あさぶろ日記

note のほうに書いている記事を保管しているだけです。

いつのまにか真面目ばっかりにまみれていた話。

特段、何かこういうテーマの記事を書こうと思うきっかけや出来事があったわけではない。けれど、ふと昔を振り返ったり、今のことを考えたりした時、「真面目なことが前提になっているなぁ」と思った。

以下、少し長くて、回りくどいです。


人間が生まれて、成長していく。そのなかで、勉学やスポーツに励んだりする。そしてある程度の年齢を重ねていくと、仕事をするようになる。自分でビジネスを生み出す人も居れば、私のように企業や何かしらの団体に勤めて、お給料を貰うサラリーマンのような方法を選ぶ人も居る。そうして得たお金で生活をし、家族が居れば養い、そしていつか寿命を迎えて死んでいく。

このなかで一つ大事なポイントとなるのは、現在この社会では、何においても「お金」が必要になることだ。もちろん、中には自給自足という形で生活を成り立たせることができる人も居るだろう。だが、それは少数派だ。

ことに現代のこの日本という国では、経済活動を通じて生きていく人が大多数になる。そうなると、どんな形であれ、お金が関わって日常が動いていく。不労所得という言葉があるように、働かない人も居るだろうが、そういう人であっても、誰かしらを介して取引し、何かしらの購買品を得ている。現金かもしれないし電子マネーかもしれない、仮想通貨かもしれない。

けれど、人が生きるためには、食事をしたり、食事をしなくても栄養を摂取したりする必要がある。そしてそのための食料や品物は、誰かしらによって生産されている。物々交換の慣習がある地域もあるかもしれないが、貨幣経済においてはこちらのお金を相手に渡し、モノと交換している。つまり逆に言えば、ここではお金が無いと生活ができない可能性が高い。

そうすると、お金を貰うために自分に何ができるか、ということを考える。最も簡単で原理的なことは、まず働くことだ。生まれながらにして資産を受け継いでいたりする人は別として、何かしらのビジネスに足を踏み入れなければならない。それを選ぶ基準は人それぞれだ。自身の得意を仕事にする人、ラクに稼げる仕事をする人、とにかくたくさんのお金が貰えるような仕事を選ぶ人。

じゃあ今度は、ミクロ的な視点で見た時、自分自身は、一体どんな基準で選んで、そうして今はどのような思いで働いているのか

少し、自身の話と絡めて書いていきたい。

1、就職活動の話

いつからそのような取り組みがあったか定かではないが、私が大学に通っていた十数年前にはもう、就職活動というものが当たり前のように存在していた。

この言葉を簡単に説明するならば、学生側が求人を募集している企業に応募し、企業の人事担当者と面接をし、学生が「入社したい」かつ企業も「うちに来てほしい」と両想いになれば、そこで採用、つまり労働契約を結ぶことになるわけだ。もしかしたら時代によってそのスタイルは多少異なるかもしれない。今はスマートフォンがあって、その中で一通りの選考/採用プロセスが完結したりするらしい。昔は、学生が何もしなくとも、企業側から連絡が来て、豪華な接待をされ青田買いのようなこともしてくれたこともあったと聞く。

私自身の時代では、バブルはすでに弾けていたし、スマホも無かったけれども、パソコンは普及しつつあったので、リ〇ナビだとかマ〇ナビだとかの新卒就職サイトに登録して、その中で企業へ採用面接の申し込みやらメッセージのやり取りやらをしていた。パソコンを所有していない人は、大学の図書館の傍にあったコンピュータ室とか情報処理室とかに設置しているパソコンを我先にと早い者勝ちで使っていた。

就職活動が始まった途端、カラーリングやブリーチをして派手な髪色だったのに黒髪にして、カラフルな服装をしていたのに黒いリクルートスーツを着て、そうやって大多数の学生が同じような行動をしていた。学生時代に力を入れたこととか、どこかで聞いたような志望動機を並べて、それで面接官と会話が弾んだら、採用だ。「この人と一緒に働きたいか」つまりフィーリングというものである。

よほど気概のある人は別として、多くの学生がこのように他と同じようなアクションをとって、学生から社会人になろうとする。疑問を持つ人も居るだろう。しかしそのような大きい力に飲まれ、流される人の方が圧倒的に多いはずだ。

2、就職ではなく就社という話

様々な、そして幾つかのプロセスを経て、ようやく会社に入ることになる。一日のうちの大半を過ごし、それを何十年という繰り返す場所を選ぶのだ。学生が社会人になるための第一歩を踏み出す。そして、大多数の学生が辿る最初のステップとしては、それは、就職というよりも就社というものに近い。

かく言う私も、御多分に洩れずまったく同じように、そうしていた。何にも染まっていない生まれたての赤子のような状態で会社に入り、そこで鍛えられ、いつのまにか「学生」から「社会人」になっていく。昔ながらの考え方では、一度入った組織が大きければ大きいほど、そして安定していればしているほど、その組織から抜け出すことのデメリットは大きい。と考えられている。だから、必死でしがみつく。知識やノウハウを身に着け、人脈を築き、社内での地位を上げていく。そうやってサラリーマン人生を過ごして、定年まで行けば「上がり」になる。

しかし、そうも言っていられない状況になってきた。まだ中にはそういうふうな組織もあるだろうが、人々の多くは気付き始めている。自分が身に着けたアレコレが実は会社内でしか通用しないことに。そして、会社のために汗水流して人生を犠牲にしてきたとしても、肝心な時に会社は個人を守ってくれないことがあることに。

