あさぶろ日記

note のほうに書いている記事を保管しているだけです。

いつかまた転びそうになった時のために、の話。

昔話とか思い出話とか、そういうのは、実は嫌いじゃない。

ただ、それを書いてしまうと、よほど文章力に長けていない限り、それを読む人にとっては「ふーん。あっそう」とか「へーそうなんだ」という反応になってしまう。自分の心の奥底にあったものを取り出して、誰かがそれを見つけて触れてくれた瞬間に、何だかあっけないものに変わってしまう気がする。「そっか、そういうこともあるんだね。大変だったね」で、おしまいだ。書き手と読み手の温度差がすごいというか、拍子抜けしてしまう感じに近い。

もちろんそれはそれでいいときもある。その方が都合が良いときね。自分の悩みが重くて重くて抱えきれないときには、そういう行為はとても効果があると思っている。ただ、何と言うかな、「大事にしたい」と言うとちょっと違うかな、もしある種の「十字架」みたいな「こんなものを人様に見せるわけにはいかない。自分で処理しなければならない」と思っていることに関しては、やっぱり軽々しく書きにくいわけで。

そもそも日頃から、誰かに役立つための記事とかそういうのを書こうと思ってはいないけれど、それでも、「あぁ、わたしもそうだった」とか同じ悩みや思いを抱えている人のために、少しでも希望の光みたいなものを共有できたらいいなと思って、書いたりしている。恥を忍んで。

だから基本的には、その日にあったことや、直近の出来事から着想を得て、思考の瞬間冷凍という形で、私の note の記事は作成している。

でも、今から書く話は、本当に「自分のため」であって、誰にも共感してもらえないことを覚悟して書く。

そして宛先である「自分」というのは、今の私のことではない。この先にいつか登場するかもしれない私。かつての私が苦しんだように、また同じように躓いて、転んでケガをしないようにするための、未来の私に向けた話。来ないなら来ないでいい、でももし来た時のために「お前は以前、こんなところで転んでいたんだよ、気を付けなさいよ」と教えてあげるため。

未来のために、過去の話をする。


あの時の私は、社内で当時最も大きいプロジェクトに参加することになると聞いて、不安よりもまず楽しみというか変な優越感があったんだ。

それは、私がその時に担当していた業務を「来週から別のところに行ってもらう」と強引に引き剝がされて、その晩にすぐに簡易的な送別会が開かれて、何というか会社から「お前が必要なんだ」と言われた気がしたんだ。別に問題行動や不祥事を起こしたわけじゃないから、栄転なのかな、と自分で勝手に考えて、内心、そのちっぽけな自尊心がいっぱいに満たされたような心地がした。

事実、私が参画する頃には、そのプロジェクトは既に佳境に入っていて、非常に恵まれている環境というか所謂「目線が高い」というか、数多くの業務チームをとりまとめる上位組織的な役割のチームに所属して、目上だろうが顧客だろうが、とにかく「マネジメント」する立場として、プロジェクトの運営に携わる仕事が待っていた。

まだ社会人も四年目とか五年目とかの若手だったのにもかかわらず、社内最大規模のプロジェクトのなかで、海千山千の数多くのベテランのメンバーをコントロールするという立ち位置に、当初私は、優越感を抱いていたんだろうと思う。

けれど、そんな思いは、数週間もすれば脆く崩れ去って。いや、正確に言うと、崩れたのは優越感そのものじゃなくて、いっぱいに満たされたと思っていた自尊心のほうだったんだ。

他部署から一本釣りで引っこ抜かれて、全ての業務を統括するチームに所属したんだから、さぞエラそうな立場で仕事をするのかと思いきや、実際には任された仕事は、誰でも出来るようなルーチンだった。

毎日毎日、やりがいのない、同じ作業を朝から晩まで繰り返す。22時になって、さてそろそろ帰ろうとしたときに「翌日の業務で必要なので今から急いで対応してもらえますか」と頼まれ、結局は終電を逃して、タクシーで帰ることもしょっちゅうだった。

自分だけがこんなつまらないルーチン業務を行っていて、同じチームの他のメンバーはそれぞれにテキパキと自身の業務をこなす。そんなふうに考えていた。実際、所属していたチームは、社内の優秀な人材が集まっているようなところで、毎日毎日、自分の無能さを自分自身に突きつけられているような思いがしていた。

中でも、同じチームに居た一番近い先輩は、社内でも特に優秀だと評されている人で、所謂、若手のホープと言われるような存在だった。同じように激務にもかかわらず、その人がのびのびと仕事をしている様を見るたびに、それに引き換え、自分の体たらくをいつも私は嘆いていた。

とはいえ、自分の業務がそのようなものでなく、もしその先輩と同じ業務を自分もやっていたとしたら、彼のように活躍できたのかというと、そのような自信も無かった。そこにあるのは、憧れなんかじゃなくて、ただただ自己嫌悪になって萎んで燻っていく自分の心だけだった。本当は自分の状況を呪いたかったが、それもできなかったのだ。

目の前の仕事を、単純作業、無駄な作業、退屈な作業、そういったものに捉えるようになっていった。今に思えば、恥ずかしながら「こんなの、俺がやるべきことじゃないんだ」という尊大な思いもあったのだろう。当然なのか、ミスも増えた。あるとき大きな失敗をしてしまって、各所に謝りに行くなかで、「何が栄転だ。足を引っ張っているのは自分じゃないか」という思いが次第に膨らんでいって、少しずつ苦しくなった。ピカピカ煌めいていた自分の心が、どんどんと黒くなっていく感じがした。

挙句の果てに、上長との面談の場で「君は●●のようになってほしい」と言われて、そこで何かがポキッと折れたような感覚があった。その●●というのは、上で書いた同じチームの優秀な先輩のことだった。端的に言ってしまえば、私は、彼の二番煎じとして、プロジェクトに呼ばれただけだったんだ。

そのことに気付いて、いや気付いていたはずなのに、面と向かってそういう事実を指摘されて初めて、そこで私の思考が止まってしまった。それまで「それでもやっぱりこんな大きなプロジェクトに参加させてもらえるだけで私はすごいんだ」という僅かな優越感だけを頼りに気を保っていたけど、そこで自分を操る糸がプッツリ切れてしまった。

少し前だったら「でも頑張れば●●先輩のように、私も輝けるはずだ」と前向きな考えができたかもしれない。けれど、その時の私にはもう限界だった。

なぜなら、私が日々の仕事を辛く感じていた背景には、その先輩から「面倒だから、やっておいて」とルーチンワークを丸投げされたことや、それを来る日も来る日も私一人で担当するしかなかったことや、どうしても業務上で分からないことを先輩に訊こうとしたとき、彼の「今忙しいんだけど」という素っ気なく接せられた態度があったこと、そして悩んだ末に私が捻りだした答えを、無言で「ふーん」とだけ返された彼の冷たい表情が記憶に刻まれてしまって、人に何かをお願いすることが怖くなってしまったこと。そのようなものが、積もりに積もっていて、自分では抱え切れないほど大きくなっていて、今にも自分をペチャンコに押し潰そうとしていたからだ。

「君も、その先輩を目標にするように」と言われたことは、彼のそれまでの言動を正当化して「正しい」という烙印を押したうえで、その一方で、私のこれまで抱いてきた思いや行ってきた働き、そして自分の存在自体をことごとく否定しなければならないような気にさせられた。「ああ、私はやっぱりダメなやつだった」と、なんだか目の前が真っ暗になったように感じた。

