あさぶろ日記

note のほうに書いている記事を保管しているだけです。

note を書くことで生まれる時間の話。

なぜだか分からないが、こうして毎日 note を書くことにしたことについて、内省してみる。別に悪いことをしたわけじゃない。反省じゃない、顧みるということ。

以前の記事にも書いたが、一度書くテーマを決めてしまえば、とりあえず何かしらダラダラと文を書くことはできる。私は書きながら考えるタイプだからだ。
しかし、テーマが決まらないと「うーん、何を書こう」と色々と思案をしてしまう。思えば、ポンコツながらもこんなにも長時間アタマを回転させた状態でいるという行為や時間は、それこそ大学生ぶりかもしれない。大学の頃はあまりに暇でメルマガやブログ、日記の文章を四六時中考えていた。社会人になって仕事をするようになって、そして、結婚して子供も生まれて、そんなこんなで思考を巡らせる時間なんて、いつのまにか無くなっていた。
でも、こうやって毎日何かしら書くぞと決めて、書くテーマを探していると、なんだか忘れていた自分自身と少し向き合う時間が少し生まれたように感じる。

では、なぜ今までそうしてこなかったのだろう。仕事をしていれば、そして、家で家事や子供の面倒を見ていれば、「忙しい」からだ。そう考えると、今の自分は「忙しい」状態ではないのかもしれない。

仕事はもちろんしているので「暇」というわけではない。でも、このコロナ禍で在宅ワークになったことで、時間のメリハリを自分でつけられるようになった(むしろ、自分でメリハリをつけなければならなくなった、と言うべきかもしれない)。
仕事で行き詰った時、オフィスに出向いていたときは、周りの目もあるのでせいぜいお茶でも飲んで数分休憩するということくらいしかできなかったが、家に居る今では、ちょっと溜まっている家事をしたり気分転換に読みかけの本に目を通したりできる。そうすると、「あ、何やら思うところがあるな・・」というアイデアや仕事上のヒントが浮かんだりする。そうやって考えている時間は、たぶん忙しくないのだろう。急な仕事依頼や調査が舞い込んできた時は、そんなことはしていられない。
仕事が終わってもそうだ。子供が保育園や学校から帰ってくれば、もちろん自分の時間など無い。次から次へとイベントが発生する。家族で食事したらすぐに食器を洗うとか、宿題の丸付けとか、お風呂入れてザブンと入って上がったらすぐ寝る準備するとか。

だから、そんな毎日を過ごしていると、仕事を終えて、子供が帰ってくるまでのほんの数十分や小一時間、私は自分と向き合ったり、妻と二人で買い物をしたりする、そんな束の間の時間がとても貴重で有難い。そうやって心に余裕を持った穏やかな時間を過ごして英気を養う。

そういうわけで、心の余裕は必要。がっつり自分の時間を持てとまでは言わないし言えないが、たとえばちょこっと近場のスーパーに買い物に行って新しい商品を見るとか、お風呂の入浴剤をお気に入りのものにしてみるとか、早朝に外に出て澄んだ空気を吸ってみるとか、何かしら一瞬でも、心の余裕が無いと、生活は疲れる。
なので、元気でいるために、私はとりあえず毎日1記事を書いてみる。記事を書こうとすることで強制的に自分と向き合って、忙しさにストップをかけるために。

ちなみにいつも記事を書く時間帯は、仕事前または仕事終わり。朝焼けか夕焼けということでこのイメージ。