あさぶろ日記

note のほうに書いている記事を保管しているだけです。

子供なのはお前のほうだろうという話。

つくづく、本当に自分は愚かで未熟だと思う。

昨夜、息子をきつく叱りすぎた。
発端は、とある行為を息子に注意した際に、「自分が同じことをされたら嫌でしょ?」と真面目なトーンで話していたら、当の本人は聞く耳持たずに、ただただ変顔をしてふざけていたためだ。
こっちが真剣に話しているのに半笑いでニヤニヤしながらひょうきんな顔で無視する彼の態度に、堪忍袋の尾が切れてしまった。
「真面目に喋ってるのに、なんで何も言わずにふざけてんだよ!会話もできねえのか!」と激昂して息子に詰め寄った。しばらくして、あぁやってしまった、息子のすすり泣く姿を見て自責の念に苛まれた。

こうなった時は、こんな愚かな父親でなく、優しい母親にフォローしてもらうようにしている。本当に助かる。母親の前でなら彼も気持ちが落ち着き始める。
そして我が家には「即仲直り」のルールがあるので、妻のおかげで私も少し冷静になったところで、ハグをして謝罪して話を始める。

言い方が強すぎた、ごめん。ただ分かって欲しかった。会話をしてくれない寂しさ、無視される辛さ、それは今ふざけていい時間なのかそうでないのか、よく考えてほしい。
その時に、ふと話の中に出てきたのが、私の「父親」のことだった。

「パパは、パパのパパとあまりお話をすることがなかった。だから、○○(息子)とはきちんと話がしたいんだよ。会話をしたい。親子の男同士の話は、ここでしかできないんだから。大きくなったら親子でお酒も飲みたいし、たくさん話したい。俺はそれを楽しみにしてるんだよ」

怒っている時は気付かなかったが、自分は心のどこかでそんなことを思っていたのだ。

実は、私の父はもうこの世にはいない。私が大学3年の時に病気で他界してしまったからだ。父親のことについて、私は、あまり子供に話していなかったが、亡くなったことは伝えてある。泣き止んで落ち着いた息子が口を開き、こう訊いてきた。

息「パパのパパは、なんで死んじゃったの」
私「病気だったんだよね」
息「なんで病気になったの」
私「わからない。でもなかなか治らない病気だからね」
息「ふーん」
私「だから○○(息子)とはたくさん話をしておきたい」
息「ふーん、そうか…」

彼の心にどれだけ響いたか分からない。こんな強い言い方でモノ言う父親の言葉なんて耳に入らないかもしれない。
だけど、「生きているうちに話をしたい」という気持ちは常に自分の中にあることが分かった。だから、何度でもどんなときでも子供に向き合ってぶつかっていこうと思った。話をしよう。聞いてもらえなくても話をしよう。

でも、聞いてもらえなかったからといって怒るのはやめよう。シクシク泣いている彼の姿を見ると、胸が苦しくなる。どうして自分はこんな馬鹿なことをした、もっと言い方があったろう、接し方があったろう。後悔しかなくなる。思い出すたび、心がギューッと締め付けられ、小さく握り潰されるような感覚になる。

彼の気持ちを傷つけず、彼の心に届く方法は無いのだろうか。
叱った夜は、いつもモヤモヤが自分の心を覆って、寝ても寝た気がしない。
叱った後に、居た堪れなくなっていつも妻に後悔の念を打ち明ける。するといつも
「○○(息子)は大丈夫だよ。優しいし、何より、人を許せる寛容さがある。怒られたからと言って、きっとパパのことを嫌いにはならない。大人だよ」
と言ってくれる。

いったい「良い父親」って何だろう。少なくとも、今の自分のような愚かな人間のことではないように思う。もっと親父と話しておけばそれが分かったのだろうか。いや、でもいつも喧嘩ばかりだったし、きっと分からなかったかな。
だから、息子には、私が居なくなっても悔いのないように、今からたくさん、暑苦しいほど愛情をもって向き合おう。たくさんたくさん話をしよう。そう思った。

こんな可愛い子供を泣かせてまで言うことを聞かせようとしている自分が浅ましくて、嫌いだ。
もう少し大人になれ、自分よ。