真面目に頑張っていれば、全ての人は、給料が上がって生活が良くなっていく。老後の人生まで保証される。皆が全員横並びで報われる。そんな社会や企業は、脆く崩れ始めている。皆がそれを享受できる時代は、とうの昔に終わってしまったのかもしれない。

3、「真面目」という呪縛の話

それで、話は本題に戻る。では「一体何を基準に仕事を選び、ここまで働いてきているのか」ということだ。

私にとって「仕事」=「真面目なもの」という方程式を暗に信じてきてここまで来た気がする。自身の成果を対価としてお金を貰う以上、真剣であるべきだし、そして「きちんと」していないといけないのだ、という思いがあるのだ。

少し話は脱線したように見えるかもしれない。

以前の記事で「仕事中、短パンになってみた」という内容のものを書いた。

この記事では少しふざけた書きっぷりにしてしまった(意図的ですが)が、実はこの話にも繋がってくる。

それは、この行為も「真面目」というものを解き放つ手段の一つなのだ。

就職活動をするとき、みんなと同じようにして、みんなが行くような大きい会社を目指して、無事に卒業する前に内定を得て、入社をする。そうして、みんなと同じように仕事をして、みんながYESと言ってくれるような仕事をして、そうして上から認められる。

けれど、上でも書いたように、そのような「みんなと同じように」というのが崩れてしまう時代がもうすぐそこまで来ている。というか、実際にそうなっている人たちばかりだし、私自身も、安定していると思っていた会社を辞めることになってから数社を転々としてきたけれど、組織が個人を最後まで面倒を見て守ってくれるケースなんて、そうそう無かった。結局は、自分自身で道を切り開いていかなければならないのだ。

だからこそ、改めて問う。「真面目」で居ることで、果たして自分の人生がこの先望む通りに進んでいくのだろうかと。これは自分自身に問うているので、多くの人には当てはまらないのかもしれない。

結論、ワガママなあなた(私)のために

ここからは少しワガママな書き方をしますが。

上で書いたように、お金は欲しい。けれど、より多くのお金を得る目的で、仕事によって自分自身を潰すことはしたくない。そして真面目で居ることは、ある程度は大事。だが、常にいかなる時も真面目で居続けることで、一体どのような良い効果が出てくるか。むしろ「真面目で居なければならない」として行動すること自体が、自分自身を押さえつけ、酷い場合には自分を苦しめるケースもあるかもしれない。

それならどうすべきか。結論。

・仕事は無理をしない。
・お金を貰えるくらいの成果を出す。
・そのうえで怒られない範囲で自分を解放する。

この3点なのかなと個人的には思う。

だから「真面目であること」はそこに入れる必要はないのだ。手段としては良い。けれど、「真面目で居なければならない」なんてことは無いのだ。

一つ大事なことを言い忘れていたが、仕事自体が大好きな人であればこの限りではない。これは、お金のために仕事をしなければならない、だけど出来ることなら仕事よりも自分自身を大事にしたい、というワガママな人たちのための話だ。

そういう人がどれだけ存在するか分からないが、少なくとも私はそれにあたる。そのようにワガママで、そして「不真面目」な人間なのだ。本当は「不真面目」なくせに、「真面目」なように見せかけて頑張る。就職活動や今まで仕事をしてきたアレコレは真面目にまみれてしまっていたけれど、そんなことはもうやめても良いのではないか。もっとそれ以外のところで「仕事」というものを捉え直してもいいのかもしれないな。

そう思ってこの記事を書いてみた。

もう少し続けます。

一日8時間労働だとして、1か月20日働くとしたら、
8*20=160時間。
それを1年間続けるとしたら、
160*12=1920時間。
そして、仮に20歳で就職して60歳で定年になるとしたら、
1920*40=76800時間。
つまり、社会人として働く時間は、約8万時間。

最初の前提で一日8時間としたが、これは一日24時間の三分の一に当たる。

つまり、ここにざっくりと計算した約8万時間は、乱暴に言い換えると、20歳~60歳という自身の身体がある程度自由に動く期間の、平日のその三分の一という時間であって、贅沢なことに、その時間をほぼ全てたっぷりと仕事に費やしていることになる。そのような膨大な時間で、一体あなたはどのような、そしてどのように仕事をするのか、ということだ。

どのような会社に勤めるか、どのような事業を自身で創るか、そして何歳までどれだけの時間を働くかは自由だけれど、だからこそ、どうせ働くのであれば、もう少し自分の心が赴くような「仕事」を選ぶ(もしくはそう認識し直していく)ほうが、人生が豊かになるような気がする。

ただ、不真面目になってみるつもりではあるが、クビになったり怒られて評価が下がったりすると、食いっぱぐれてしまいかねない。だからこその「怒られない範囲で」という意味で。なのでそこらへんは、程々にしていかないといけないけれども。

三世代でお世話になったゲームの話。

実家に帰省した時に、ゲーム機を見つけた。埃をかぶっていて、ガムテープまで貼って本体を補強してある、スーパーファミコンのハード機だ。なんとも懐かしい。そして、私のそのような感情とは異なる思いで、それを嬉々として見つめる人が居た。それは、小学二年の息子だ。

