あさぶろ日記

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「マスクは着けるのが当たり前」という常識が出来上がる瞬間の話。

つい先ほど、薬局とは少し違う、日用品や雑貨なども置いている総合型のドラッグストアと言うのだろうか、そこへ買い物へ行った時のこと。

必要なものを選び終えて、それらを買おうとレジに並ぼうとしてショッピングカートを押していたら、ふと、何やら違和感。「なんだろ」すぐには分からなかったけれど、よくよく考えたらすぐにその正体が分かった。

視界に入った家族連れ、全員が全員、マスクをしていなかった。

感染対策として今や当たり前のように、外出する際にほとんどの人が着用しているマスク。それを着けていない人が居るだけで、なんとなく違和感があった。
私は、普通に、外に出る時にはマスクを着けている。だが、別にマスクをすることで感染しないさせないために、という考えはあるけれど、有効性は今ひとつ分かっていない。なんとなく、みんなが着けているから、私も着ける、というレベルだ。

だから、「マスクをしていないなんて有り得ない」とかそういうことを言うつもりもない。
でも、「なんでこの人たちは、マスクしてないんだろう」と無意識に考えていた。

あたかも

「マスクをしている我々」=「正常」
「マスクをしていない彼ら」=「異常」

という常識を自分の中に勝手に埋め込んでいることに気づいた。これがエスカレートすると「あいつらは異常者だ、どうかしてる」という思考になる気がした。「マスク警察」とか「自粛警察」とかもそれに近いと感じた。たしかこれは「フォールス・コンセンサス(偽の合意効果)」というものだった気がする。「多数派の俺が正しいのだ」という考え方。だったかな。

しかし、色んな考え方があって当たり前。
日本では、マスク着用は義務ではない。だから本来着ける着けないは自由のはずだ。

ただ、今現在、あらゆるお店の店頭には「マスク着用願います」という張り紙が貼ってある。どうしても着用したくない人にとって生きにくいだろうが、そんな世の中になっている。
また、違法ではないが、社会的に暗黙の「常識」が求められている。これに従わないのは、法律を破るとは異なる罰を受ける可能性がある。法ではなく、世間という不特定多数の人間が、裁くのだ。

とは言え。

建前はその通り。自由です。でも、一般的な話として、よくよく考えてみると。
誰がどんな感染源になるか分からない以上、マスクを着けることで着けた人から感染を広げない可能性、そして、マスクを着けることで着けた人が感染を防げる可能性があるなら、それは着けたほうがいいかなと、個人的に思った。
そして何より、クソダサい考え方かもしれないが、「あいつマスクしてないぜ」って白い目で見られるのが私は嫌だ。私も、あの家族連れのように「なんでマスクしてないの」と思われたくはない。たしかこれは「同調効果」というものだ。

結論。だから私はマスクをする。

それをすることで何も自分にデメリットが無い。少しの息苦しさなど気にならない。むしろしないことで、そういったデメリットが大きいと感じる。それならマスクを着けない理由は無い。
ただ、断っておくと、マスクをしないならそういう主義も自由だ。上述した家族連れがなぜマスクをしていなかったのか分からない。分からないけど、別に着用しないことについてそれを否定や非難をするつもりもない。

常識に縛られすぎることは危険だと思うが、その常識を、手放しでなく自分の頭で考えて咀嚼して腑に落ちるようなら、それは意味があったりするかも、と思った。