深夜残業や、度重なる休日出社で、きっと心と体のバランスが崩れていたかもしれない。それは否めない。でも、気が付いたら、会社に行くのが怖くて、いつも体調が悪くて。何も食べてないのにお腹は減らなくて常に吐き気を催していた。電車に乗っていると、目の前がボヤーっとなった。駅のホームで、そんな気はサラサラ無いはずなのに、ずっと何かを見つめてしまうことが増えていた。疲労感はもちろんあったけれど、生きるための光というか純粋な日常の楽しみというか、そういったものが、毎日の仕事をこなしていく中で、少しずつ薄く薄く感じるようになっていった。

そして遂に、ある日私は、家の玄関から出ることができなくなった。

泣きながら妻に打ち明けて、病院に連れ添ってもらって診察してもらった。お医者さんからは、鬱状態です、と診断された。鬱ではなかった。まだ病に値する症状ではないらしかった。すぐに休職をするように言われて、しばらく安静にすることにした。

怖くて仕方なかったけれど、その時に上長に連絡をした時のことを、私はずっと忘れない。しばらく休みます、と言ったら、返事が「了解。〇〇(ベンダー)と調整して何とかしておいて」とだけ返ってきた。上長は、部下である私の体調よりも、仕事のほうが大事だった。部下だろうが関係ない、自分のことで精いっぱいなんだ。そういう思いが痛いほど伝わった。

当時、仕掛中の作業があって、ベンダー(一緒に仕事をしてくれている他社の人たちのこと)と協力しておこなっていた。それを、私が途中で抜けるから説明しておけ、ということを意味していた。

私は、上長に言われるまま、ベンダーに連絡して「すみませんが・・」と陳謝した。ベンダーからは「気にしないでゆっくり休んでください」と温かい言葉を頂いたが、当時の私は「また私が足を引っ張ってしまった。迷惑をかけてしまった」という思いがべったりまとわりついた。幾ら労いの言葉を受け取っても、その裏にある本音では「このクソ忙しい時にダウンしやがって。役立たずが」と、私を酷くこき下ろしているのではないかと思ってしまって辛かった。

結局、私は胸にわだかまりのようなものを抱えつつ、休みに入った。

ここまでが、心が折れてしまった過去の私の話。


その後は、数か月かかったけれど、妻のサポートもあって、何とか社会復帰することができる状態にまで戻った。何もかも壊れてしまう一歩手前で、ヘルプが出せたからだと思う。まだ生きていたいという思いがあって、逃げることができた。

今は、大丈夫。

ただ、大丈夫なのは、心も体も元気になったから、では決してない。「いざとなれば逃げてもいいんだ」と思えるようになったからだ。

10年近く前のことなのに、いまだに、辛く苦しい気持ちがフラッシュバックすることがある。きっと心は元通りになっていない。この先、元通りになることはないだろうと思う。

けれど、生きるなら、生きたいと思えるのなら、そんな心の状態であっても、毎日を過ごしていかなくてはならない。

またいつか、そういう状況に追い込まれるかもしれない。そうしたら、どうするか、どうすべきか、私はそれを打開するための一つの手段を知っている。それが「逃げる」ということだ。

弱いと思われてもいい、恥ずかしくたっていい、逃げたほうが良い。殺されるよりマシだ。殺しにかかってくる加害者は、会社や仕事、人間関係がそうしてくるように見えるかもしれないけど、本当は、加害者は自分なんだ。おかしな話だが、加害者も被害者も、同じ、自分だ。だから、自分から自分を守ってあげるしかない。それが出来るのは、やっぱり自分しか居ない。

そのために、逃げる。とにかく逃げる。

ところで、当時、心療内科にかかった際に、先生にこう言われた。

「朝、みんな嫌な気持ちはあっても、普通は、学校や会社に行くものだ。

それが今、出来なくなっているあなたの状態は、正常じゃない。それが、鬱状態ということだ。

だから、休む必要があるんだよ」

元気が空っぽになる前に、休むこと。
にっちもさっちも行かなくなる前に逃げること。

幻想に押しつぶされる前に、現実を見る。目の前の日常に目を向ける。生きていることを自覚する。

自分のことを大切に思ってくれる、家族や親。一緒に過ごして楽しい友人。寝食を忘れてしまうほど、のめりこんでしまう趣味。外に出て、公園を歩いて、自然の匂いを嗅いで、町の音を聴いて。好きな絵でもいい、好きな音楽でもいい。気の置けない人たちと食べたり飲んだりする時間や、ひとり大好物を堪能する至福のとき。ガチャガチャと賑やかに家族で囲む食卓。なにか自分の心が弾むような、そうでなくても、落ち着くような安らぐような。そういう瞬間。そういう日常が、あなたには、ある。どんなに些細でも。

その日常を守るために、逃げるべきだ。
生きているんだから。生きたいんなら。

仕事や人間関係が辛くて辛くて仕方ないからって、自分を殺しちゃだめだ。心は元には戻らない。だったら、いっそ、自分がそんな場所から立ち去って、自分を守ってあげること。

私の経験なんて、甘っちょろいものかもしれないけれど、自分にとっては、上で書いた出来事は、大きな人生のターニングポイントだった。

おかげさまで大企業の安定した身分を捨て、住宅ローンに追われて社畜のように働く日々になってしまったわけなので、正直後悔はある。「もっと他に方法は無かったのかな」と。

でも、良い方に目を向ければ、私は、自ら立ち止まって、それ以上事態が悪くならないように選択ができた。それは正解だった。下手をしたら、まともに生活できなくなっていたかもしれないからだ。そのおかげで、もしかしたら今の家族とも出会えたし、この生活ができているとも言える。後悔はあるけれど、間違っていなかったと思える。

だから、もしいつかまた、以前と同じように苦しくて仕方ないようなことが起きそうになったら、この昔話と当時の心を思い出して、対処法も知ったうえで、「(今悩んでいることなんて)どうでもいい」と思えるように、してあげたい。


デールカーネギーの言葉にこのようなものがある。

小事にこだわるには人生はあまりにも短い

小事なんて、捨てちまえばいいんだ。あなたの人生に重要なことじゃないんだ。

また、突然だけど、一曲ご紹介。

小さな声 ー ハンバートハンバート

実は今日、たまたま、この歌を聴いて、歌詞を読んでみたんだ。それで、当時のことを書きたくなってしまって、この記事を書いた次第。

この歌は、最後にこんなフレーズで終わる。

誰か 気付いて 気付いて 気付いて
今に壊れて崩れそうだよ

ぼくが君なら 背中をたたくよ
逃げたらいいんだよ

もし当時、この歌を知っていたら、何か変わっていただろうか。
そんな仮定に意味は無いのは知っているけれど。

とにかく。今の自分から、未来のあなたに言えることは、一つだけ。
死ぬ前に、逃げてくれ

それから、欲を言えば、もう一つ。
もし、そういう人を見つけたら、出来ることなら、ちゃんと気付いてあげよう。
その痛みを知っている人にしか、できないこともある

それだけ。そんな独り言。

塗り替えられた連休の予定と懺悔の話。

すまん。少しの間、許してほしい。
愚痴ではないんだけど、少し仕事の話。


今の時期、世間はシルバーウィークということらしい。

前に記事でも書いた気がするが、私の勤めている会社は祝日とか何とかそんなものは一切関係が無いようなところなんだけれど、この頃は、有給も少し余っていたことだし、せっかくだから私もこの時期、お休みする予定だった。

しかし、金曜日の夕方のこと。

「急ぎ、ちょっとこのデータ処理しなきゃいけないんだけど。普段より件数多いんだけど、大丈夫?」

という連絡を受けた。嫌な予感。

よくよく聞いてみたところ、通常時に比べて、200〜300倍のデータ量が発生する見込みとのこと。多くね…。

いつもは、せいぜい5〜10件くらいで、所要時間は大体、約10分+1件当たり1〜2分程度。5件なら15〜20分。10件なら20〜30分。

最近記事では書いていなかったけれど、私は事業会社の情報システム部門に所属していて、普段は開発業務を担当している。なので、詳しく書きにくいけど、こういうデータ処理の業務も自動化してるので、普段はそこまで気にしてないし、常時監視している必要は無い。

それが今回はその200〜300倍。つまり総件数は、多くて2,000〜3,000件。ということは、ざっくり半数の2,500件として計算しても、全件処理するためには約42〜84時間がかかる。

しかも、併せてこんな要望も受けた。

「連休明け初日の午後くらいまでに、処理が終わってると助かるんだけど…」

えっ、やばくね…。この連休は、土日月って3日あるけど、全部で24*3=72だよな。えっ、72時間しか無い。最短で42時間、かかったら84時間でしょ?ということは、上手くいけば終わるけど、上手くいかなかったら終わらない。えっ、やばくね…?