以前の記事でも何度か書いているのだが、息子は生粋のスーパーマリオ好きだ。

ご存じない方のためにざっくりと、本当にざっくりと掻い摘んでスーパーマリオについて説明すると、

・キノコたちを従えたお姫様(ピーチ姫)を、
・強面なカメのバケモノ(クッパ)が誘拐して、
・赤い服の配管工のヒゲおじさん(マリオ)が、
・カメのバケモノをこらしめてお姫様を助ける

というストーリーのゲームだ。スーパーマリオのシリーズは色々な種類があるが、ほとんどこんな感じだ。でもどれも面白い。名作なのだ。

我が家には、ニンテンドースイッチは無いが、ゲームハードとしては、Wii Uとニンテンドークラシックミニがある。全てではないが、それらのハードで遊ぶことのできる大体のスーパーマリオシリーズは、一応一通りプレイしている。

ちなみに、我が家でこれらのゲームをやっているのが、息子だ。というか、我が家では彼以外はあまりゲームをやらない。私もゲームはかなり好きだが、息子の好きなようにさせている。妻や娘はそもそもゲームをしない。マリオパーティなどの大人数で遊べるソフトをやる時は家族みんなでプレイするが、基本的には、息子一人がひたすらマリオのゲームをやり込んでいるのだ。

そして、その息子が今一番ハマっているソフトというのが「スーパーマリオワールド」だ。その詳しい話はこちらの記事に書いたので、割愛する。

ゲームに頼りすぎると傷つくことがある話。|あさぶろ|note まだまだある息子とゲームの話。 現在、彼は、「スーパーマリオワールド」というゲームソフトにどハマりしている。これは私のよ note.com さて、冒頭の話に戻る。

スーパーマリオワールドが大好きな息子が、本物の(という言い方もなんだか変だが)スーパーファミコンを初めて目にしたわけだ。

息子「うわぁ、随分デカいね(本体を見ながら)」

私「クラシックミニと比べるとね」

息子「コントローラは同じだね」

私「たしかにそうね」

息子「この四角いのは何(カセットを指差して)」

私「カセットだよ。このカセットにゲームが入っている。これが色んな種類売られていて、やりたいゲームソフトを選んで、昔は買っていたんだ。だから、違うゲームソフトで遊びたい時は、一回一回カセットを交換する必要があるんだよ(そう言ってカセットを本体から外す)」

息子「すげえ!えっ、それ取れるんだ!」

私「ほら、こうやって(カセットとハードの接触部分の隙間にそれぞれフーッと息を吹きかける)」

息子「!?」

私「(カセットをガチャンとハードに取り付けて電源スイッチを入れる)」

スーファミ「(鈍い音)」

息子「すげえ、なんか動いた。でも、色が違うね」

私「え?」

ヨッシー、下半身どうした…テレサ、その色なに…たしかに、色が変…。というかバグっている。

テレサというお化けのモンスターも、本来は体が白のはずなのにカラフルになっている。ヨッシーという恐竜のような亀のようなマリオがいつも乗り物扱いしているキャラクターも、草むらが背景にある時は何故かその部分だけ体の色がオレンジに発光している。というかそもそもマリオ自体がめちゃくちゃ色黒だ。

しかし、色に問題はあるものの、操作自体は可能なので、息子はいつもWii Uのバーチャルコンソールでやっているように、何も気にせずプレイをしていた。たまに、テレサがバグのせいで背景と同化して透明になっていることに気付かずダメージを受けていて「消えてるから分かりにくいんだよなぁ」とこぼすことはあったが。

一応ゲームはできるが見にくいし、私は実家の母親に「もう壊れかけてるし、捨てちゃってもいいんじゃない?」と言ったら「うーん、まぁねえ…」と煮え切らない態度だった。

そしてしばらく、私の息子がそのゲームに熱中している姿を見て、母は一言こうこぼした。

「お父さんが生きてたら、きっと一緒にゲームしたかっただろうねえ」

ああ、そうだ。この壊れかけのスーパーファミコンは、今は亡き親父が買ってくれたものだったのだ。

私の父は、ファミコンスーファミも好きで、プレステ2が発売された時には予約してまで買うほどのゲーム好きだった。私が物心つく頃にはゲーム機は当たり前のように我が家にあって、自然と私もゲームをするようになり、ゲーム自体が生活に溶け込んでいた。

とは言え、父は別にゲーマーというほどやり込んでいた様子は無かった。父は、ゲームハードは買うものの、買っただけで満足しているように見えた。まぁ仕事が忙しくてあまり家でゆっくり遊ぶ時間などが無かったのかもしれないが。

結局は私がいつも、自分の好きなソフトを買って、それを遊ぶ道具としていた。今の我が家で息子一人がゲームで遊んでいるのと同様に、かつては私も、家でゲームをするときには決まって私一人が独占していたのだ。

ただ、私がいつもゲームで遊ぶのを父は見ていたが、別に「もうやめなさい」とか「そんなもので遊んでばかりいるんじゃない」といったことは言われた記憶は無かった。母も同じで、父と私がゲーム好きなことは知っていた。それをあまり厳しく制限するようなことをしなかった。

だからこそ母は、私の子供、つまり母にとっては孫までもが、同じようにゲームで(そして時を経て全く同じゲーム機で)遊んでいる様子が、もしかしたら嬉しかったのかもしれない。「もうこのゲーム捨てたら?」と私が言った時の母の曖昧な態度は、きっとそこにかつての父の姿や昔の思い出を重ねていたのかもしれない。

