あさぶろ日記

note のほうに書いている記事を保管しているだけです。

マスクは個人識別の手段であり、個性でもあるという話。

小学生の息子は、マスクで個人を識別しているらしい。
「○○くんは、ペンギンのマスクをしていて、△△はすみっコぐらしのマスク。⬜︎⬜︎ちゃんは紫色のマスクをしてるよ」と教えてくれた。

息子の記憶力が特別良いのか?と思っていたら、先日こんなことがあった。
ある日、学童保育に彼を迎えに行った際、指導員の方から「☆☆(息子)くんの予備のマスクが、校庭に落ちていたみたいですよ」と言われた。
マスクに名前は書いてなかったはずだが、よくよく聞くと学童保育に通っている別の児童が「これ、☆☆(息子)くんのマスク、校庭に落ちてたよ」と届けてくれたそう。息子に聞けば、その児童は特別息子と仲が良いわけでもなく、同じクラスの友人というわけでもなく、単に顔見知りレベルの関係のようだった。

どうやら、息子だけではなく、今の時代の子供たち(少なくとも息子の通っている学校の生徒)は、個々人を「普段どんなマスクを付けているか」で識別しているらしい。それはあたかもマスクが顔の一部として認識されている部分があるのかもしれない。そして同時に、今や個性が出る部分なのかもしれない。

個性を出すということであれば、昔、私が学生の頃は、学ランの下に何を着るかで個性を出していたような時代があった。いやそれは時代というか私の通っていた学校だけなのかもしれないが。

私の通っていた高校では、そこまで服装のチェックは厳しくなく、詰襟の学生服さえ上に羽織っていれば良かった。だから、学生服の下に、ちょっと個性を出して色付きのTシャツを着たり、フード付きのパーカーを着たりする生徒も居た。「腰パン」も普通に多くの生徒がやっていた。今はどうだか知らないが、当時はそのような服装でも特にうるさく言われることもなかった。
私も、腰パンはダサいと思っていてやらなかったが、パーカー+学ランとかは普通に組み合わせて着ていた。

ただ、それはカッコつけて誰かに見せたいとかオシャレ気取りたいとかそういう目的ではなく、純粋に「気に入ってるから」そういう格好をしていたと思う(当時からファッションセンスに疎かったし、今でもかなりダサいのかもしれないが…)。大体、田舎の、しかも男子校ということもあって、女子の目など皆無だったから、そもそも格好つける必要性は無かったのだ。

そしてやっぱり当時も、全員が基本のスタイルは詰襟学生服ながら、「あいつはこんな服装だ」と着崩した些細な違いで個人を識別していたように思う。「テニス部のチャラいあいつは赤いパーカーで、文系クラスで成績上位の彼は黒いTシャツだったな」と、今でも思い出せる。
言わば、服装も、顔の一部のように、個人識別するための一つの情報として構成されていたのかもしれない。それは、先に挙げた息子のマスクと同じ捉え方ができる。

他方で、これが大学に入ると、みんなそれぞれの私服を着ていて、特に尖った服装をしている人でない限り、当時誰がどんな服装をしていたかなんて憶えていない。少なくとも私は。

だから、もしかしたら個性は、ある程度画一的な形式の中でこそ光るものなのかもしれないな。なんてことを、部屋に無造作に散らかる子供たちのマスクを片付けていて、ふと思った。