多分これはちょっと、ちゃんと監視しておかないと全件さばけない可能性あるな。全件さばけないにしても、いつ終わるのかの見通しくらいは立てておかないとな。ということで、急遽お休み返上して勤務することにした。

さすがにこの件数を終わらせるためには、ある程度計画的に処理して、何ならほぼ常時監視しておきたい。上にも書いたけど自動化してるので、起動だけして「あとはよろしく」ってことも可能だけれど、最悪のケース、途中でコケてる(※)のに気付かずに週明けてから「終わってませんでした」ってことになりかねない。

※IT業界では、処理が途中で止まっちゃったりすることを「コケる」と呼ぶ。

というか、諸事情あるのだけど、実はこの処理が、まあ普段からコケまくる。だから、二千何件とか処理してたらほぼ確実に途中でコケる。

もちろん、コケたのを検知しておいてリトライすることも可能だけど、そんなことしたり気にしたりしてせっかくの休みに水を差すくらいなら、いっそ最初っから休み潰して働いちゃった方が精神的にラクだ。やるべき仕事はあるので、常時監視しつつ、コケてたらリトライしたり、処理効率化させたりしながら、普段通りのお勤めをすればいいだけだ。

といったわけで、世間は三連休だけれど、お仕事することにした。

これは仕方ない。仕方ないんです。こういう仕事をしていると。「もっと早く言ってよ…」と名刺管理サービスで有名な会社のCMみたいなことを思ったりもしないでもないが、仕方のないことなのだ。別に週末の予定は、ため息で塗り替えたつもりはない。自己判断で働くことにしたんだから。言っておくけど、決して社畜ではないんだよ私は。働く権利を行使しているだけなんだ。そう思わせてほしい。

ところで、本当はこの休みの期間、田舎に帰省して、実家で過ごすつもりだった。だが、私だけこうして自宅に戻ってきた。妻と子供だけ田舎の実家に泊まってもらい、私はとんぼ帰り。

そんなわけで、冒頭の話に戻る。


だから少しだけ許してほしい。

何をって、

自宅で今こうやって、リビングで一人ダラっと、普段はあまり出来ない夜更かし(我が家では大体21時前には全員就寝しているので、今こんな時間に起きているのは異例)をして、以前に録画しておいたスペシャくるり特集を観ながら、普段は(子供が食べちゃうと危ないから)食べることができない暴君ハバネロをつまみにしつつ、糖質オフのビールを煽っている私を、許しておくれ。

みんなが遊んでいる中で、一人労働をしなければいけないという現実を受け入れきれない中で、せめて、こうして、翌日の仕事の活力をチャージさせて頂戴。

それにしても辛い。そして美味い。全然関係ないけど、音博行きたかったなぁ。今回ちょっと時期が合わないんだわ…。

さて、名残惜しいが、そろそろお開きの時間。歯を磨いて寝ます。

明日もお休みの皆さんは、たくさん遊んだりゆっくり休んだりしていただき、また、明日もお仕事の皆さんは、一緒にお勤め頑張りましょう。おしまい。

チグハグな生活の話。

今更な話だけれど、昨今のパンデミックによって、生活スタイルが激変した。

以前の私は、平日はこのような生活をしていた。

朝、風呂に入って、その後、朝食を食べて、子供を保育園に送る。

その足で、今度は駅まで行き、2時間近く満員電車に揺られながら、都内のオフィスに出社する。仕事を開始して、いきなり電話がかかってきて作業が中断するのにも負けずに仕事をする。

お昼休みには、よく行く立ち食いそば屋さんに立ち寄って、そこで何故か顔を覚えられているので無料でネギを多めにトッピングしてもらい、かき揚げ天そばか春菊天ぷらうどんを食べる。または、付近の居酒屋で、千円をちょっと超えるくらいの少し高めのランチを食べるか、安く済ませたいときはコンビニで軽食を買ってイートインで食べたりする。

食後は、少し歩いて公園でダラダラ過ごす。時間があるときには、駅近くの大型書店に寄って、仕事関係とか好きなジャンルとかの本を物色する。

午後も仕事をして、同僚と話したり、顧客とやり取りをしたり、上司にホウレンソウしたりして、さあそろそろ予定の仕事は終わりかなというところで、不意に声をかけられて突然降ってくるタスクをさばきつつ、定時になったらオフィスを出る。

たまには友人と一緒にご飯を食べたりお酒を飲んだりする日もあったりして、それから電車に乗ってまた2時間くらいかけて、夜、辺りも暗くなった頃に家に帰る。夕食は私以外の家族はとっくに済ませているので一人きりで食べる。

そして翌日の準備をしたりダラダラしたりしてから、代わる代わるお風呂に入って、それから寝る。

それが、パンデミックになり、家で仕事をするようになった今では、こうなった。

朝、風呂に入って、その後、朝食を食べて、子供を保育園に送る。

自室のパソコンを起動して、業務開始の連絡をして、仕事を始める。まずは届いていたメールを見て、担当案件をこなす。好きな音楽をかけて、それを聴きながらモチベーションを保ちつつ作業する。

お昼休みには、妻も家に居る時には一緒に近所のご飯屋さんに行ったり、スーパーやコンビニで買ったお弁当やカップ麺を家で食べたりして過ごす。

午後も仕事をして、職場の人との必要最低限のコミュニケーションはメールかチャットで済ませる。打ち合わせがあるなら、ビデオチャットする。

定時になったら、パソコンの電源を切る。終わり間際に問い合わせがあっても、急ぎでなければ見なかったことにして退勤。それから夕飯の食材と翌日の朝ご飯を買いに出かける。買い物終わりに子どもを迎えに行き、帰宅。みんなで夕食をとる。

そして翌日の準備をしたりダラダラしたりしてから、代わる代わるお風呂に入って、それから寝る。

非常に多くの時間がカットされた。いや、実際にはその時間にやっていたことをやらなくなった代わりに、他のことにその時間が充てられたと言うべきか。

その結果、非常にシンプルな生活になった。

行動の拠点は、基本的には「家」「保育園/学校」「スーパーマーケットなどのお店」くらいになり、家族以外の人と話す場面も、ほぼほぼ無くなった。通勤時間が完全に無くなったことは非常に大きい。往復四時間近くが、丸々他のことに充てることが可能になった。何より家族と過ごす時間が増えたのがありがたい。そして、どこかにフラッと立ち寄ることもしない。極力、他人と会わず、話さず、大きな移動も無い、コンパクトに一日が過ぎていくのだ。

上にも書いたように、仕事上のコミュニケーションはメールかチャット。ビデオチャットテレビ会議もあるが、目的がある場合だけなので、そこまで長い時間にはならない。電話も取り継ぎされることもあるが、それもそこまで長時間拘束されるものではない。