父、私、そして息子。たしかに三世代でまさか同じゲームをやるとは思わなかったな。そして母が言ったように、たしかに父が生きていたら、一緒に遊びたかったなぁと思う。三人で。

ちなみに、最近、子供から「パパの夢は?」と聞かれて、少し考えてから私はすぐにこう答えた。

「○○(息子)の孫を見ることかな。あと、○○(息子)と酒を飲むこと」

心のどこかで父を重ねているのは、私も同じかもしれない。私の父が見ることができなかった孫の姿。できることなら私は、孫よりさらにその先の、ひ孫まで見てやりたいものだ。半分冗談・半分本気で、そう考えている。

オフィスカジュアルと挑戦の話。

私は会社員だが、家で仕事をしている。在宅ワークというものだ。

そして極力、家族以外の他人と会わないような生活をしている。そもそも会社に行かないので、同僚や上司などの会社関係者と直接会う機会もない。職場の人たちに顔を合わせるのは、Web会議をする時くらいのものだ。

とはいえ、家に居るからと言って「社会人なんだし、きっちりと仕事できるような服装であるべきだろう」というような思いはある。髪の毛ボサボサだったり、髭ボーボーだったりするのは、社会人としてどうなのだろう。昭和生まれのサラリーマンなので「家であっても仕事をするのだから、本来は背広を着込んだ方がいいのではないか」という思いさえある。

勤め先の規定によると、通年でオフィスカジュアルになっている。そうすると、ネクタイはしなくてもいいが、さすがにワイシャツ、そうでなくとも襟付きのシャツは着たほうがいいだろう。そしたらやはりズボンも、スラックスとまではいかなくとも、チノパンくらいは履いておいたほうがいいか。そんなことを考えて、日々無難な服装をしているわけだ。

第一、私は業務上、在宅で仕事ができるけれど、同じ会社であっても、仕事柄どうしても会社に出社して勤務する必要がある人たちも居る。そのような人たちは、恐らくきちんとスーツを着て頑張っているに違いないのに、私だけ適当な格好などはできない。

しかし、ある時、ふと「これって一体、誰のためにしている格好なんだ」と思う出来事があって、今までの考えがガラリと変わった。

それは、とある案件で、社内に居るメンバーの割と大人数を対象にして、Web会議で打合せをした時のこと。在宅ワークの社員も多いが、出社してその会議に出席メンバーも多かった。社内でなかなかエライ立場にある方も、その時はオフィスに出社されて、打合せに出ていた。

だが、その姿を見た時、私は一瞬驚いてしまった。

その方の格好は、普通にTシャツだったのだ。無地でもなければ、シンプルな絵柄のものですらない。何やら英語のスペルのようなものが、賑やかに走り書きされているTシャツを着ていた。そして、その場に居たその次くらいにエライ人も、別にワイシャツを着ていなかった。もはや襟付きのシャツすらも着ていなかった。肌着のように見える、よく分からん感じのVネックのシャツだった。

それこそスーツなんて、今や誰も着ていなかったのだ。私がしばらく出社していなかった間に、オフィス内は、一般的にイメージするよりもさらに上を行くレベルのカジュアルな状態になっていた。(もちろんお客様と商談とか、時と場合によるのだろうが)

それを見て「あっ、そんなの着てていいんだ・・」という思いと、「今まで家に居るくせに割とカッチリした服装をしていた自分って、なんなんだ・・」という思いになった。

もちろん「いや、会社のエライ人だからそんな格好をしていても許されるんだろう。お前みたいなペーペーじゃだめでしょ」そんな意見もあるだろう。

しかし、エライ人だからこそ、先陣を切ってくれてそのようなスタイルで働くようにしていると考えたらどうだろう?「幾らオフィスカジュアルだと言っても、上の人間がその姿を見せてあげなければ、下もやりにくいよな」と。「いいんだぞ、もっと自由になれ」と。いや、別に直接そんなこと言われてはいないが。

というわけで、仕事終わり、私はその日のうちにドン・キホーテに向かい、1枚1,000円もしないくらいのジャージ風の短パンを買ってきた。私も、役員たちの背中を追って、これを普段の業務でも履くことにした。というかもう履いてる。今日も短パン履いてる。実は今週、ずっとこのスタイルで攻めている。

日々、挑戦。変化に対応すること。身をもってそれを教えてくれた上司たちに感謝だ。

ちなみに、下半身はWeb会議でも見えないからそれでいいが、上半身はポロシャツにしておいた。まぁ一応ね、襟もついてるし・・。けれど、最終的にはタンクトップくらいまでを目指していきたい。すみません嘘です。あっ、でも短パンはホントです。スースーしてトイレ近くなりました。おわり。

思い出ツールと関西ライフの話。

自分は、普段、あまり積極的には過去を振り返りたいとは思わないタイプだ。でも、折に触れて「懐かしいなぁ」という思いは大事にしたいと思っている。

「懐かしいなぁ」と思うということは、当時あった出来事が、面影やらを残したまま何らかの形で保存されて、「思い出」として自分の頭の中にある、という状態だと考えている。その出来事があった当時、何かしらによって強く記憶と結びついて、それよりも時間が経ってからふと、そういう記憶が思い起こされる。

