あさぶろ日記

note のほうに書いている記事を保管しているだけです。

他の人に影響されて聴くようになった音楽の話。

以前、特に10代後半〜20代とかの若い頃など、

「誰かに影響される」=「自分が無い」
「自分が無い」=「カッコ悪い」

つまり、
「誰かに影響される」=「カッコ悪い」

と勘違いしていた頃があった。

たとえば、当時流行していてクラスメイトのほとんどが好きであったであろうアーティストの楽曲など、意地でも聴かないようにしていた。流行りだからという理由で影響を受けたくなかったのだ。
そのため、こんな片田舎の高校では誰も聴いていなかったであろう黒夢を気に入って毎日登下校で聴いていた。いや、今考えれば黒夢は普通にメジャー中のメジャーなのだけど、当時は周りに聴いている人が居なかったので「俺だけがこのバンドの良さを知ってるんだ」と勘違いしていた。もしかしたら「俺、黒夢好きなんだよ。特に、MASTURBATING SMILEって歌があってさ…」と自己開示していたら誰かしら話が合う同級生も居たかもしれない。でも、そういうことすら誰かに言いたいとは思わなかったのだ。

また、大学受験の時も、こんなことを考えていた。
進路を考えるにあたって、同級生が早々と指定校推薦で決まった大学や中学時代の友人が志望している大学、果ては親戚の人が通っていた大学などは、滑り止めを含めた全ての選択肢から、片っ端から外すようにしていた。おかげで志望大学は、関東から遠く離れた地方の大学か、田舎からなんて誰も行かなそうな都会のお坊っちゃん大学に限られてしまった。

要するに、こじらせていたわけだ。

だが、時は経ち、色々あった。今では、影響されることに対して、特段なにか抵抗感のようなものは薄くなった。

実際は、潜在意識下で、他者という存在から良くも悪くも影響を受けないなんてことはあり得ないと思ってるし、同様に、自分も誰かしらに多かれ少なかれ何らかの影響を与えているのだろうと思うようになったからだ。
そして、仮に「影響される」=「自分が無い」という図式が成り立つとしても、決して「自分が無い」状態は「カッコ悪い」に結びつくものではない。自分が無いというならそれは柔軟だということだ。何か強い刺激が現れても、それを受け止めたり、吸収したりすることができる。逆に自分が強すぎれば新たな価値観を受け入れることも難しいし、なかなか成長が厳しくなるという面もある。少なくとも私はそう思う。
もっと言ってしまえば、最近では「カッコ悪い」すらも許容し始めるようになってきた。格好なんて気にしたところで何の役にも立たないからだ。カッコ悪くて何が悪い。

…どんどんと脱線していきそうなのでこの辺で止めておきます。
(ただし「どんどん影響は受けるべきだよ!」という意見とはちょっと違っていて、それは精神的にある程度自立していて、物事の良しあし判断できる人に限る話です。事理弁識能力だっけ?違うか。でも「いやさすがにこれに影響受けたら今後の人生ヤバいな」という判断ができる人に限った話、と断っておきます。)

さて、話を戻すと、影響について。中でも嗜好、とりわけ音楽に関する影響。
以前は、最新の流行ポップス音楽が流れてきても、「高いキーでギャアギャア叫んでて耳障りだ」とか「メロディが乱高下しすぎてて聴きにくい」とか、分かったようなフリして私は受け入れることができなかった。
申し訳ないけど、LiSA、YOASOBI、Ado とか聴くことができなかった。拒絶反応すら感じていた。しかも流行していると嫌でも耳に入ってくることが多くてさらに聞きたくないループに陥っていた。

でも、ある時、一気にそれらを身近に感じて大好きになった。

それは、自分の子供が、どこからか聞こえてきたそれらの音楽を口ずさんで一生懸命に覚え、歌っていたからだ。
純粋に耳から入った音楽は、歌詞は正確でないけれど、彼らの血となり肉となり、身体から表現される一部になっていた。そんな音楽は心に響いた。
以降、テレビでLiSAさんが音楽番組に出演されると聞けば家族で画面に釘付けになって観るし、スペシャでYOASOBIさんのPV特集があれば録画して観て、Adoさんの新曲を見つければ子供と一緒にスマホで観るようになっている。

自分の中で、他者としての子供からの「影響」によって、普段は聞き馴染みのない音楽も聴くようになり、今では自分の一部になるといったような影響が及ぼされていくのを感じた。

でも不思議と居心地は悪くない。きっとそれは影響を及ぼしてきた主体が「大好きな存在」だからだろう。子供のことが好きだから、その子供が楽しんで聴いている音楽だから、その音楽も好きになった。

思い返せば、私が好きなバンドの、BUMP OF CHICKEN も、高校時代に唯一仲の良かった S 君が貸してくれたCDがきっかけで一気にファンになった。
それまでは、たまに放課後に立ち寄ったゲーセンで、友人が太鼓の達人をやるときに流れていた天体観測を聞くくらいしか接点はなかったけれど、好きになって以降はアルバムも全曲MDにダビングまでして毎日繰り返し繰り返し聴いていた(こう書くと世代がバレるね)。高校生活があまりにつまらなくて、夜中、中学時代の友人と一緒に中学校に忍び込んで聴いた embrace は、とても自分を前向きな気分にさせてくれた。

くるりも大好きだけれど、たしか大学時代に懇意にさせてもらっていた K さんが当時よく聴いていて、それに憧れて私も聴くようになった。
以前はバンド名すら聞いたことがなかったけれど、好きになってからは、アルバイトの通勤で利用していたバスの行き帰りにはよく聴いていた。苦手な接客業務で手ごわいお客さんからコテンパンにされた日は、ばらの花を聴いて癒されていたのを思い出す。単位も全部取り終えて手持無沙汰な日々を送っていた時期、太陽のブルースを聴きながら、ただあてもなく九条通をひたすら歩いて、卒業後の就職先は、初めて住む東京の街は、どんなところだろう、と思いを馳せてみたりもした。

どちらも好きな友人から影響されて、好きになった音楽だったのだと今になって気付いた。もちろん価値観の違いはあるし、育ってきた環境が違うこともあるから全てが全てそうではないけれど、類は友を呼ぶといった言葉のように、好きなもの同士「これなんか俺も好きだな」と思うことは結構ある。

誰かに影響されて好きになるなんて、恥ずかしい、にわかだ、そんなことを思っていた自分に言ってあげたい。

「自分じゃ触れないような世界に触れるって案外悪くない。ましてや自分が好きな人から教えてもらえるものは特別だったりするよ」と。
あと、「もう少し柔軟になれよ」と伝えたい。当時の志望校の選び方とかは、さすがにこじらせすぎだ。