あさぶろ日記

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優しい世界に生きていたいという話。

自分とはなんと非常識でひねくれた人間なのだろう。子供には真似してほしくない、似てほしくない、そんな反面教師シリーズ。

今読んでいる本の中に、組織運営にとって「真摯さ」は重要だというような内容の記述があった。
いったい「真摯さ」とは何だろう。
真摯さとか、誠実さとか、素直さとか。
最近、そういった言葉を感じた瞬間があったことを思い出した。

家族で外食に出かけた際のこと。
ちょうどお昼時だったこともあって、レストランは混み合っていた。満席だったらしく、入り口にあった順番待ちのボードで受付をして、私は子供と一緒に待合室で待つことにした。そのレストランの待合室は幾つかあって、私と子供は、入り口付近にあった4人くらい座れるベンチのあるところに座った。我々2人以外に、見知らぬおじさんも1人座っていた。
そこに、騒がしく談笑しながら何人かの若者の集団が店内に入ってきた。入り口付近に居たので、ドアが開いては閉まり、開いては閉まり、そうして最後の人が入ってきた時、ドアは閉められずに開いたままになっていた。
その日は天気も良かったし別に寒くも暑くもなかったので、私は「あっ、ドアは開きっぱなしだなあ。でも別にいいか」くらいに思っていた。
すると、我々と同じく座っていたそのおじさんが、最後に入店してきたその人に向かって

「最後に入ってきたら、ドアくらい閉めろよ!」

と若干強めのトーンで注意した。

その若者は髪の毛も染めていて派手で、一見いかつい格好をしていたのだが、その注意の声に対して

「あっ、ごめんなさい!すみません…」

と、見た目に似合わず、すぐに背を丸めて謝っていた。
そうして謝罪の弁を述べながら、彼はドアをそっと閉めてその場をあとにした。あんなにキツい言い方をされたのにも関わらず、ムッとする素振りなど一つも見せなかった。
私はそれを見て、「真摯さ」を感じた。

普通、そんな嫌な言い方をされたら、こっちだって嫌な気分になるはずだ。注意された彼のほうは、内心はどうか分からないが、少なくとも、やり取りの中で不快感を見せるような仕草は一切なかった。
人を見た目で判断して本当に申し訳ないと思うが、あの若者は逆上してもおかしくなさそうだった。注意されたら「なんだとゴラァ」みたいなリアクションをするもんだと、勝手に私は想像していた。

だけど怒るどころか、その彼はひたすら自身の非を詫びていた。
もし自分が同じ立場だったら、北風がビュービュー吹き荒んで凍えるような季節でも、炎天下で少しでも空調の冷気を保ちたくなるような灼熱の季節でもないのに、たかがドアを開けっ放しにしたくらいで激昂されたら、こっちが腹立ってしまうかもしれない。「なんだとゴラァ」とまでは言わないと思うが、内心「えっ、何そんな怒ってんの。感じ悪…」くらいの態度が出てしまうだろう。

…いや、もしかしたら私がそう思うだけで、一般的には彼の方が普通な対応なのかもしれない。
そうだ、だって状況としては、良くないことを指摘してくれただけであって、それに対して謝っているだけなのだ。なにを逆ギレすることがあろうか。
だからこれはきっと単に「優しい」お話というだけなのだ。

本に出てきた「真摯さ」という言葉が気に掛かり、意味を調べるうちに、素直さとか誠実さというものが自分には圧倒的に欠けているような気がして不安になった。

でも、内心ちょっとだけ思う。

「ドア、開いてますよ」

「ああ、すみません、ありがとうございます」

こんな優しいやりとりだけでよくない?
ちょっと自分はあまりに穏やかな世界を望みすぎなのか。

いずれにせよ、せめて子供にはちゃんとした姿見せないと。でも何をもってして「ちゃんと」なのだろう。取り急ぎ、そんなトーンで怒られても逆ギレせずに素直に謝れるようになることかもなぁ…。