私は結構、音楽を聴くのが好きなのだけれど、その当時印象的だった出来事と、その当時聴いていた曲がリンクして、「思い出」となっていることが多いように思う。「この歌を聴くと、昔の『こんなことあったな』ってことを思い出す」みたいなものだ。

いや、自分としては、もしかしたら意図的に、出来事と曲をリンクさせている部分があるかもしれない。だから、特に印象的な出来事と結びついた曲は、記憶の中で大事にして、普段はあまりリピートしたりしないようにしている。繰り返して曲を聴いてしまうことで、その当時印象的だった出来事は、いつしか日常で上書きされてしまうことを恐れてしまう。つまり、音楽を、「思い出」を呼び出すためのツールとして機能させていたい部分があるのだ。

たとえば、YUKI「プリズム」は、誰も心開ける友達が周りに居なかった高校時代にいつも歌詞を読んで心の支えにさせてもらっていた曲だし、B'z「愛のバクダン」は、涼しい顔をしていた同級生がしれっと有名大学に合格してどうにも劣等感が拭えなかったときにこれを聴いて受験勉強を頑張るモチベーションにしていた曲だし、Mr.Children「ランニングハイ」は、一人暮らしを初めてする私のために今は亡き親父が遠くまでクルマを出してくれて夜帰るときに「がんばれよ」とひとこと言ってくれた後で部屋に自分一人で心細くなりながら聴いた曲だし・・と、挙げだしたらキリが無いのでこの辺にしておくが、とにかくたくさんの思い出があって、それらは一つ一つの出来事とそれぞれの曲とが結び付いている。(敬称略で失礼いたします)

ちなみに、それらの曲は可能な限り、iTunes のプレイリストで時代ごとにしてまとめている。無性に懐かしい気分に浸りたくなる時などは、プレイリストを聴き漁ったりするのだ。

上でざっと挙げたものは、高校から大学入学するまでの間の曲たちのごく一部だが、実は今現在も、ことあるごとに勝手に自分の人生の中の時代をぶった切ってカテゴリ分けしたりしている。それはプレイリストという形だけではなく、特定のアーティストのアルバムをひたすらリピートするというケースもある。たとえば、ブラック気味なベンチャー企業で働いていたときは通勤退勤の途中、常に、星野源の「YELLOW DANCER」というアルバムを聴いていたし、担当したプロジェクトが死ぬほど辛くて仕方なかった毎日には、BUMP OF CHICKENの「RAY」というアルバムをずっと繰り返していた。(こちらも敬称略)

好きなアーティストは幾つか居るけれど、なるべく広く浅く聴くようにしている。当時、たとえ辛く苦しい状況だったとしても、今になって思い返せば、なぜかその時の感情だけがスッポリ抜け落ちて、単に一つの「思い出」として記憶の中に仕舞われている。

前置きが長くなったけれど、そうやって自分は記憶の中に保存された「思い出」を、よく「音楽」に結び付けて出し入れしている。

だが最近、不意に、別の媒体で「あっ、懐かし」と思うことがあった。それは、漫画だ。具体的に言うと「やまとは恋のまほろ」という作品だ。

現在、幾つかの話は、文春オンラインの電子マンガで無料で読むことができる。(いつ配信終わるか分かりませんが)

やまとは恋のまほろば | 文春オンライン マンガ賞多数入賞の人気作「やまとは恋のまほろば」が帰ってきた! 長らく休載していた「やまとは恋のまほろば」が、「 bunshun.jp 詳しく書くとネタバレになると思うのでやめておくが、この作品は、舞台が大阪にある大学で、サークル内の交友関係の諸々がエピソードとして取り上げられている。しかし何とも、ゆるくて良い。それでいて、大学っぽい人間関係として妙にリアルな感じがある。

私がこれを読んで「懐かし・・」と思うのは、主人公たちが所属しているサークルのマイノリティさというところと、この作品の登場人物がほとんどみんな関西弁で話しているところ、に起因しているのかもしれない。

自分の状況と、この作品の時代背景や人間関係を比べると全く違うけれど、私が大学時代を過ごした町も関西地方だった。そして、当時自分が所属していたサークルも「何やってるか分からん」ようなものだった。

で、この作品を読んでいると、同じエピソードを体験したわけでもないのに、当時自分の周りで巻き起こっていた友人たちや先輩とのアレコレや、まさに自由な時間であった大学生活の日常そのものを思い出してしまう。「居た居た、こんな先輩」とか、「ああ、似たような経験あったなぁ。あの時、もしこうしていたら、自分はどうなっていただろう」とか。そんなことを、アラフォーのじじいのくせに、年甲斐もなく心地良いようなむず痒い気持ちになったりする。

それから、これはあまり共感してもらえる人が居ないかもしれないが、私のような関東出身者にとって、関西地方で過ごす大学生活というもの自体が、なんとなく「非日常感」があったような気がするのだ。同じ日本国内にある町のはずなのに、何故だか異国感というか異文化のような雰囲気がある。

その大きな理由としては、人々が話している言葉やそぶりといった、言動なのかもしれない。耳慣れない言葉やイントネーション、それが弾むような弾けるようなポンポン聞こえる時もあれば、ふんわりと柔らかにそして脆く包み込むように聞こえる時もあった。それを操る人によって、まったく違った雰囲気を感じた。けれどそのどれもが心地良かった。