その代わりに、同僚や上司とする雑談等の、仕事に関係ないコミュニケーションはほとんど無くなり、友人とも直接会ったりすることもなくなった。飲み会も無い。友人や知人は都内在住の人が多いので、地方在住の私にとって、そもそも会うハードルが高くなってしまったのだ。そして最近では、連絡すらも取らなくなってきている。

字面だけで見れば、実にシステマティックというか。合理的ともちょっと違うかな。無機質というか、内向的というか。

そういった生活をしていると、つい「効率」を考えてしまう。

対面で長々といつ終わるか分からない堂々巡りの会議をするよりも、サクッと要件だけ絞ったドキュメントを共有するので事足りる。文面だけでは伝わらない微妙なニュアンスであれば時間を限ってビデオチャットをオンにして説明すればいいし、どうしても打ち合わせが必要なら簡潔なアジェンダをもとに結論を導けばいい。

大体「参加者を多くしておけばいい」と主催者が考えて、本当はあんまり関係ないのにとにかく大勢の参加メンバーを呼びかけている会議も結構多くて、そういうのは居ても居なくても同じだったりするから本当は参加したくない。というか、極力参加しない。けれど、色々な事情から参加しなければならないこともあるわけで、そういう時に、対面ではなくてオンラインの会議だと助かる。簡単に「とりあえず参加してますよ」が表明できるからだ。関係ない議題の時には、カメラはオフにして他の作業をすることができる。対面だとそうはいかない。めっちゃ時間が勿体無い。

そういう時間的拘束以外にも、メリットはある。
資源、つまり、紙、だ。

オンラインであれば、打ち合わせのたびに、資料を事前に印刷する必要は無いし、参加者全員に対してそれを配布する必要もない。プロジェクターも要らない。説明するときには、ファイルを画面共有すればいいだけだ。会議前でも後でも、資料として手元に必要であれば、電子ファイルを参加者宛に送信すればいい。今はホワイトボードの機能がある会議ツールもあるので、それすらオンラインでリアルタイムで情報共有も可能だ。議事録も、会議中に必死でとったメモを整理して上司に見てもらって「ここの表現は違うよ」とか細かい指摘をもらって反映させて綺麗にまとめた書類にして、関係者にわざわざ配る必要もない。そのようなことをしなくても、会議中に、参加者と共有しているオンラインのファイルに、その場で適宜入力しながら議事をまとめればいいだけの話だ。

書籍は紙で読みたい派の私だけれど、仕事で紙を使うのは大嫌いなので、こういうやり方の仕事になって本当に嬉しい。

そもそも、地味にこういう「紙文化」は厄介だ。会社のデスクの引き出しとかキャビネットとかに、ありとあらゆる業務関係の資料が大きなバインダーに挟まれ、そういうのが何個も何個も作られ、しまって置かれる。これは非常に場所をとるし、何より情報として探しにくい。もちろん、業務によっては証憑として残しておかないといけない紙も存在するが、まだまだ「念のため残しておく」系の書類もたくさんある。そういうのは、やっぱり無駄だと思うのだ。ずっと長い間、埃をかぶって誰も見ない状態で管理されていたりすると、余計に。

そういうわけで、今の生活は、業務では紙は印刷しないし、人と会わずにいられて楽だし、非常に「無駄」の省かれた実に合理的なもので、私は気に入っている。

だが、ひとたび仕事の場を離れると、むちゃくちゃ「非効率」な世界に飛び込むことになる。

今私が住んでいるのは、都会でもない、それでいて大自然でもない、地方都市である。地方都市の定義は様々あるので表現は難しいが、悪く言えば中途半端に便利であり不便でもあり、良く言えば良い塩梅に栄えていて住みやすい町だ。

駅に行けば、電車は十数分に一本だから、駅のホームで待つ時間が異様に長い。市役所に行けば、このご時世なのに、いつも多くの人が待合席にごった返していて、いつ自分の番が呼ばれる分からない状態で長い時間をずっと待つことになる。必要な手続きがどこの窓口で出来るのか分からなくて、たらい回しにされたりもする。病院では、地方ならではなのか、高齢者の方がめちゃくちゃ多くて、自分よりも元気そうなお年寄りにバンバン順番を抜かされた後に、やっと診察されたりする。子供の通っている保育園や小学校はまだまだ紙文化だし、必要な情報は子供が持ち帰ってくる「プリント」頼りだ。提出する書類も手書きで出さなくてはならない。

なんとも、非効率というか何というか。さっきまで「実に合理的だ」と思っていた仕事の世界とは大違いなことが多すぎて、すごく面食らってしまう。

便利と不便。効率と非効率。合理的と非合理的。何とも真逆の世界を行き来している。日々、そういうチグハグな中で生活しているなぁと感じる。

けれど、何も「全てが全て、無駄を省いた生活であるべき」とも思っていない。これはこれで良い、と考えている部分もある。

そりゃたしかに、学校や保育園のプリント文化はちょっとめんどくさかったりするが、行事が多かったり規模が小さくて先生が子供のことをよく見てくれていたりすると、嬉しくなる。役所や病院でかなり待たされることも多いが、その分は本を読んだり出来る、そんな自由な時間が貰えたと思えばいい。電車も、全く来ないわけじゃない。私は結構田舎の育ちなので、実家から歩いて行ける距離に駅など無かったし、ましてや電車なんて1時間に何本かのレベルだった。それに比べれば、今の生活はとても便利だ。住宅地は長閑で閑静だし、クルマがあれば満員電車に揺られるよりも快適に移動できる。

東京に暮らしていた時には、今よりも遥かに便利な生活ではあった気がするが、この町はこの町でその良さもある。どちらが劣っていてどちらが優れているというものではないと思う。

便利な世の中にすることや改善も大事だが、きっと「良い方面に目を向けること」も、それと同じくらい大切なのだと私は思う。あれはダメだこれはダメだと不平不満を言って燻らせるより、恐らくその方が精神衛生上、良い感じはするのだ。

そんな、地方在住で、家で働くオッサンの日常でした。
おしまい。

通学帽子と試練の話。

突然だけれど、小学二年の息子は、学校へ行く準備をほとんど全く自分で行わない。

愚痴ではない。愚痴ではないけれど、事実としてそうなのだ。

たとえばこうだ。

親「時間割は確認した?」
子「したー」

⇒棚に教科書が置かれたまま。

親「宿題入れたよね?」
子「うんー」

⇒宿題のプリントがランドセルの外に出ている。

親「水筒とか持ち物用意して」
子「わかった」

⇒何も持っていない。
 出発前に「(水筒)どこ!?」と言われる。

親「ティシュとかハンカチ持ったよね」
子「今用意する」

⇒出発時間になっても持っていない。

みたいなことがザラにある。
というか毎日、毎朝これだ。

「ちょっと親が口うるさく言いすぎかな?」と思って、小学一年の頃、ある時期、宿題とか時間割の教科書準備を本人に任せてみたこともあった。

しかし、連日忘れ物をしまくって、全く改善の見込みは無かった。学校でも怒られているのかな、と思い、息子に問いただしてみた。すると、「まぁ先生に言われることもあるよ」とのこと。えっ、気にしないんだ。メンタル強っ・・。

酷いときには、教科書ほぼ全部家に置き忘れて、空っぽのランドセルで登校したこともあった。帰宅してそのことを聞いて「えっ、そしたら授業どうやって受けたの?」と訊くと、「隣の子に教科書を見せてもらったから大丈夫」と。いや、大丈夫じゃないだろ。めちゃくちゃ迷惑かけてるやん。。

挙句の果てに、連絡帳に、当時の担任の先生から「忘れ物が非常に多いので、ご家庭で持ち物チェックをしてください。お願いします」と書かれてしまった始末だ。当時の先生には、大変お手数をかけて申し訳ないことをした・・。

