あさぶろ日記

note のほうに書いている記事を保管しているだけです。

子どもから学童での話を聞いて、逃げたっていい生きていればいいというのが大事だと思った話。

学童。学童保育とか、学童クラブと呼んだりする。我が家は共働きなので、小学一年生の息子は、放課後は、この学童に通っている。

その息子のクラスメイトの子が、学童を辞めたらしい。理由は、その彼は学童の中のほかの児童から、暴力を振るわれたからだという。

たしかに、子供の迎えに行くと、学童は無法地帯と感じることが多い。ほかの地域やクラブは分からないが、少なくとも、息子を通わせているところは、そう思う。教室内でおとなしく座って机で勉強している子が居る一方で、駒のヒモをぶんぶん回して遊んでいる子、狭い室内の端から端で野球をして遊ぶ子、教室内を全速力で走って競争している子、などが居る。まさに無秩序だ。見ているだけで恐怖を覚える。「振り回しているヒモが誰かの顔に当たったら・・」とか「投げたボール・打ったボールが他の子に当たったら・・」とか、そういう気持ちになってしまう(念のために言っておくと、野球とはいえ、使っていたボールは紙ゴミを丸めた柔らかいもので、バットも何か紙のようなものを長く伸ばして使っていたと思う)。

今は親目線なので、「そんな乱暴な子たちのせいで、うちの子が怪我したらどうしよう」という思いが強い。人によっては「単にやんちゃな遊びしているだけ。傷つくことで学び大きくなることもあるよ」という意見もよく分かる。が、治る怪我ならまだしも、一生傷になったり、失明したり、治らない怪我なら・・という思いがしてしまう。かなりの過保護だと妻によく言われるくらい、私は過保護なのを自覚しているので、余計にそう思うのかもしれないが。

だけれど、こういう危ない行為や、上で書いた、息子の友達に暴力をふるう子が居る状況というのは一体誰が悪いのだろう。

もちろん、加害者が悪い。被害を加える子、危ない遊びをする子が、まず第一に悪いと思う。だけど、それだけだろうか。言っても、そんなことをしている子供なんて、たかだか小学生。まだまだ子供だ。
じゃあその子供を管理監督する人は、誰か。学童の指導員だ。学童の指導員が子供たちの暴走を止める防波堤になるというのは、もっともだ。ただ、こう言ってはものすごく失礼だけれど、指導員の方は、教育に関して専門的な知識やスキルを持っていない可能性がある。もちろん持っている人も居ると思う。が、全員がそうではない。子供の暴走を止められない人も居るだろう。

現に、私が見た時、ひもを振り回す子に対して指導員の方は、きつく叱っていた。「そんなことをしちゃいけません!もう駒の遊びはさせません!」かなり強いトーンで注意していた。
が、怒られている当の子供は全く聞く耳を持っていなかった。要するに、少なくともこの子については管理監督はできていない。きちんと怒っても響かないのであれば、指導員の方のキャパシティや能力にも限度があるし、そこまで求めるのは酷だ。

だから正直、誰が悪いとかは無いのだと思う。むしろ、悪いと言うなら、それに関わる人全てが悪いとも言える。その乱暴な子はもちろん、それを放置して育てた親も悪い。教育法も持ち合わせていない指導員の人も、その状態で送り出す自治体若しくは民間サービス業者も悪い。狭い教室しか、確保できない提供させない学校や自治体も悪い。

でも、犯人捜しを幾らしたところで、何も変わらない。
それなら、どうすればいい。色々な方法や策はあると思う。私は、子供にいつもこう教える。「逃げなさい」と。
変わることができる、変えることができるのは、自分そして自分の子供たちの状況だけだ。危ないなら隔離させる。自主的に逃げてもらう。少なくとも、自分の大切な子供が被害に遭わないように。防衛策をとるべきだ。

「それは間違っている。根本的な解決にはならない」という意見も分かる。「戦うべきだ。現状に問題があるのであれば解消するために動くべき」という人も居るかもしれない。けれど、子供に「今は、戦うべき時じゃない」と教えるのも親の役目だと思う。大事なわが子を、勝ち目のない戦に突っ込んで行かせた末に死なせることを、私は美学だと思わない。逃げていい。危険ならすぐに逃げていい。

どこか忘れたが、アメリカの銃社会では、「RUN HIDE FIGHT」という考え方があると知った。それは私の信じているものと似ている。

「Run」
何事においても最優先すべきで、何が何でも逃げる

「Hide」
逃げる手段がない場合は、犯人に見つからないように隠れる

「Fight」
逃げられず隠れられない状況で、犯人が向かってくる場合は戦う

学童で危ないことをして遊ぶ子が居る状況は、正直看過できないが、息子はそれでも楽しそうに学童に通っている。遊べる友人が居て楽しいようだ。でも、彼を危ない目には遭わせたくない。もちろん、親としては子供に強くなってほしい気持ちはあるが、小学校低学年だと、学校や学童というコミュニティ内で、体力や腕力で敵う相手のほうが少ない。だからと言って「学童を辞めなさい」とまで言うのは過干渉というか、彼を守りすぎていると思う。(過保護なので本当は辞めさせたい気持ちはある)

そうなると、今は、「戦い方」よりもまずは「逃げ方」、それから「大人への頼り方」を教えたうえで、親としては、彼が成長するのを見守ることも大事なのだと思う。
「危ない状況や、怖い状況、怪我しそうになったら、先生や指導員の人とかの大人を頼ってもいい。それでもまだ安心できないなら、逃げてもいい。まずは逃げてもいいよ」

それから、思うに、きっとそれは学校社会に限ったことじゃなくて、大人の社会という成熟したはずの世界でも起きうること。

昨今、日本国内でも、無差別で恐ろしい事件が起きている。列車内という日常空間が、突如として殺戮現場になるということもある。そういったときに大事なのは、やはりまず「逃げること」だと思う。戦うという行為は勇敢だし、尊敬に値するものだと思う。けれど、全員が全員そういった行動をとれるわけではない。何よりもまずは、自分の命を守ることをすべきだと、私は思う。

職場でも同じ。家庭でもそうだろう。パワハラ、セクハラ、モラハラ。真っ向から立ち向かうだけが戦術ではない。もし今、何か自分でどうすることのできない力によって苦しんでいるのであれば、自分の心が折れる前に、自分の心を殺す前に、まずは「逃げる」それが大事だと思う。ちょっとそれは経験談があるけれど、その話はまた今度にします。

逃げることは、恥ずかしいことではない。生きていることが何よりも素晴らしいことだと思うから。