言葉という点で言えば、自分にとっては何だか不思議の国で暮らしていたような四年間だった。卒業後はずっと東京で働いているし、当時の友人たちともほとんど会わなくなってしまったので、パッタリと不思議の国の扉は閉ざされ、まさにそれは「非日常」のまま、私の記憶の中に「思い出」として保存されてしまっている気がする。

そういったわけで、この作品を読むと、そういった当時の感情を思い出して、何だか懐かしく感じてしまうのだ。たった四年間であったけれど、関西の町で過ごした日々を思い出す。このような世の中になってしまって遠出も厳しくなってしまったが、落ち着いたらまた旅行にでも行きたいなと思う。でもそこにあるのは既にもう日常ではない、観光なのだ。今も昔も「非日常」であることに変わりはない。

もし関西地方ではなく、東京で大学生活を過ごしていたら・・という想像は、今となっては難しい。仕事場と学生時代を過ごした場所が同じ町にあるというのは、今の私にはもう想像できない。

けれど、あの当時この進学先を選択した自分の決定は、これはこれできっと正解だったのかもしれないなぁと思ったりする。

ワクチン三回目の続報の話。

前回、コロナワクチン三回目の接種をしてきたという記事を書いた。

今回はその続報になります。二回目の時と少し副反応は違うな、というところをメインに。

前回までは、以下のことを書いた。

接種当日(5/13 18時頃)
・筋肉痛がちょっとあるかなくらい。
・他に症状がないので普通にお風呂入って寝た。

接種翌日(5/14)
・朝6時頃起きると若干怠いが熱は無い。36度台。
・昼10時時点で熱をはかると39度。来たわ…。

その後の続報だが、各症状ごとに書いてみる。

症状1)熱について

その後、熱はそこまで上がらなかった。というか、5/14の昼過ぎまで39度出ていたので解熱剤を服用して、それ以降は一気に37度まで下がった。で、その日の夜も悪寒がして眠れなかったので、解熱剤。翌日5/15も朝ちょっと寒かった。ただ、5/15の朝に一度解熱剤をまた飲んだら、その日は一日中熱は出なかった。翌5/16については、全くの平熱。トータルとしては、5/14の朝から5/15の朝の、だいたい丸一日くらいはダラダラと熱が出ていた感じがする。

二回目接種と比べてもそこまで変わらない印象。

解熱剤

ちなみに、解熱鎮痛剤だけれど、噂ベースで「アセトアミノフェン」が良いと耳にしていた。が、ワクチン二回目接種の副反応の時も、コロナ陽性になった時も、アセトアミノフェンを服用してみたのだが、個人的には効かなかった。まったく熱も下がらないし、ラクにならない。そのため、本当に酷い頭痛の時に最終手段として使ったりしているロキソプロフェンに頼ることにした。結果は、普通に効いた。今回の三回目接種の副反応でも、効いてくれました。まあ個人差もあるだろうし、万人に効くわけではないだろうけれど・・。

ただ、ロキソ使ったのは一回きり。その後は倦怠感があったり微熱が続いた時には、薬を飲んで眠くなるのは困るので、普通にバファリンを服用。ノーマルのやつ(A)なので、成分はアスピリン?かな。今日までの間で計二回程度服用したら、もう熱は出ない感じに回復した。

症状2)倦怠感について

熱が出ているから当然かもしれない。全体的にダルい。動きたくない感じ。できれば寝ていたい。熱が下がったら、しんどさはほぼ消えた。二回目接種の時も同様。

症状3)筋肉痛について

これは結構痛い。接種した部位が。痛いというか、熱くて腫れてる感じ。見た目も段々と大きく赤く腫れてくる感じ。だから寝るときも、寝返りを打つ方向とかを結構気を付けなければならなかった。二回目接種の時はここまで痛かったかなあ。でも同じ感じかも。

ちなみに、ちょっと触れただけで「ひゃっ!」と変な声が出たりする。子供に突然結構なパワーで抱き付かれたりして、それで奇声を上げたりしていたら、怖がられた。ごめんよ。

症状4)脇の下の痛みについて

これは何だろう。脇自体が痛いのよ。二回目接種の時はこの症状は無かった気がする。腫れてる感じなのかな。ネットで調べると、結構この症状が出ている人も居るらしい。何やら 30%くらいは居るとか居ないとか。適当ですみません。

こういう情報があった。なるほど。

リンパ節は、白血球が身体に入ってきた異物、細菌やウイルスなど外敵からの見張りを行う基地のようなもので、首(頚部)、鎖骨のくぼみ(鎖骨上)、足の付け根(鼠径部)、脇の下(腋窩)に重要な拠点があります。リンパ節はリンパ管で繋がって、ネットワークを作っています。

~中略~

現在使用されている、ファイザー社やモデルナ社の新型コロナワクチンは、原則、三角筋という肩~上腕にある筋肉での接種を推奨しています。ワクチンの成分は、わきの下や首のリンパ系に向かって流れていきます。ワクチン接種後に、接種した側の腋窩、頚部(鎖骨上)リンパ節が腫れるのは、この免疫システムが反応しているためで心配はいりません

https://aikabreastclinic.com/
何もしなければ痛みは無い。ただ少し腕とかに力を入れると「イテテ…」という感じになる。そうすると何が困るって、筋トレだ。日課の腕立て伏せをしようと思ったら、脇が痛くてもう休み休みしかできなかった。痛みに耐えつつ休みながら、なんとか一応一日のノルマである200回はこなした。