というわけで、今では、さすがに忘れ物をこれ以上させるのも可哀そう(と言うのも変な言い回しだけれど。別に忘れ物をさせようと思ってさせているわけではないので)なので、最終チェックくらいはするようにしている。

ただ、少しは本人に自主性を持って準備をしてほしいので、それとなく促す形で言うようにしている。それが上記の問いかけだったりするのだが、実際まぁ、全くチェックの意味が無い。もう最初からチェックありきなのだ。

さすがに出発時刻になっても家のソファでダラダラ寝転んで、靴下すら履いていない姿を見ると、しばしば「ゴラァ!早くしろー!!」と怒ったりもしてしまうけれども、大体はもう「これはもう仕方ないものだ」と思うようにしている。私としては(恐らく妻としてもそうだろうけれど)、そこまで深刻には考えていない。まぁやる時が来れば(やらなきゃいけないという状況になれば)やるだろうと思っているのだ。


そんなある日、このような出来事があった。

その日は(その日も)、息子は自分で学校へ行く準備をせず、親が一通りチェックして「忘れ物ないね!?よし行け!」とGoを出したのだけれど、出発間際になって気付いた。

親「あれっ、通学帽子、どうした?」
子「え?・・あっ、無い」

それは、小学生が被っている、黄色いハット型の帽子だ。

ひとまず家の中を一通り探しても、それが見つからない。我が家は、平日は、部屋が散らかりまくりの混沌とした空間になっているのだが、週末は、その平穏や清潔さを取り戻すかのようにガッツリ大掃除的なことをするのだ。私は、たしか金曜の夜か土曜の朝に、その帽子をリビングで見た気がする。ただ、大掃除後の現在のリビングには落ちていない。ちょうど私はリビングの掃除をしていなかったので、誰かが片付けたか。その行方は知れない。

刻一刻と出発時間が迫っている中で、そこかしこを探してもなかったので、息子には、「無いみたい。出発時間遅くなっちゃうし、今日はもう無い状態で行きな」と伝える。

すると、

「そんなの、嫌だよー!!!」

と大泣きする息子。

朝の鬼忙しい時間帯で泣き喚かれても非常に困る。それに、時間的に焦ってしまっているということもあって、「仕方ないだろ、無いんだから!自分でちゃんと用意しないとだめなの分かったろ!」と応戦してしまう。しかし息子は泣き止まず、駄々をこね続ける。

普段、あんなに豪快に忘れ物を連発しても気にしないくせに、そういうのは嫌なんだ。不思議な価値基準というか条件で、今一つ私には理解できない・・。

でも、よくよく思えば彼は、保育園時代も、似たような出来事があったのを思い出した。

それは、園にいる同じ組の子たちはみんなオムツがとれてパンツで生活できるようになったくらいの時期のことだった。息子も、もちろんオムツはとれていたのだけれど、寝る時だけは念のためオムツを着用していた。

その日は、たまたま朝の準備にてこずって時間がかかってしまい、慌てて家を出発した。保育園にはクルマで向かっていたが、園に到着するギリギリになって息子が気付いた。

「あっ、俺まだオムツしてる」

そう、朝起きたらいつも、オムツからパンツへのはきかえをしているのだけれど、その日は忘れてしまって出発していた。とはいえ、もう園には着いちゃうし、こっちも仕事の開始時間が迫ってきているしで、家に戻っている時間は無い。「しょうがないからさ、もう今日はそのまま保育園行ってくれる?」と軽いトーンで訊くと、

「嫌だー!!!こんなんで行きたくない!!!」

と大泣き。暴れまわってクルマから降りようとしない。全く埒が明かない。強めに言ってもダメ。優しく言ってもダメ。なにが北風と太陽だよ、どっちもだめじゃん。

過保護なのかもしれないが、結局、そんな泣いている状態で無理やり行かせることはできず、いったん帰宅して着替えをして、それで改めて登園。当然のことながら、仕事は遅刻。

そういった出来事があったのだ。実に、今回のケースとよく似ている。

よく分からないが、もしかしたら「みんなと目に見えて違う」というのが、本人はいたく気にしてしまって嫌なのかもしれない。

登校するときは、みんな黄色の通学帽子をかぶっているのに、自分はかぶっていない。みんなパンツなのに、自分だけオムツでいる。それらは、たとえ教科書を忘れても自分以外の誰かが見せてくれるといったような、そういった代替手段や回避手段が無くて、大げさな言い方をすれば、全ての責任を自分で負い、全ての批判を自分一人で受けなくてはならない、ということを意味するのだ。

話は戻る。

「じゃあ(通学帽子が無い状態で)どうするつもり?」と訊くと、「連絡帳に書いてくれ」と。担任の先生に、家に帽子が無いからかぶっていない、ということを伝えてほしいとのことだった。免罪符が欲しいのか?それで何の解決になるのか私には分からなかったが、その旨が書かれた連絡帳を持って、本人は多少心が落ち着いたようだった。

泣きながら家を出る彼を見送った後、なんだか、しみじみ考えてしまった。

可哀そうなことをしたかな。

だが、ここで全て、彼が失敗しないように親のほうで準備をし尽したり、彼の思い通りの要求を飲んであげて、彼の満足度を最大限に満たしてあげたりする、というのは、違う気がする。

きっとこれは、彼にとっての一つの「試練」のようにも思うのだ。

もちろん、小学校なんて、右へ倣えの世界の最たるものではあるとは思うが、世の中には「誰かと同じにしていれば大丈夫」なんてことはあまり無い。いや、仕事をしていれば前例踏襲とか、物まね、パクリ、なんてのも普通にあることだけれど、それはそれで戦略だったり、施策の一環でしかない。

今、息子にとっては、恐らく「みんなと同じ」であることが普通で、それで安心しているかもしれない。それは今の時点では当然のことなんだけれど、きっともっと大きくなって大人になっていくと、「みんなと同じ」であることの怖さや危うさに気付く日が来るのではないかと思う。

一見、安泰だとか大丈夫だとか思っていたとしても、いつ「みんなと同じ」じゃなくなる状況になるか分からない。あるいは、ずっと「みんなと同じ」状態で居ることが続いて、気が付いたら取り返しのつかない悪い状況に陥っているかもしれない。

そうなって、身体やあるいは心の身動きが取れなくなる前に、視野を広げられるなら広げておいてほしいのだ。「みんなと同じ」というその呪縛から解き放つため。孤独を、受け入れなければならない時がいつか来る。今は、そのための練習というか、試練だと思っている。

小学校なんて「みんなと同じ」=「正義」だという図式が跋扈している環境だろうとは思うけれど、心のどこか片隅で、「まぁ違ってもいいじゃん」「そういうこともあるよね」と思えるようにしておいてほしい。それは自分にとっても、他者に対しても、異質を受け入れられる「許容さ」とでも言うのだろうか。それがあるのと無いのとでは、だいぶ生きやすさのようなものが変わってくる。私の乏しい経験上、そう思うのだ。

