

我々家族が泊っている宿Bは、宿全体も部屋の中も、少々年季を感じるところはあった。ただ、気になるほどではない。建物が築造されて時間が経過した、ごく自然な外観であり内装だというだけだ。それに、サービスというか積極してくださった方は良かった。とても親切で、ご飯も美味しくて、とても暖かな雰囲気で心和やかになった。

けれど、その「徒歩数十秒」先のホテルAに行くと、言い方は悪いが、一気に、惨めな気持ちになった。

そのホテルAは、本当に設備も豪華で綺麗で、施設やサービスも申し分無いクオリティだった。大勢の家族連れやカップルが泊っていて、みんなこの煌びやかで華やかな雰囲気の中、とても幸せそうだった。もちろん我々家族だって幸せだったが、こと施設の設備面においては、自分たちの宿泊している場所と比較したときの、落差、がすさまじかった。いや、落差、を感じたのは単に設備面だけではなかった。

この寒空の中、たった「数十秒」だけでも冷たい風に吹かれながら、ホテルAの温かいエントランスに入る。フロントから一瞬ホテルマンがこちら気付く。そして、彼は、私が持っている「提携先の宿Bに泊まっている」証を確認する。すると、何も言わず、ホテルA内の宿泊客と同じように、私を接客してくれる。私は、あたかも「自分たちもそこのホテルAに宿泊している」かのように、ホテルA内の温泉施設を利用する。
普通の人はそうは思わないだろうが、私は、脱衣所に居る他の大勢の宿泊客から「こいつは何でホテルAに泊まってもいないのに温泉に入ってきているのだ」という視線が自分に向けられているような気がして、とても辛かった。そして豪華で、ゆったりとした大きい、素晴らしいお風呂に浸かった後、他の宿泊客はホテルA備え付けの浴衣姿で温かいままで部屋に戻る中、自分は、また「数十秒」だけ寒い外気の風を浴びながら、泊まっていた宿Bに戻るのだ。

たった数十秒、冷たい風に当たることが嫌だったのだろうか。言葉にするのが難しい。
「お前は本来ここにいるべき存在ではない」と、まるで自分が異物として扱われるかのような感覚を抱いたからかもしれない。本当に卑しい考え方だけれども、裏を返すと「自分はそのホテルAに宿泊するだけのお金はあったはずだが、たまたま予約がいっぱいだから仕方なくこっちの宿Bに泊まっているだけだ」という、ある種の認知的不協和というか、そんな感情なのかもしれない。最初からこちらの宿Bを選んでいたら、このような思いは抱かなかったのだろうか。まるで「自分は良いホテルAを利用するだけの価値がある人間なのだ」とでも言うのか。だとすれば、酷くみっともなく歪んだ自尊心である。
冷たい風に当たることで、あることないこと、色々な感情が湧き出てきてどうしても心を安らげることができなかった。

こじらせすぎているのは分かっている。

少しだけ弁解させていただくと、その泊まった宿Bも、そのホテルAと提携していて、正々堂々とそういったサービスを提供している。ホテルA側も、提携先の宿泊施設Bのお客がホテルA内のサービスを使うことに対して嫌な顔をしていないということも分かる。本来そのようなサービス利用は「正当」なもののはずだ。別に後ろめたいことなんて、本当は何にもないはずなのだ。

けれど、どうしても私には、自分がそのホテルAのサービスを利用している状況が、まるで「正規のルート」ではないような、そんな劣等感を抱いてしまって、素直にこの旅を楽しむことができなかった。「正規のルート」ではないから、お湯で温まった身体を、わざわざ外に出て寒空の下を歩いて冷やさなければならないのだ、と。

一度そんなふうに感じてしまうと、普段あんなに大好きだった温泉に入ることができるはずなのに、どうしてもそのホテルAの温泉には「行きたくない」と思ってしまうくらいに抵抗感があった。
他方で、妻や子供たちはそのようなことは微塵も思っていないようで、楽しそうにしていた。耐えきれなくなって、妻にもそのような、さもしい感情を打ち明けてみた。すると、「どうしてそんなふうに思うのか。ホテルAのお風呂にも入ることができて、夜風は気持ち良くて、旅館Bのご飯も美味しくて、いったい何が不満なのか理解できない」と言われてしまった。その通りかもしれない。でも、自分は受け入れがたい気持ちだった。

結局、それ以外にも色々あって家族で揉めてしまい、行く予定だった観光名所も回らずに、翌日は自宅へと直行して帰ることになった。
本当に申し訳ないのは、家族は、この旅行を楽しみにしていたのに、私のせいでぶち壊しになってしまったことだ。彼らは純粋な心でこの旅を楽しんでいたのに、私の勝手な感情のせいでせっかくの休息や癒しの機会をかき乱してしまった。

どうすればよかったのだろう。
予約前に「本当にこの宿でいいのか」という確認をもっと念入りにすればよかったのかもしれない。予約した後であっても、そこで楽しいことを探せたらよかった。でもどうしても自分の心のモヤモヤが晴れなかった。自分の心を押し殺して我慢すべきだったかもしれない。心を矯正できたら一番良いのだろうが。こんなコンプレックスを「くだらない」と一蹴出来たらどんなに気が楽か。たしか、他人が思っているよりも自分のことなんて気にしていない、そんな理論を「自己標的バイアス」といったのを思い出した。そう、考えすぎなのだ。それは分かっている。
しかし、頭でそう考えていても、心が従ってくれない。

思えば、自分は昔からコンプレックスに塗れて生きてきたのだ。その話は長くなるので、別の機会にでも書こうと思う。

いずれにせよ、今回は、幼稚すぎる自分への嫌悪感が尽きない。