あさぶろ日記

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子供部屋の掃除で、使わなくなったおもちゃを捨てたが、解体したり電池抜いたりが大変だった話。

捨てやすさという視点も大事。

子供が大きくなって来て、赤ちゃんの頃に使っていたおもちゃを捨てようということになった。子供部屋の押し入れがいっぱいになってきたためだ。
捨てるにあたっては、そのまま粗大ゴミにポイというわけにはいかないので、体積の大きいものは解体したり、電池が入っているものは抜いたりということをしなければならない。

だが、これが案外、時間も手間も掛かった。
ネジというかビスが錆びていたり、あまりに小さ過ぎたり変な場所に取り付けられていたりして、ドライバーを入れにくいものもあった。また、取り出した電池も、別のおもちゃでまだ使えるかなと思って転用してみたけれど、なぜか他のおもちゃでは稼働しなかったりして、結局電池自体も捨てるしかなかった。

こういうケースは実は他でもよく見られる。
家具なんかもそうだ。最近は家具の価格も安くなって、自分で組み立てたりすることも多い。割と大きな机や椅子、棚なんかも組み立てて使う。
しかしこれも、おもちゃ同様、捨てる時に結構めんどくさかったりする。
物によっては解体にはレンチが必要だったり、一体どこまで解体して大丈夫なのか分からなかったりする。購入当初の説明書が見当たらなかったりすると、エイヤで出来るところまで解体してみるしかない。結局は粗大ゴミとして捨てるしかない大きさのものであっても、可能な限り小さくした方が捨てる際に持ち運びやすいためだ。

私はそれを引越しの時に痛感して以来、購入時点で「これは捨てやすいだろうか」という視点も、家具選びの検討材料に入れるようになった。

個人的な感覚としては、安価に手に入れたものの方が、このように解体時に面倒だったりすることが多い気がする。つまるところそれは、もしかしたら「安かろう悪かろう」ということなのかもしれない。

カンタンに手に入れたものの方が、使い方が雑になるためか、ダメになるスピードが早くて、それに捨てる際に面倒くさくて手間がかかったりする。
反対に、品質が良くて、手に入れるのに多少苦労するものは、大事に使うから物持ちも良いし、捨てる際には無駄のない作りになっている。というか、もしかしたら良いモノのほうが丈夫だったりするのであまり「捨てる」という発想にならず、売ったり誰かに譲ったりしやすい気もする。捨てやすさというか、手放しやすさというか。誰かが必要としなくなっても、他の誰かには欲しいものであったり。「ゴミ」にならない、次に受け継がれて使われていくということ。
全てがそうとは限らないだろうけれど。

それにしても、子供の成長のたびに、新しいおもちゃが増えて、それに伴って昔はあんなにフル稼働で遊んでいたおもちゃが今では押入れの奥底に眠っているという状況は、ちょっぴり寂しさを感じたりする。映画トイストーリーとか観たりすると、もし仮におもちゃに意思があったら我が家のもそんな感じなんだろうか…とか考えてしまう。
そう考えると、できる限り、おもちゃやモノの人生(モノ生?)も、大事に使われて、いつまでも何かの役に立つようなものが良いように思う。

結局それは、人間も同じかもしれない。
自分を大事にすること。要らなくなったら捨てられるのではなくて、もしその場に居場所が無かったとしても、他の場所に行っても愛されるような生き方ができたら、素敵だろうな。なんて思う。