あさぶろ日記

note のほうに書いている記事を保管しているだけです。

文章を書くことで、永遠に分からない「自分」の輪郭が少しでも濃くなる話。

「毎日何でもいいから一つ記事を書いてみるか」と決めてnoteを始めてみたのだけれど。

noteに書くネタというか書く題材を考えることはちょっと大変だったりもするものの、現状まだ案外こうしてやれているというところだ。書く際には、私は、事前に大きなテーマを決めて、詳細は書きながら考えて詰めていく。だから、テーマ決めさえして書き始めれば筆は進むので、毎日でもそこまで無理せず書けるような気もする。
まあこう書いたけれど、別に毎日書かなくてもいいかな、とも思っている。そんな緩いスタンスのおかげで肩の力が良い感じに抜けているから、そこまで負担ではないのかもしれない。

そういえば、何かしらの文章を書くという行為は、実は嫌いではなかったのを思い出した。

思い返せば、高校時代はたしか紙の日記を毎日それこそ三年間続けて書いていた記憶がある。誰にも見せるわけではないし、当時読んでいた小難しい本の言い回しなんかを真似て、辞書も引き引き、ちょっと背伸びした文章を書いていたものだった。
思えばこの頃から、文を書きながら考えるという行為が楽しいと感じていたのかもしれない。

大学の時はmixiというSNSが大流行りした時期だったので、親しい友人向けに、長ったらしい文章を書き殴ることも多かった。誰に強制されたわけでもないが、思いっきり長く暗い文章を「これでもか」と書き散らしたりしていた。

一方でその頃から、現実の友人には知らせず、ひっそりとブログを始めて、そこで書いたりもしてみた。ブログは、幾つかあるサービスを試してみて、一番ひと気が無くて、シンプルで安定的に運営されてるところが見つかった。だから、大学時代は毎日でないにせよ、結構な頻度でそこで日記をつけていた。たまにコメントなんかも頂いたりして、ネット上でしかやりとりはないが、今でも関係が続いている方も居る。実は今でもアカウントはあるし、社会人になってからも月一くらいで更新していたけれど、最近はそこで書いていない。

自分でありながら自分でないような、WEBで文章を書いていると、日常生活をリアルに送る自分とは異なる、何か別の自分に出会えるような気がして、なんだかこそばゆいというか心地よさを感じた。リアルな自分とは違う、もう一人の自分がたしかに存在している。匿名だけれど匿名ではない。名前は無いけど、たしかにある。
分かりにくすぎる表現で申し訳ない。

それは今こうしてnoteを書いている時も同じだ。誰に見せるわけでもない文章をこうして書いているのは、誰が読んでもいいように書いている。もう一人の自分をひっそりと見せているということだ。そうでなければ、自分の部屋にある鍵をかけた机の抽斗の中に日記をしまって、その中だけで完結させればいい。でもそうしないということは、誰かに見てほしい、読んでほしいということだ。それは誰か分からない。この文章を今まさに読んでくださっている、あなたに向けてかもしれない。

長々と書いてちょっと脱線気味になってきた。すいません。
いずれにせよ、私が書く目的は、

・書くことが楽しい
・自分の思考の整理や振り返りになる
・やってきたことのノウハウの共有
・少しだけ構ってほしい
・もう一人の自分の軌跡

とかなのかなと思っている。最も大きいのは一番上の「楽しい」なんだけど、一番下の「軌跡」もかなり目的としては嬉しい。変な話、自分が居なくなったとき、ネット上に浮かぶ私の文章を家族とか知り合いが読んで、「ああ、こんなこと思ってたのか」と思ったり懐かしんでくれたら一番嬉しい。
だから、あんまり恥ずかしい内容とかは書かないように気を付けている。いや、読み直すとだいぶむず痒くなるような文章だったりもするかもしれないけど、それはそれで仕方ない。それももう一人の自分であり、それも含めて自分だからなぁ。どれもこれも現実世界に存在している。嘘の存在じゃない。

全部含めて「自分」なわけで、その全体像はぼんやりしてよく分からないけれど、「あっ、こういう部分があるな」というのを自分が認識して表現して、それをまた別の人が見て認識して判断して、そうして「自分」が少しずつ鮮明になるというか輪郭が濃くなるような気がしている。でもきっと、完全にその正体が分かることはないと思う。

いつになく長々と書いてしまったけれど、こういう長ったらしくて支離滅裂で意味も無い文章を書くのは実は結構好きです。仕事とかでは書けないような、家族にも聞いてもらえないような話。それも自分なのよね。