あさぶろ日記

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穏やかさと尊重の話。

子育ては難しい。でも、それは自分自身を律することが難しいというのと同義なように思える。

子供のしつけというか、そういった場面でつい声を荒げて注意してしまうことがある。
じゃあどんなことで叱ってしまうのか。
基本的には、あまり口うるさいことは言いたくないので、子供が「怪我をする、またはさせるかもしれないような危ないこと」をしようとした時だけは強く言うようにしている。
しかし、つい、子供が「他人に迷惑をかけそうなこと」をしようとしていた時にも怒ってしまうことがある。
大きな声を出した後、毎回凹む。未熟な自分が嫌になる。

そのような時に、妻は言う。
「『迷惑かけないように』というのは分かるけど、迷惑はかけたっていいと思う。それを避けて人と接することはできないし、大人だってそうやって迷惑を掛け合って、支えあっているんじゃないかな」と。
その通りなのだ。
私は、親から「他人に迷惑をかけるな」と言われて育てられた記憶が強いために、これが当たり前のことだと思っていた。
でもそうではない。
妻が示唆した言葉は本当にその通りだが、それ以外にも、人はそれぞれ違う存在なのだということを教えられる。
実際、子供も、1人の人間。
尊重すべきなのに、つい、自分の思い通りにしようとしてしまう。

それを思い知らされるのは、仕事をしている時だ。
私の勤め先というか、上司が出来た人だと思っている。
とにかく穏やかで、仕事を進めるうえで、通常目上の人に対して抱くような萎縮や恐怖を感じることがほとんど無い。
とはいえ、小馬鹿にするだとか目下に見るだとかそういった感情を抱くわけでもない。
直属の上司のみならずその上の上長もそうで、私は今の職場に勤め始めてこの人たちの部下となり、もう4年くらい経つのだが、全く叱られた記憶が無い。
叱るではなく注意のレベルならもちろんあるが、それも感情的なものではなく、実務的・論理的な指摘にすぎない。
そして、誰に対しても「さん」づけで呼ぶ。
もちろん人間なのでこの先はどうなるか分からない。
何より他の部署の人たちを見ると、実に「動物的」な態度で接してくる人も居るので、社風というよりは、私の今居るチームが恵まれているだけかもしれない。

その雰囲気や接し方は、自分も影響されている。
業務上、誰かしらの怠慢に近い原因で問題が発生した場合、問題解決に向けてとる行動として、ついその個人に対する攻撃になってしまいがちだが、一歩立ち止まり、冷静に事象の指摘と解決に向けた促しを行うようになっている。
そうすることで、たとえ個人に起因するミスだったとしても、あくまで「業務上の問題であり、解決すべきもの」として処理され、人間関係に亀裂は入りにくく感じる。
また、年齢や経験に関係なく、基本的に「さん」づけで丁寧語で相手に接することで、「こいつは自分よりも下のやつだから軽く扱っていいんだ」というような思考にもなりにくい。
これは紛れもなくチームの雰囲気が、個人の感情の歯止めになっていると思う。
相手をきちんと尊重しているからこそ、感情的なやりとりにならない。
もちろん、感情的なもの全てが悪いというわけではない。
衝動的であったり感情が爆発するようなエネルギーや、感情を揺さぶる・揺さぶられる行動、それらは何かを成し遂げる強いモチベーションに繋がる。
だが、負の課題を片付ける際の道具としては、余計対人関係をややこしくする可能性が高く、あまり向かないと個人的には感じる。

では子育てにおいてはどうか。
自分は果たして、子供を「尊重」できているか。
相手のことを下だと、軽く扱っていいと、思ってやしないか。
なぜ、穏やかに接することができないか。感情的になって、良いことがあるのか。
1人の人間として尊重する。
そういった基本的であり、根源的な人間関係のルールは、たとえ自分の子供であっても、適用していくべきなんだろうと痛感する。
と同時に、まだまだ未熟すぎる自分自身を、恥ずかしく思う。