帽子くらいで何言ってんじゃ、と思われるかもしれないけれど。

でも同時に、私自身も、些細なことを気にしてしまう性分なので、今回のことは、そういうのを少しでも「気にしない」練習にしていったほうがいいのかもしれない。

というわけで、私の好きな一曲をご紹介。

みんなおんなじ ー 森山直太朗

基本はおんなじでいいのよ。でも、本当は違うのよ。そういうものだし、それでいい。

多様性について語れるほど私に詳しい知識は無いけど、この歌を聴けば、少し、視野は広がる気がする。

今朝たまたま、みいつけた(Eテレ)がテレビで流れていて、エンディングソングがこれだった。好きなんだよなこれ。と思ってこんな記事を書いてみた次第。


ちなみに、通学帽子は、リビングのソファの下から見つかった。

「ちゃんと探していなくてごめん、息子よ」
・・・いやいや。「自分でそれくらい探しておけよ!」かな。おわり。

ゲーム(ロックマン)から勇気づけられたことを思い出した話。

ほぼ誰にも伝わらない話。


フォローさせていただいている方の記事を読んでいて、心配事や気になることがあると不安になってついアレコレ考えてしまう、といった趣旨のことが書かれていた。

私も、非常に良く気持ちが分かる(ついコメントしてしまったほどだ)。特に仕事上ではそういう傾向が強くて、起きもしないことにビクビクして、必要以上に準備したり、チェック・確認して時間を費やしてしまう。それで結局は「まぁしょうがないでしょ!」と腹をくくって突き進む。そうかと思えば、やっぱり予期していたそういう問題が起これば「あぁ甘かった・・」と胃が痛くなり、自己嫌悪に陥ったりする。要するに負のループみたいなことを繰り返したりするのだ。

しかし、そうは言っても、現在の自分は、そういう自分自身の性質に対して本当に「嫌だな」とか「変えたいな」とかは思わなくなっていることに気付いた。「それも含めて自分」というか。それで救われている自分もあるわけだから、無理にそれを嫌いになる必要もないかな、と考えている。

そういう、神経質というか心配症というか臆病になってしまう自分を、ある時、受け入れた瞬間があったことを、ふと思い出した。

それは昔、とあるゲームの中に出てきたセリフだった。

おぼろげな記憶を頼りに調べてみると、たしか「ロックマンゼロ」というゲームソフトのエンディングだったようだ。ゲームの細かい設定やら前提条件やらを色々と書くと長くなって仕方がないので、ザックリとした記載にとどめて残りは割愛する。

こんな感じのストーリー(というか設定)のものだ。

そのゲームは、「ロックマン」という青い体のロボットが主人公のゲームのスピンオフ版というか。いやスピンオフにしては規模が大きい、というか設定が違いすぎる。そもそも、「ロックマン」というと知っている人も居ると思うが、その「ロックマン」とは別の世界観(たしかその将来の話)になっていて、「ロックマンX(以下、エックス)」というロボットが主人公になる。だが、話はもう少し複雑で、今回この「ロックマンゼロ」というのは、「エックス」ではなくて、その友人でありライバルであり戦友の「ゼロ」という名前の赤い体のロボットが主人公なのだ。

うーん、ここまで書いてみて、まったく知らない人には「なんのこっちゃ」という話になるだろう。単純に私の文章力の問題もある。

それなら、画像付きでキャラクター視点で書いてみる。

ポイントとしては、これがロックマン。見た目は可愛い。くりくり坊主みたいな。ヘルメットなんだけど。聞くところによると、英語だと「MEGA MAN(メガマン)」という呼び方になっているらしい。そのまま英語にすると「岩男」になっちゃうから変えたんだとか。ファミコン時代に出始めたゲーム。結構シリーズがたくさんある。ちなみに私は、シリーズの4と5をよく遊んでいた。

ロックマンで、そのロックマンが活躍してから、だいぶ未来の話という設定で、ロックマンX(エックス)というのが登場してくる。もうこれは別のゲームソフト。世界観もロックマンとはちょっと違う。エックスのほうの世界は、ハイテクというか、ちょっと大人っぽい感じ。ロックマンが少年っぽいルックスとすると、こっちは青年っぽい。シュッとしてる感じ。冒険するステージも、近未来というか、都会というか。操作というか動きも、ダッシュができたり結構違う。

ロックマンX(エックス)で、そのエックスのシリーズに出てくる戦友みたいなのが、このゼロ。色が赤い。ロックマンは基本手に付いてる「バスター」と呼ばれる鉄砲みたいなもので戦うけど、ゼロは剣を使う。サーベルと言ったかな。最初のエックスシリーズには、レアキャラみたいな感じでサッと現れて助けてくれたりした。サブキャラではあったんだけど、カッコ良かった存在。謎めいてて強いキャラって印象。そのゼロが主人公として遊べるソフトが「ロックマンゼロ」というものだった。当時は、ワクワクしっぱなしだった。

ゼロまとめると、

ロックマン
↑青いロボット

ロックマンX(エックス)
ロックマンの未来の世界のロボット

・ゼロ
↑エックスのともだち

という感じだ。
違うかも。とにかく、ゼロが主人公の話だ。

話を戻すと、私はその「ロックマンゼロ」というゲームのエンディングで、ゼロが話していたセリフを憶えていて、それがずっと頭の中に残っていた。今にしてみると、その言葉がきっと弱い自分を救っているというか、受け入れるきっかけにしてくれたんだな、と思った。

そのセリフは、ゼロが、エックスのコピー(以下、コピーエックス)である敵キャラを倒した際に話されていた、このようなものだった。

アイツはオマエみたいに単純な奴じゃない

いつも悩んでばかりの意気地なしだったさ

だからこそ、アイツは英雄になれたんだ

ここでいう「アイツ」というのは、「エックス」のことを指していて、「オマエ」というのは、敵キャラである「コピーエックス」を指す。

つまり、コピーエックスは、かつてのヒーローだったエックスを模倣して世界を征服しようとしたのだけれど、その強さはエックスに及ばず、ゼロによって撃破されてしまう。結局は、コピーエックスは、エックスのような、本物のヒーローにはなれなかったということだ。

当時、このゼロのセリフを読んで私は、「あっ、弱くてもいいんだ。臆病でも不安でもいいんだ」という気持ちになった。それを今になって、思い出した。

それまでの私は、「強さ」というのは、自信たっぷりで居たり何にも動じないことや、誰にも負けないことだと思っていた。しかしそうではなくて、いやそれもたしかに「強さ」かもしれないけれど、誰かのために動けることだったり、愚直に自分の道を大事にできることも、それも立派な「強さ」になるのだと知ったのだ。その優しさによって困っている誰かを助けることが出来たりとか、ひたむきさによって難しい課題も突破できたりする。それは紛れもなく「強い」ということだ。誰かを打ち負かすこととは違う。

だから、こうして自分が何かに思い悩んだり、迷ったり、不安に思ったり、自信が無かったりしても、それでいいのだ。誰かのためだったり、いやいや自分のためにだってよくて、「これが正しい道なのだ」と思えたら、まずは進んでいけばいい。失敗もするだろうし、恥ずかしい思いもするかもしれないが、きっとそれによって喜んでくれる人が居たりするかもしれないし、何よりそのほうが胸はスッとするはずだ。

別に私はヒーローになろうとは思っていなかったが、当時は、そういう生き方もあるのだ、と少し心強く感じたのだった。

で、今、もう少しこの「ロックマンゼロ」を調べてみて、もう一つ、思い出したことがある。それは、最後の敵を倒した後に、エンディングで呟かれた、ゼロのこの言葉だ。

オレは、悩まない

目の前に敵が現れたなら、たたき斬るまでだ

そうだった。エックスは、ヒーローだけれどどこか自信が無さげで優しい性格だったが、ゼロはその正反対で、一貫してブレない、悩まない、スパッとした性格。つまり、バリバリのデキるヤツだった。私は、自分がそうではないと知りつつ、いや、そうではないと分かっているからこそ、ゼロのような思い切りの良い思考とそれに伴う行動力に、憧れていたことを思い出した。