まとめ

今のところは、ほぼほぼ平常時の体調まで回復しつつある。でも、やっぱり元に戻るのには2日とか3日は見たほうが良いかなぁというところ。脇の下の痛み以外は、大体二回目接種と同じかなという印象。

ちなみに、私の場合は、土日は潰す覚悟で金曜の夜にワクチン接種に臨んだけれど、ほとんど予想通りな感じでしたとさ。有給休暇たくさんあれば、ゆっくり過ごせたんだが…。

ワクチン打ったのでその記録の話。

突然ですが、昨夜、新型コロナウイルスのワクチン(三回目)接種をしてきました。

一回目と二回目も打ってますが、個人的にワクチンについての肯定とか否定とかに関して強い意見は特に無くて、「まあ重症化しない可能性があるなら」という程度の動機しか持ち合わせてないです。恐らく妻も同じようなスタンスなはず。

ただ、我が家には子供が二人居ますが、彼らの接種はちょっと保留にしてる。この世界的な未曾有のウイルスが感染大爆発して鬼気迫る中で製薬メーカーが一生懸命に頑張って作ってくれたワクチンというのは理解しているけれど、やっぱり将来的に健康上でどういう影響が出てくるのか分からない気がしているからだ。何も無いならいいけど、誰が一体それを保証してくれるのか。何十年も経ってから突然めっちゃ体おかしくなりましたとか、もし子供がそうなったらと思うとさすがにシャレにならん。医薬品の効果や副作用という点では、ある程度の許容は仕方ないのは分かっているが、現時点では「ほんとにこんな小さい子にも打って平気なんかなぁ」という思い。申し訳ないが。

なので、未来ある子供には、できれば打ちたいとは思えない。今はまだ。ある程度年齢が高いのであれば彼らに判断させてもいいかもしれないが、我が子に関しては今はまだ小さい。そのため、親である自分達が判断をする必要があると考えている。それに最悪、親である自分達がどうなっても、どうにか子供たちが育つまでは暮らしていけるよう何かしら準備しておくつもりなので取り急ぎそれでいいかなと。

ただし今後、幼い子供たちがバンバン罹って重症化したり命を落とすような状況に変わってしまったら、方針転換してもしかしたら打ってもらうかもしれない。国内の年代別重症者数や年代別死亡者数といったデータを見る限り、現状はまだ子供に対しては様子見かなと。それが、親としての現在の正直な気持ち。

とはいえ、一つ断っておくと、だからといって別にワクチンを打たない人や、子供にワクチンを打つことを選択した人について、非難するつもりは全くない。結局、幸か不幸かこの国では、各個人が自分の責任で選択決定していくしかないのだし、ましてや人類未曾有の事態によって人間の健康が脅かされる状況にあるわけだから、そのような決定を押し付けること自体がナンセンスだと個人的には考えているからだ。

さて、否定派なのか肯定派なのかとかそういった白黒つける議論は一旦お茶を濁しておいて、とりあえずワクチン打って今どんな状況なのかということを記していく。

その前にまず、一回目と二回目の話。

一回目接種(モデルナ)

接種時期
・去年七月、朝9時くらいに接種。

接種当日
・打った箇所がちょっと筋肉痛。
・生活に支障が出るほどの症状は無い。

二回目接種(モデルナ)

接種時期
・去年八月頃、朝9時くらいに接種。

接種当日の夜(20時くらい)
・最高で38.3度くらいまで発熱。
・全身の倦怠感、悪寒、関節痛、頭痛。

接種翌日
・熱は一日中37度台。
・その他諸症状は変わらなかった。

翌々日
・朝は36度まで下がったが夕方また37度台に。
・症状変わらない。

翌翌々日
・一日通して平熱に戻った。
・症状は若干頭痛だけ残った。

コロナ罹患

こんな感じだったので、三回目も二回目と同じくらいと聞いていたから、三回目はちょっと覚悟。結局、丸々2日くらいは潰してしまうのかな。とか、考えているうちに、なんとコロナ陽性になってしまう。今年の二月ごろの話。

結局、些細な後遺症も含めて「まあもう大丈夫」と思えるくらいの体調に戻るまで、一ヶ月くらいは要した。もちろん個人差はあることは前提だが、ご興味ある方はその時の様子を下記の記事にまとめているのでご参照いただければ。

誰かに強制されたわけでもないが、いつかは三回目接種しないとなと考えていて。それで厚生労働省のサイトにもこんなことが記載してあるから、

感染歴のある方に対する追加接種については、諸外国の動向や、現時点で得られている科学的知見(※6)等を踏まえ、厚生労働省の審議会において議論された結果、初回接種を終えた後に感染した方では、体調が回復してから追加接種までの間隔について、暫定的に3か月を一つの目安にすることとされました。
ただし、この場合も、追加接種は2回目接種から6か月が経過している場合に限ります。(例:2回目接種から4か月後に感染し、その後回復した場合、追加接種は2回目接種から7か月後が一つの目安となります。)
なお、感染から回復後、期間を空けずに追加接種を希望する方についても、引き続き接種の機会を提供していきます。

https://www.cov19-vaccine.mhlw.go.jp/qa/0028.html二回目接種が去年の八月なのでもう七ヶ月以上経っているし、感染してから回復して今まででは、まあ若干目安には足りないけど、約三ヶ月程度は経っていると考えて、このタイミングで打つことにした。