当時の私は、エックスのおかげで弱い自分を受け入れるきっかけを貰い、ゼロのおかげで物事をテキパキさばいて解決していく姿勢を学んだ。

たしかあの頃、中学生か高校生だったと思うけれど、その当時の自分と、今の自分を比べると、内面的(精神的)にはそれほど変化はないかもしれない。

それでも、日々の仕事や生活のなかで、エックスもゼロも、どちらの思考・行動エンジンも大事だということを身を持って知っていった。

悩んでばかりではだめで、サクサク進めて行かないといけない場面がある。やるだけやったら後は野となれ山となれ、というか。他方で、目の前に立ちはだかる問題が、何でもかんでもロジカルに解決できるものとも限らないのだ。一見非効率に見えても、愚直に地道に細かく手を動かしたり、人間が相手ならできるだけ寄り添ったりすることは、無駄ではない。むしろそうすることで、ただ機械的に進めた結果とは、違う良い方面に向かうことだってあるからだ。

そういう考え方というか姿勢を、知らず知らずのうちにゲームから学んでいて、そのことに、二十年くらい経って今更ながら気付いた。


さて、こんなに長々と、普段書かないゲームの、それもかなりレトロなジャンルに入るソフトを語ってしまった。

うーん、やっぱり「なんのこっちゃ」感がすごい。
誰にも伝わらないでしょう。

もう一つついでに言ってしまうと、ここまで偉そうに書いておいてナンだけれど、そこまで私はロックマン自体に詳しくないという・・。全然ガチのほうではない。憶えている限りだと、ロックマンシリーズは4~7くらいまでしかやったことなくて、エックスシリーズもたしか X と X2 までだったと思う。ゼロシリーズは、最初のだけ。全クリもしたりしなかったり。ロックマンのシリーズは、どちらかというと、ゲームの内容よりも、BGMのほうがすごく好きだった。なので、ニワカと言えばそうなのかもしれない。

それにしても、自分は今は、本当にゲームというものを全くやらなくなってしまったけれども、小学生時代は、ファミコンとかスーファミゲームボーイあたりは、もうほんとに毎日、四六時中、暇さえあればずっとやっていた記憶がある。思い出が山ほどある。

ただ、決して家にこもってゲームばかりしていたわけではなくて、あの頃は、ゲームボーイ持って公園に遊びに行って、そこで友達と一緒に、ゲームのプレイを見せたり見せてもらったり、情報交換をしたりして過ごしていた。エアガンを持ち寄って公園や友人宅の敷地内(今考えるとめちゃくちゃ迷惑)で、打ち合いのサバイバルゲームしたり、珍しい古本やゲームを求めてチャリで遠くの町まで行ったりとかもしたけれど、やっぱり遊びと言えばゲームが中心の小学生時代だった。時間が幾らあっても足りなかった。

そういえば、我が家の息子は、大のゲーム好きだけれど、私の子供なので、きっと放っておいたらずっとやってしまうのだろうな。ゲーム自体は否定しない(というか私自身こんなふうにして育ったので、否定なんてできるはずもない)が、あんまりやりすぎると視力低下が心配。彼に、私のようなこんな自堕落な人間になってもらうのも困る。なので、ある程度は制限をかけている。けど、夜寝る前の息子の愛読書が、スーパーマリオの攻略本という時点で、なんとなく血は争えないような気もしている。

あれっ、何の話だっけ。
そうそう、おっさんの昔の思い出話でした。

ゲームから学んだことは案外多いかもしれない。
また機会があったら書きたい。

おしまい。

何かを書くということの話。

いきなり、時間ができた。

そもそも私は、ある時期から note をわざわざ書くということをするのもやめた。回りくどい言い方をしてしまったが、「よし、記事を書くぞ」と意気込んで書き出すことはあまり無い。

いつも、気付いたら書いている感じなのだ。「あっ、降りてきた」みたいな感じになったら、自然と筆が進むというか、キーが進むというか、タップが進むというか。

だから、そういう意味で言うと、今回も「わざわざ」「よし書こう」と思って書いているわけではないのだけれど、今回は「何もしないでいい時間」を与えられたようなものなので、ならばとこうして記事を書いている。

なぜなら、せっかく晴れたというのに、庭に干していたシーツやベッドの敷きパッドが強風で吹き飛ばされて土まみれになってしまったので、泣く泣く再度洗濯機で洗って、それを乾燥機で乾かすまでの30分の間、コインランドリーの駐車場で待たなければならないからなのだ。

そういうわけで、いきなり、自由な時間が与えられた。

だが、メールを返したりちょっとした買い物をしたら、もう残りは10分程度。急いで本題と結論に向かう。

今までの自分の人生、「書く」ということは、割と身近にあった行為であった。

高校時代は毎日、紙の日記にその日あった出来事や不満を「これでもか」と言うほど書き殴っていた。背伸びをして大人びた表現を好んで、辞書を引き引き日記を書いていたので、おかげで当時は語彙力がかなりついた。塾や予備校など通っていなかったが、勉強をせずともテストは高得点が取れて、高校時代の得意科目は国語だったほどだ。(ただ残念ながら、現在ではその語彙力は全く私の中に残っていない)

大学に進学してからは、紙ではなくネットの日記に場所を移した。最初は、携帯電話用のメールマガジンで近況を配信したりした。その後は、ブログが流行り始めたので、色んなサイトのアカウントを作って日記を書いてみたりもした。その頃ちょうど、mixi というサービスが流行り始めて、リアルでの知り合いに対してはそこで文章をダラっと綴っていた。

だが、やはり、メルマガやブログと mixi とでは、若干、表現する顔というか側面は違うような感じがした。だから、mixi が下火になって周りの知り合いが次々にログインしなくなっても、私は現実の友人たちには内緒で、mixi とは別の場で、自分しか知らないアカウントで日記を書いていたりした。

社会人になってもその習慣は止まず、毎日ではないにせよ、断続的に日記を書いていた。なぜ続けているのか、現実の知り合いには誰にも教えていないのに。でも、書いてしまう。

それは、今、こうして note においても同じだ。

誰の役に立つかも分からない。むしろ誰の役にも恐らく立たない。もう三十も後半になってしまったのに、こうして今日も、誰に読まれるか分からない文章を、ただただダラダラと書き殴っている。

けれど一つ分かったことがある。

やっぱり表現がしたい。そういう思いがあるのかもしれない。仕事で、ある程度、表現はしている。今の職業としては一応そういう「モノづくり」的な側面があるからだ。しかし、私は、過去の私のために、そして未来の私のために、何かしら文章を書いていたいのだ。教えてあげたい。振り返る道具にしてあげたい。あくまで、自分のためなのだ。

note という場には、様々な人が居て、もしかしたら私のような自己満足系のユーザは稀かもしれない。いや、むしろそういう人も多いのかもしれない。ただ、個人的には、収益とか交流とか、そういうのを目的として書いているわけではない。(でも、結果的にそうなったら嬉しい気持ちもある)

ただ純粋に、習慣として、表現欲を満たすため、そして、軌跡のため、書いてしまう。

だからこうやって私は、あっ、もう乾燥終わった。というわけでおしまいです。失礼。

ドライな関係と逃げ場の話。

モヤモヤする。

先日、息子が通っている学校関係でモヤモヤすることがあったと記事を書いたが、今回は、私の仕事関係でモヤモヤしている。

せっかくなので、そのモヤモヤを少し見つめなおして、言葉にしてみたい。


私がモヤモヤしている理由、それは直接的には、上司から言われた言葉によってだ。

特に、叱責されたとか激怒されたとか、あるいは人格否定されたとか、そういう言葉を吐かれたというわけではない。

事の発端は、昨日、私が今進めている仕事の中で、今ひとつ分からない内容があり、その相談のために上司に意見を求めたことにある。

すると、上司からはそのヒントが提示されたのだけれど、私としては発生している事象の詳細も分かっておらず、そのヒントの意味すらも要領を得なかった。だから、ひとまずは自分の分かる範囲で、とにかく調べて対処法を見つけ、「これでどうでしょうか」と質問した。