三回目接種(モデルナ)

接種時期
・今年の五月。というか昨日。夕方6時頃。

接種当日
・筋肉痛がちょっとあるかなくらい。
・他に症状がないので普通にお風呂入って寝た。

接種翌日
・朝6時頃起きると若干怠いが熱は無い。36度台。
・昼10時時点で熱をはかると39度。来たわ…。

現在

そんなわけで、寝室に一人、使い物にならない私は置き去りにしてもらって、妻には子供たちを連れて買い物やらに行ってもらっている。

ちなみに、症状としては、熱、倦怠感、接種箇所の筋肉痛、関節痛、頭痛、とかそいったもの。喉も痛くないし洟も出ないのに、身体だけダルいというのが、何となく違和感。普通の風邪の時の症状とは違う感じ。食欲は特に無いわけではない。だけど動きたくない。気怠さがすごい。

この感じだと、二回目接種と同じような体調になるなら、今日一日はダウンしていて、明日もどうなるかってところだろうか。分からないけれど。

それにしても現在進行形でしんどいっす。

無理に自分を出さなくていい話。

なんとなく、ふと最近よく思うこと。

特に慣れない仕事をする際や自信が無かったりする場合には、「自分の色を出そう」とか「自分らしく工夫しよう」なんていうような意地汚い心は、もしかしたら全て捨て去ってしまったほうが良いような気がする。

先人が残したやり方を、とにかく踏襲する。昔ながらのやり方に倣って、愚直に先例をなぞり続ける。いくら真新しいものに見えたとしても、きっと既に、誰かが踏み固めた道がある。たとえば、うんうんと三日三晩悩んでも答えが出なかった問題とかが、詳しい誰かに聞いたら一瞬で解決したりもするということもあるものね。

だからそれに従って、他の人の力を借りて、マネして、そつなくこなすことが、まずは大切。間違っても「俺だったら、誰もやっていないような、こんなことができる」なんて思って、無理矢理に奇抜なことをやってしまうのはだめだ。

誤解を恐れず言ってしまえば、パクリでいい。カンニングでいい。仕事においては、こと社内のプロセス的な業務においては、徹底的に前例をマネしたほうが、圧倒的に上手くいく。

ただし、完成されたプロダクトや、アイデアそのものがクリエイティブの根幹にあたるものなどをパクってしまうと、バッシングや下手したら社会的な信用の失墜につながるケースもある。デザインだとか企画そのものとか、知的財産的なものはさすがにパクったらだめだ。犯罪にもなりかねない。

けれど、仕事の進め方とか、報告書の書き方とか、考えても上手くいかないロジックの組み方とか、そういったものが社内のナレッジとしてあるのであれば、じゃんじゃんパクって利用したほうが良いと私は思う。先輩や上司、デキる同僚の頭の中とか、暗黙知とかでもいい。何なら、ネット上に転がっている公開情報でもいい。要するにノウハウを盗むのだ。

そして、得たノウハウをそのまま使ってもいいけれど、多分そればかりやっていると、「これどうなってんの?」と細かい指摘が来た時に対応しきれない。だから、パクったら、それを骨の髄までしゃぶりつくす。さも自分が作ったように、自分の基礎にする。素材を得たらきちんと理解した上で加工してあげる。ひたすらその経験を積み重ねる。まずは。そうすることで、自分なりのやり方についてのフレームができてくる。自分らしさとかいうものは、そこからの話。必要に応じて出てくるもの。

まず型通りにできるようになって、それで大体のことは上手くいく。けれど、それが長く続いていたのに、突然どうしても上手くいかない壁にぶつかる時が来る。そこで積み重ねた経験や知識をもとに、新たなやり方を考える必要が出てくる。きっとそこで初めて「あなたのやり方」が求められる。

その時、上で書いたような「俺だったら~」なんていうような青臭いものではなくて、「分からないけれど私が知っている限りは、こうしたほうがいいかもしれないですけどね」なんていう謙虚な姿勢から出てくるものがある。それが自分らしさなんだと思う。真似するものが何も無くなって、自分の中から自然と湧き上がってくるもの。

もしかしたら、守破離、という考え方がそれに近いのかもしれない。

守 ⇒ やり方を真似て自分のものにする
破 ⇒ 自分なりのやり方で上手くいくようになる
離 ⇒ 新たに他のやり方が見えてくる

あとはこんなのも似たようなものに思う。

Fools learn from experience. I prefer to learn from the experience of others.

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とかいう訳で有名な言葉だ。歴史なんて仰々しいものじゃなくて、単に他人が残したナレッジという意味としても私は捉えている。別に賢者になろうとは思わないけれど、どうせ仕事をするなら、少ない労力で最大限のパフォーマンスを目指したほうが良いように思う。

トライ&エラー繰り返した末に、自分の方法を確立するのもいいけれど、時間もエネルギーも有限だし。もちろん、トライ&エラーしなきゃいけないようなケースもあるけれど、でも、せっかく他で既に有効な方法があるなら、それを使わない手はない。私の居る業界ではよく聞く言葉だけれど、「車輪の再発明」をしない、ということに近いかもしれない。パクっていいものはパクっちゃったほうが良い。そのほうが気がラクコスパ良いしね。

と、最近そんなことをふと思ったりする。とにかく今は、やるべきことをや、やり続けることしかできないかなぁ。焦らず、驕らず、腐らず。