そうしたところ、「いや、そうじゃなくて。普通にこの仕様を調べてくれればいいだけだから」的な回答が返ってきた。

なぜか私はそれを受けて、心の中に一気に闇が広がったというか、まるでジワーッと得体の知れぬ黒い靄のようなものに覆われるような感覚をおぼえて、一言でいえば、不快、を感じた。

どうして不快に感じたのか、正直分からなかった。

情報のやり取りは全て電子の、つまりテキストメッセージでおこなっていたので、口頭や表情での微妙なニュアンスは分からない。最近なんとなく疲れていたこともあってか、「こんなん普通わかるでしょ」的な文面が、妙にグサッと心に刺さってしまったのかもしれない。(実際のメッセージは、そんなに嫌味っぽくはないのだが)

その時は、定時終了間際だったので、もうこれ以上調査を進めて回答を出しても、その後のやりとりで時間を費やしてしまいそうだった。そのため、そこで一旦やり取りはやめておいた。そういう未解決の状態も、もしかしたらモヤモヤがずっと残っている一因なのかもしれない。

そういうわけで、一晩寝たはずなのに、翌朝目覚めてもそのモヤモヤは晴れずにいて、こうして今、取り留めもない文章を綴ってみている次第だ。


少し落ち着いて、考えてみる。

今の職場に来てから、だいぶ年数が経っているが、割と心理的安全性は高い状態でやってこられていると思っていた。

それは、ひとえに職場の同僚や上司が穏やかで客観的で、いい意味でドライな関係で接することができていたからだと考えている。要するに、大人、なのだ。ギャーギャーと喚いたり、感情に任せて物事を進めていくような、そんな場面がほとんど無い。

課題があって、それに対して解決のために調べ、場合によってはチームで相談・協議して、対応策を試行錯誤しながら、検討していく。担当している業務の特性もあるかもしれない。言い方は適切なのか分からないが、人の心が介在して「嫌だなあ」とか「めんどくせえなあ」という気持ちが入り込んで、問題解決のモチベーションを妨げる要因になったりすることが、あまり無い。

とは言え、常にそうではない。

だからなのか、たまに、そういう「人の心」が揺さぶられて、負の感情が湧き出る場面に遭遇すると、ちょっと簡単に響いてしまう。それは往々にして、今回のケースのように、人間関係によって生じることがほぼ100%だ。

つまり、人と人とでやり取りする中で、特に私は「モヤモヤ」を感じる傾向が強い。


言ってしまえば、私は、他人が苦手なのだ。

家族がギリギリセーフのライン。もっと言うと、完全に心を許せるのは、妻と子供たちくらい。実家の親や、兄弟であっても、ちょっと気を遣うというか、一緒に居て心が安らげない時が正直ある。

例えれば、妻や子供に対して、私の心のシャッターは完全に全部が開いたままになっているが、心を許せない度合いによって、そのシャッターが開いている広さというか幅が変わってくる感じだ。それは当然、いくら親しい関係の友人もそうで、ましてや職場の同僚や上司に至っては、むしろ心のシャッターはほとんど閉じかけた状態だ。

ただその状態でも、「仕事」をするという目的を果たす場合においては、良い方向に働く。ドライな関係で、言わば「心」は見せなくても、そして同時に相手の「心」を見ないで済む状態で、物事を進めることができる。無闇に心の声を取り交わさずとも、あくまで事実の情報交換をすればいいだけなのだ。それが、私にとっての働く上でのベストな距離感なのかもしれない。

だから今回、つい、上司から、生の声というか剥き出しの感情みたいなものが見えてしまって、直接それが私の心のシャッターに入り込んで、居心地の悪さを覚えてしまっていたように思う。

言ってみれば、テキストメッセージであったとしても、「大人」の表現でない、少しぶっきらぼうな、感情の混ざった表現になっていたことが、私をモヤモヤ状態にしていたのだ。つまりは、「言い方」ということだ。

色々考えてみて、少し納得。私はそういうちょっとしたことが気になる、なんとも器も小さい臆病者なのだ。


私がモヤモヤを感じたメカニズムが少し見えてきたところで、少し強引だが、結論に持っていく。

こうして、この記事を書き始めの時の気持ちと、今ここまで書いてきた気持ちとでは、少し状況が異なってきていることを自覚している。

それはつまり、「文章にして、客観的にしてみて、少し落ち着いた」ということだ。

何かイライラしたり嫌な気持ちがあっても、紙に書き殴ったりすると、結構その気持ちがマシになることはよくある。

今回の私はまさにそうで、というか、もしかしたら私の他の記事をいくつか読んでくださっている読者の方が居たらお気付きかもしれないが、私は、何か不満や愚痴、嫌なことがあると、つい文章にしてしまう。言わば、自分のその時の気持ちを吐き出して、目に見える状態にしたくなってしまう。自己満足で大変恐縮だが、それで自分としては、多少気が晴れるところがあるのだ。

だから今回も、こう書いてきて「ああ、仕事の場面なのに、大人気ないような、幼い言葉を遣いされたことが嫌だったんだなぁ」と気付いて、多少モヤモヤは薄らいだ。これで、一旦この問題を心の外というか奥底に追いやって、土日を過ごすことができそうだ。

これはあくまで私の一例だが、一つの手段、逃げ場があるというのは、大切なことだと思っている。

今回は仕事関係でモヤッたわけだが、それは、きっと今まで「安心」していたところに今回のように不意に心を乱される事情が発生したことが原因だ。その「安心」が脅かされたということだ。

しかし、よくよく考えたら「だからどうした」ということでもある。

仕事で受けた嫌なことは、仕事の場で解消していく方がベストだ。完結できるならそれでいい。けれど、別に他の場所で、少し気持ちを落ち着けてみることも、悪くはない。それが私にとっては、こうやって文章にしてみたりすることだったりする。一度言葉にしてしまうと、なんとも「ちっぽけな」悩みであったのかということに気付いたりもする。(ただ、文章化する時にあまりに感情に任せて書くと、後で見返して赤面する可能性あり)

最も精神衛生上良くないことは、仕事で感じた不快感を、家の中に持ち込んで、モヤモヤした気分や、グツグツ煮えたぎる負の感情を持ったまま、人生の時間を楽しく過ごせないことだと、私は考える。

だから、それらを少しでも薄めたり、減らしたり、忘れたりする手段として、つまり「一回逃げちゃう」場を持っておくことは、自分自身を守るためには、とても大事なことだと思う。

別にいいのだ、仕事で嫌な思いをしたって、どうだっていい。どうでもいいことなのだ。私には私の自由があるし、私の幸せを求める資格がある。そんなくだらないノイズに振り回されるほど、暇じゃないのだ。こんな馬鹿馬鹿しいことに心を傷つける必要なんて全く無い。

ちなみに、そうは言っても文章にしてみても何ともまだ心が晴れない場合もある。

そのような時には、私は読書をする。夢中になれるくらい興味があったり面白い作品に没頭するのもいい。しかしそれでも気が紛れないようなら、それならいっそモロに「悩み」に関する内容のものがいい。最近では私はカーネギーの「道は開ける」がお気に入りだ。それを読むと「ああ、先人もこんなことで悩んだりしてたのか」と思えて気が楽になる。この本の良いところは、お悩み事例の共有だけではなくて、その解決法も、結構具体的に書かれていることだ。話が脱線するのでその件は記載を割愛させていただくけれども。

というわけで、誰の得になるか微妙なところだが、以上が、私が実践している対処法だ。

ああ、多少スッキリした。お目汚しで大変失礼しました。おしまい。